人生の墓場とは社会的な死を招くこともあるらしい。
その後の番外編、今までとはガラッと視点を変えまして。
懐かしのあの人のその後に参りたいと思います。
少し前までの、ぎりぎりと胃を締め付けるような慌ただしい日々もいつの間にか知らない内に終息して。
うちの坊ちゃんも知らない間になんだかちょっぴり大人になったような……いや、疲れ果てた勤労父さんのような顔でお屋敷に戻ってきて。
悟りを開いたような遠い眼差しをするようになった坊ちゃんを、ほんの少々同僚と心配しつつ。
今日も今日とてお疲れ様と、きっつい訓練を終えて与えられた自室に戻ったならば。
……鍵が、開いている。
おいおいおいおいどうしたなんでだ。
俺の部屋になんざ盗めるような物ぁねえはずだぞ。
『同居人』がいた少し前までならいざ知らず……状況が一人部屋に戻った今、知らない内に鍵が開いてるとか怖すぎなんですけど。
しかしこれでも俺は戦闘職。主な任務は護衛と屋敷の治安維持。
そんな俺が、鍵が開いていたんですけど!? なんて騒ぐわけにもいかねえし。
……メイド長の臨時検査でも入ったか?
警戒しながら、部屋の扉を開けたれば。
はじめましてな『美女』がそこにいた。
思わず扉ぁ閉めたぞ俺は!?
あ、はじめまして~なんていきなり挨拶できねぇもんな!?
驚きすぎて息が止まったぞ一瞬!
え、俺、部屋間違えてねえよな? ここ、俺の部屋だよな?
毎日寝起きしている自分の部屋なのに、自信が持てずに念入りに確認してしまう。
部屋の扉にかかっているネームプレートは、間違いなく俺の名前だ。
なのになんで俺の部屋に綺麗なおねえちゃんがいるんでしょうねぇ!?
マジでどうしてなんで!? 俺の知り合いに、直で部屋まで訪ねてくるようなあんな美人いねえよ!? 断言できるねそこだけはマジで!
どれだけ頭の中を漁っても、心当たりは皆無だ。
となると、結論はこれしかねえ。
…………美人局か。
最近の美人局は、直で標的の部屋まで来んのか……
……って、そんな訳ねえよな!? どんだけアクティブで狙いがピンポイントなんだよ!
俺は戦々恐々、恐怖の眼差しで自室のドアを凝視していた。
気分はアレだ、密林の奥で得体のしれない人食い民族と遭遇した探検隊的な。
もう一度、自分でドアを開ける勇気は中々湧いてこない。
中にいるのが不審者とか泥棒とかだったなら、こうはいかないってのに。
そう、中にいるのがただの侵入者や犯罪者の類だったら単純に殴って捕縛して尋問室にぶちこめば済む話だ。
けど、中にいるのは美女だ。不審者じゃねえ。
いや、心当たりないのに部屋の中に待機してるって時点である意味不審者かもしれねえけど……いや、やっぱ駄目だ。相手が『美女』ってだけでなんか勝てる気がしねえ。どう対処すりゃいいんだよ。
殴る? 無理だ。殴るとか鬼か、俺。
あんな綺麗なおねえちゃん殴れねえよ! 犯罪者や刺客だって確証がありゃ殴るけども!
捕縛……縛る? できねえよ! 社会的に俺が抹殺される予感しかねえよ!
部屋に居座ってましたってだけで事情も聞かずに問答無用で縛ってみろ、その時点で俺の扱いが犯罪者まで落ちるだろ確実に! そんでもって泣かれでもしたら、俺が尋問室にぶち込まれるわ!
……ってことは、まあ、アレだ。
なんで俺の部屋にいるんですかって、話を聞かないことにはどうにもならんってことで。
けどなあ……相手は『美女』だ。
話しかけるにも恐れ多すぎる……誰か助けてメイド長! そうだ、心身ともに逞しい敏腕メイド長を呼ぼう!! 経験豊富で肝の据わったメイド長なら、きっとあの『美女』ともお話して事情を聴きだしてくれるはず!
よしよしよーし、そうだそうだメイド長を呼んでくるとすっか。
俺がそう結論付けて、部屋を離れようと一歩後ずさった時。
「あの……」
……自室のドアが、勝手に開いた。
いや、うん、『内部』から開かれたってだけだけどな。
そんでもって、部屋の中にいたのは美女だ。
つまりはあの美女が、ドアを開けて……俺に苦笑まじりの視線をくれてる訳なんだが。
なんで俺の部屋にいて、なんで俺を見てるんですかー?
溶ける溶ける。美女に見つめられるとか、俺溶けちゃうって。
鷹に見つかった小雀みたいに動けずいる俺に、美女はおっとり微笑んでドアを大きく開けた。
部屋の中へと、招き入れるような仕草で。
間違いなく俺に、美女はこう言った。
「待ってました、ロンロンさん。中でお話させてください」
「……は?」
美女の声は、なんかどっかで聞き覚えのある声だった。
けどな、記憶にある『声』と目の前の『姿』がかけ離れすぎてて、その二つが繋がるのに一瞬の間が開いた。
「嘘だろ……」
意識して見てみると、確かに顔のパーツに原型が……でも、記憶と違いすぎるんですけど!?
目の前の美女が誰か。
心当たった俺は、頭を抱えて床に突っ伏した。
マジかよ……。
目の前のこいつは、一時期一緒の部屋で寝起きした……かつての『同居人』だ。
「お前、エルレイク家のお屋敷に移ったはずじゃん……アンリ」
「ふふ。今はもう男装して身を隠す必要もありませんから。アンリではなくヴィヴィアンと呼んでください。それが私の名前ですから。ね、ロンバトル・サディアさん」
今更なんの用かは知らねえ。
けど、俺の部屋にいた理由は分かった。
っつうかこれ、絶対メイド長の仕業だろ。
あの人は、俺と『こいつ』が恋仲だと思って……いや、思い込ませられてっからな。
部屋の合鍵はとうに返してもらっている。
なら俺の部屋に通したのは、屋敷中の合鍵を管理している家令かメイド長のどっちかで間違いないんだから当たりのはずだ。
アンリが俺に何の用でやってきたかは知らねえけど……エルレイクのお嬢様がらみだったら超絶嫌だなぁ。
そう思いながら、部屋にふたりきりという状況。
相手が前は一緒の部屋で寝泊まりしていた『アンリ』だとわかっちゃいても、目の前にいるのは『美女』だ。アンリだってわかってるっつうのに、勝手に体が緊張状態に陥っていた。
そんな心休まらない空間で。
アンリが俺に切り出してきたのは……思いもよらない話だった。
「ロンロンさん、私と結婚しませんか?」
噴いた。
口に含んだばっかりだった茶、思いっきり肺活量全開で噴出しちまったんだけど!?
ちょ、気管……っ気管に入っ……っ!!
悶え苦しむ俺を見下ろしながら、困ったように。
アンリは俺の背中を擦ってきたが……やめて! 今の俺に『美女』に背中撫でさすられて落ち着ける余裕なんてないから!!
状況にいっぱいいっぱいになった俺は、それからしばらく床の上をのたうち続けた。
ようやっと平常心をぎりぎり装って話を聞けるようになったのは、それから1時間後のことだった。




