救国の巫女
アイシア・バステトは、アヌビスティア国を襲った未曾有の大災難を救った巫女として一躍名を馳せた。
元々は国の聖女として擁立されてはいたものの、聖女らしい功績がなかった彼女に対して、周りは素っ気なかった。否、むしろ冷たかったと言ってもいいだろう。
それが一夜で評価を覆したのは、やはり魔獣の大群を聖女として駆逐したからに他ならない。実際には本当の聖女の補佐として奔走しただけではあったのだが、表向きの聖女として動くという約束を女神と交わした以上、その功績はアイシアのものとなったのである。
この国の獣人族五大家門の筆頭であるバステト家出身であるアイシアは、見る者を魅了する美しい顔立ちと思慮深い眼差しを持つ。育ちの良さが現れる所作はとても優美で、彼女の一挙手一投足は常に注目の的となっていた。
年齢は24歳。年頃の獣人族でもある彼女には、これまではそれなりに寄せられていた縁談が、今では山のように殺到していた。
救国の巫女を嫁に迎えたい、或いは、筆頭家門のバステト家と縁続きになりたい、そんな思惑が孕んだ縁談の申し込みの数々。そんな山を前に、アイシアは物憂げな表情で、俯き加減で目を逸らすばかりであった。
押し寄せる縁談を断るのは家門の当主の仕事だ。終わりの見えない「お断り」の文面を書き続けていたバステト家当主のネフェルティ女公爵は、ある時、とうとうアイシアに向かって聞いてみたのだった。
「ねぇアイシア。この山の中の誰一人にも興味が無いのなら、もう心に決めた人がいるのではなくって?」
美しい顔立ちの女公爵を前に、アイシアは気まずそうに目を逸らす。
巫女とは言え、元はバステト家のお嬢様である。思ったことをすぐに口にしない等の令嬢教育はしっかりと施されていた。言い淀むアイシアの様子を見て、女公爵は面白そうに微笑んでみせる。
「あなたの心ひとつ、本音を聴かせてちょうだい。あとはわたくしが良いようにするわ」
「当主様、それはどういう意味でしょうか?」
アイシアの怪訝な表情に、ネフェルティはくすくすと笑う。
「わたくし達はバステト家よ。この国の獣人族の筆頭家門なのだから、多少はわがままも効くのよ」
彼女はそう言うと、アイシアに向かってにっこりと笑って見せた。
「さ、教えてちょうだい。好いた方はどなたなのかしら」
聞き出すまでは絶対に部屋から出さない、とでも言うように、ネフェルティは身を乗り出してくる。
断りの書面を書き続けるよりは、アイシアが望んだ相手との縁談を進める方が何倍も楽なのだ。
そうして、アイシアは彼の名前を打ち明けることになったのである。
ゼフュロス・ウル・ウラエウス。
王室直属の天空騎士団長であった。
「婚約前試験期間……ですか?」
アイシアの専属護衛である二等騎士レネは、聞き慣れない言葉に首を傾げる。
当初はアイシアの婚約と、その相手が彼女が片想いをしていた天空騎士団長であることに大喜びをしていたのだが、厳密には違うのだと説明をされてレネは困惑した。
「普通の婚約ではないのですか?」
「ええ。婚約ができるかを試す期間を設けるという制度なの」
「婚約ができるか」
アイシアの言葉をオウム返しに呟いたレネは、唸りながら頭の中で考えを巡らせている。その様子を見つめながら、アイシアは小さく笑った。
「バステト家は五大家門の筆頭家だから、より慎重に婚家を見極めるために作られたと聞いているわ」
「そうなんですね。……色々と奥深いのですね」
他人事のように頷いているレネではあるが、何かに思い当たったのか、ハッとした顔でアイシアを見る。ただならぬ様子にアイシアが首を傾げると、レネはしばらく逡巡してから言いにくそうに呟いた。
「ホルス家も……その、試験期間制度を使うんですよね……?」
レネには、ホルス家の次代当主の指名を受けた番が居る。ホルス家もこの国の五大家門の一角であるので、当然、その制度の執行を発動できる家柄だ。
だが、アイシアは小さく笑いながら首を振る。
「カミル様が試験期間を設けるとは思えないわ。だってあなたを生涯唯一の番と明言されてるもの」
「あ……」
「番とは試験期間は設けずに、そのまま婚姻すると聞いているわ。制度を発動するのは、番関係では無い間柄での話なのよ」
番を得られるのは、ごく限られた者達だ。運命的に惹かれあう事が多いが、番がいることに気付かずに生涯を終える者もいる。
獣人族にとって自身の番と出会うことは人生の目的とも言える。そのために番選定等の大規模な集団見合いなども開催されるくらいだ。そこで番を見つけられれば良し。番が居なくとも、良縁を見つけられれば重畳と言われている。
アイシアも一度だけ参加したことがあるが、あからさまに選別の目を向けられる空気感が苦手で、その後は参加していない。のらりくらりとそういった縁談を交わし続けた結果、家門のゴリ押しで好きになった男との縁が進みそうになっているのである。
「でも、ゼフュロス様との試験期間が上手く行けば、婚姻を結ぶんですよね?」
レネは素直だ。そしてアイシアを高く評価している。上手くいかないはずがないと信じきった眼差しで、アイシアを見ていた。
アイシアは曖昧に笑って俯く。
バステト家の要請を、格下のウラエウス家が断れるはずがない。試験期間の三ヶ月が過ぎたら、自動的に婚姻となるだろう。ただそこに、ゼフュロスの気持ちは無いも同然と思われる。
21も年の差がある女と、形だけの婚姻を結ばされるゼフュロス。そのことに対して、アイシアは申し訳なさや後ろめさを感じている。
ゼフュロスのことは好きだ。彼にアイシアの心と気持ちを捧げたいのも確かだ。だが、家門から打診された話となると、個人の恋愛感情は無視される。
アイシアはそれが少しばかり悲しく、やるせないのであった。
「ジジイ、今なんて言った」
執務机に突っ伏したゼフュロスを下目に見下ろす副団長カミルが低く唸る。頭を上げて大きく伸びあがりながら、ゼフュロスはため息混じりにもう一度同じことを口にした。
「だから。これは何かの間違いだ」
「どんな間違いだと? バステト家が手違いをすると思うのか?」
「そうとしか思えないだろう? アイシア様と俺が何歳差だと思ってるんだ。尚且つ、俺には子どもまでいるんだぞ? そんな男の元に国の聖女を寄越すか?」
ゼフュロスには、死に別れた前妻との間に10歳になる女の子がいる。騎士団長の仕事に忙殺されてはいるが、一人娘のことを可愛がっているのはカミルも良くわかっていた。
カミルは金色の目を細める。思惑のこもった眼差しをゼフュロスに向けて、ニヤリと笑って見せた。
「その国の聖女本人がそう望んでるんだから、大人しく受け入れろ」
「お前な、他人事だからって」
「他人事だ。だが、いつまでも一人娘のネリに母親がいない寂しさを押し付けるのは不憫だろう」
「ぐっ……痛いところを突くじゃないか」
ゼフュロスの弱点なぞ、カミルは把握済みである。カミルは顎を仰け反らせてゼフュロスを見た。
「クソジジイに愛だの恋だのが期待薄なのは向こうも承知だろう。なら、ネリの身近に置ける人物であるかどうかだけでも見極めたらどうなんだ」
「!」
「俺が言えるのはそれだけだ」
言いたいことを言うとカミルはさっさと引き上げる。
執務室を出る前に振り返れば、腕を組んで天井を見上げているゼフュロスがそこにいた。




