来ちゃったオムカエ
――女は、重い溜息を吐いた。
黄金を思わせる、その姿。
金の髪、金の瞳、琥珀の肌。
生まれながらに身に纏った色合いは、自然と見る者に豪奢な印象を与える。
だが、今の女は姿とは不釣り合いに草臥れて見えた。
……否、草臥れて見えるのではなく、実際に草臥れていた。
生まれてから今まで、一度も直面したことの無かった問題に。
つい先日まで、全くの無縁であった問題……『ご近所付き合い』に、神経をすり減らして疲れ果てていたのだ。
『贄の民』――そう呼ばれる者達がいる。
不名誉な貶める呼び名は、不服であろうと数千年に渡って貼り付けられ続けたもの。
自らの身を示すレッテル。
嫌だ嫌だと思っても、既に身に馴染んで取り払う術すらない。
そんな風に思い続けてきた。
同族の者ばかり……同じ身体的特徴を持つ、『贄の民』が押し込められた里で彼女は育った。
奴隷として、血統管理を受ける家畜として。
我慢ならなくとも、我慢しなくてはならない。
人としての権利など与えられず、ただ耐え忍ぶしかなかった。
……そんな、『あの頃』の生活と比較するものではないけれど。
『あの頃』と比べれば、格段に人らしい扱いを受けているのだと思う。
生まれて初めて、『人としての権利』が与えられた。
もう自分達は、奴隷でも家畜でも贄でもない。
そう、自分達は人間だ。
………………人間だからこそ、新たな問題が発生していた。
自分達を長きに渡って飼い殺しにしてきた宗教国家は弱体化した。
辛うじて滅んではいないが、密かに外部からの干渉をかなり受けて地位を落とした。
見る影もなく落ちぶれていく、その一端に『贄の民』と呼ばれた者達も関わっている。
なんのことはない。
非人道的で野蛮な国だと強調する為の材料の一つとして使われたのだ。
その結果として、『教主国』に長年搾取され続けてきた『贄の民』は救済された。
こんなに酷いことをしていたんですよ! と声高に叫んだのだから、叫んだ者達が『哀れな被害者』をむげに扱い放置できるはずもない。なんのことはない。『可哀想』を強調した結果、自分達が救済せねばならなくなったのだ。
そのこと自体に、否やはなかったが。
問題は、救済する側に『受け入れ態勢』という必要不可欠な要素が整っていなかったことだ。
取敢えず迅速に救わなければならない。
そのことはハッキリしている。
だけど事実がハッキリしているだけで、救う為の下地が整っていなければ何も出来ないのが『国家』という共同体だ。
住まわせる場所も、与えるべき雇用も、必要最低限の保証も。
まだ何も与えられて然るべきものが用意出来ていなかった。
お陰で現在は適当な場所に留め置かれている始末である。
『贄の民』という血統管理を受けてきた民族の里一つをまるまる受け入れねばならない訳で。
そんな大人数を留め置くだけでも、そこそこ広い土地やら衣食住やらと入用なモノは沢山あった。
今はしっかりした住環境が整うまでの暫定的措置として、過疎化して放置されていた廃村を一つ与えられている。だけどずっと人の手による整備が絶えていた土地だ。
辛うじて畑の痕跡らしき地形は残っているが、それだけ。
かつての住人が過ごしていただろう廃墟が幾つか残っているが、どれも手入れがされていなかったために荒れ果て、野生動物のねぐらと化している。
仕方がないので、自分達でテントを張って仮の住居としている。
そして新たな生活で不便と感じる極めつけが、近隣の村々との関係である。
『贄の民』は、「今日から暫くは此処がお前たちの住む場所だ」と、田舎の廃村にいきなり放り込まれた訳で。
いつまでそこに住むのか、いつか他に場所を用意したからと移動を余儀なくされるのかすらもわからない。先行きが見渡せない為に、どこまで住環境を整えるかにも躊躇いが出てしまう。
そして、周囲の村から興味本位で様子を見に来る人々の反応にいちいち困った。
あからさまな好奇の視線。
何の変哲もない入植者として受け入れてもらうには、互いに違いが多き過ぎた。
元は同じ民族であるはずなのに、今の両者は全く別の民族にしか見えない。
今までは周辺から隠された『贄の民』の里で、一部の者を除けば里の外に出ることを許されもせずに生きてきた。……当然、同じ里に住む『贄の民』は全員が顔見知り同士、身内同士。互いに理解する者同士だった。今までは『暗黙の了解』で話をせずとも互いに通じ合えていたが、『贄の民』以外の者達とはそうもいかない。
全員が知り合いという環境で生きてきた『贄の民』達は、理解の難しい隣人の扱いに終始困惑していた。元は同じ民族だといわれても、外見も事情も常識も違い過ぎて……もう互いに『未知の珍獣』を相手にするにも等しかった。
当然ながら気は休まらず、神経の磨り減る日々が続いた。
皆、新たな生活に既に数か月で疲れ果てていた。
『贄の民』で一番年若い子供は、まだ7歳の女の子だった。
その幼さ故に、まだ世界の残酷さも、自身を取り巻く不平等も理解はしていない。
ただ無邪気な笑顔で、大人たちの気持ちをやわらげた。
それでも『教主国』から解放されて以来の新しい生活は負担に感じているのだろう。
急激に変わった環境の変化についていけず、誰かが気付いた時には困ったような顔でひたすらに空を見上げていた。
「アーシャ、あなたどうしたの? ここのところ、ずっと空を見てばかりだけど」
「あ、お姉ちゃん……あのね、前ね、おじじ様が言っていたの」
「え?」
7歳のアーシャを心配して声をかけた。
そんなタリッサに、どこか期待を込めた顔でアーシャは必死に言い募った。
おじじ様とアーシャが呼び慕った、語り部の古老を引き合いに出して。
「あのねあのね! いつかね、お空から『おむかえ』がやって来るんだって! ご先祖様達のところから、『おむかえ』が来るんだって。それでね、それでね、私達を素敵な場所に連れて行ってくれるんだよ!」
「あ、アーシャ、それは……」
「はやくおむかえ、来ないかなぁ」
もはや自分達を救いあげてくれる『誰か』も、楽園のような『どこか』もないのだと。
少女の言葉は気休めじみた慰めでしかないと……慰めともいえない、別の意味合いを持つのだと。
というか老人が言っていた『お迎え』というのは、比喩的なアレではないのか。
一瞬で、タリッサの胸中を言葉に出来ない諸々が駆け巡る。
素直に正直に思ったことを告げて少女の夢を壊す、ことは、タリッサには出来なかった。
そうして、まさに。
言葉通りの『お迎え』がまさか翌日、彼らの元に迫ろうとは。
誰一人として、想像もしていなかった。
初めにそれに気が付いたのは、誰だっただろう?
遥か空の彼方にポツンと一つ、陽光を照り返して輝く点が見えた。
……見えた、と思った時には見る見る大きく迫って来る。接近してくる。
最初はまるで豆粒の様だった点は、どれ程の速度で飛んでいるというのか。
それが、そのシルエットが鳥や虫のものではないと気付くのに時間はかからなかった。
気が付いたら逃げ隠れする時間すらも残されていない。
ぐんぐんと空から近付いてきた、ソレは。
惑う『贄の民』がどう反応したものか正解を見つけるより先に。
彼らの押し込められていた廃村の、上空に達していた。
流線型の巨大なフォルム。
まるで鯨のような造形の、しかし自然界にはありえない無機質な輝き。
左右には十八対の、巨大な櫂のようなものが突き出し、緩やかに空を漕いでいる。
緩やかなその動きとは裏腹に、数分で空の彼方から迫ってきたのだが。
銀色の輝きを帯びたそれは、全体に朱色に鳴動する線を走らせている。
まるで生き物の血管のように、脈動するのに近い感覚で明滅し、内部に何かを走らせていた。
それをタリッサの知る言葉で表現すれば、一番近いモノは恐らく『船』だった。
こんな船は、水辺ですらも見たことはなかったが。
強張った腕で抱きしめたアーシャが、無邪気な声を上げる。
「おむかえだー!」
その声が聞こえた周囲の者達含め、全員がビクッと身を震わせた。
お迎え……その言葉が、何故こんなにも不吉に感じられるのか。
どうしてわざわざ自分達を見下ろすような上空で動きを止めたのか。
動向を見守るしかない『贄の民』達の前で、船には動きがあった。
船底の真ん中……竜骨のような骨の支える、部分から。
『贄の民』達の集まる真ん中に、光の柱が突き刺さる。
ぎょっとして、すわ攻撃かと距離を取る『贄の民』達。
その慌てようを知ってか、知らずか。
光の柱の中を、何かがゆっくり降りて来る。
浮遊しているとしか思えない緩やかさで、降りて来る。
人間と昆虫を融合させたような外見の、『怪人』が。
人間には到底思えないその姿に、『贄の民』達の間で戦慄が駆け抜けた。
これは、人知及ばぬバケモノだと――!
得体の知れない相手と見て取り、老人や子供は身を震わせる。
女達は側の子供を守ろうと我が身で庇い、男達は身構えて『怪人』への警戒を強めた。
彼らの様子を睥睨し、昆虫人間が何か声のようなものを発した。
『――ば△おr>>わ↓いうだ///ふぁうt☨☨☨ぇえわおPたああ◇◆◇あえ』
昆虫人間の言葉が理解できた者は一人もいなかった。
異なる民族の崇拝する宗教国家に隷属させられて、数千年。
その間に彼らは、自分達の母語を完全に喪失してしまっていたのだ。
昆虫人間の言葉は、彼らには理解できない音の連なりにしか聞こえなかった。
まさか理解してもらえないとは思わなかったのか。
昆虫人間はどこか困ったように頭を掻く。
そんな単純な動作でさえ、『贄の民』を怯えさせた。
試しに昆虫人間が差招く仕草を見せても、アーシャちゃんですらそれに従おうとはしない。
埒が明かない状況に、絶対的有利な位置にいる昆虫人間は実力行使に出た。
船の方へと何かの合図を送る。
合図による指示は、時を置かずに実行された。
抵抗する術も、逃れる術も『贄の民』には与えられない。
船から地上へと……彼らのいる廃村を中心とした広範囲に、光が降り注いだ。
光の中、『贄の民』の体が一人残らず浮き上がる。
船へと、ゆっくり吸い込まれていく。
もがこうが足掻こうが、暴れようがお構いなしだった。
ぎゅっと腕の中のアーシャを抱き締め、タリッサは強く目を瞑る。
もう一度、会いたかった……なんてそんな言葉すら、船に吸い込まれて。
その日、『贄の民』の嘆きの悲鳴は、遠く山を越えた集落にまで届いたという。
同じ時に同じ場所に居た、王国から派遣された駐在兵や役人……他の村からの野次馬達には何も起こらず、間違いなく『贄の民』だけを選別して行われた悲劇。
それは長く、この地方で語り継がれていくことになる。本物の怪現象として。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
『――収容は滞りなく完了しました。事前に聞いていた通り近しい血統での近親婚が繰り返されていたのでしょう。診断の結果、程度は様々ですが過半数の者に遺伝子の異常が発見されました。深刻な者には船内の医務室で出来る範囲で初期治療を開始する予定です』
「わかった。報告ご苦労」
『いえ……それでは報告を終わります』
遠く離れた場所との会話を終え、アトラ王ウェズ・ラ・イール・ソレス・アトラは深く息を吐いた。
安堵と、溜息の多分に混ざり合った息だった。
近頃、自らの血を引いていることが発覚した子供達に、ほろ苦い感情を零す。
「なあ…………凄まじく怯えられているらしいんだが」
「空からお迎えになど行かれるからですわ。どうして飛空艇で向かってしまわれましたの……」
「いや、だが、英雄殿は空を飛んでいただろう? だから飛空艇も大丈夫かと」
「お待ちになって? もしやウェズ様……現代人の判断基準をお兄様に置いておられません!?」
「何か問題が?」
「大ありですわ! いえ、考えてみますとウェズ様やアトラの人々が知る『現代人』はお兄様やわたくし達だけですけれど……お兄様を基準に判断するのは止めて下さいまし! お兄様は特殊な……そう、お兄様は『人類』ではなく『お兄様』の枠に分類して判断するべき方ですのよー!」
その日。
ウェズライン王国から……いや、一つの大陸から、『贄の民』は姿を消した。
様々な問題の調整役に王宮へと招かれていたティタニス・ルタトゥーひとりを残し、他の者は一人残らず消えてしまったのだ。
空に奪われたという要領を得ない証言もあり、『贄の民』に起きた不幸は暫く謎の現象として王国上層部の頭をたいそう痛ませたらしい。
「ところで……『贄の民』の怯えは、お迎えの使者があの防護すーつ?の頭を取れば解決するのではありませんの?」
「前にも言ったと思うが、我々の肉体は長い冷凍睡眠で弱っている。まだ万全の状態とは言い難く、防護スーツに組み込んだ生命維持装置で生きながらえているような状態だ。回復が完了するまで、施設の整っていない場所では頭といえど簡単には取れない」
「あら……? ですけれど、ウェズ様は取ってお顔を見せて下さいましたわよね?」
「朕の場合は、肉体の損傷が他に比べて軽度であったからな。王族特権で使用した冷凍睡眠装置が最高峰にして最新のタイプでな……他の者が使用したものより高性能だったんだ。お陰で、今この大陸で最も元気な者のひとりが朕だ」
「防護すーつ?からは判断できませんけれど、他の方々は頭を取ることすらできませんの……不便ですわね」
「医療施設の整った場所であれば、防護スーツを脱いでも構わないのだがな。代わりに医療用のカプセルに入ることになるが。冷凍睡眠から覚めて以来、国民は昼は防護スーツ、夜は医療カプセルで過ごしている」
「窮屈な生活ですわね……」
「なに、一年もすれば普通の生活を送れるようになるだろう」
「アトラの進んだ技術で、一年もかかりますの!?」




