029 港じゅうで同じ数字
次の朝から、白霧港の取引札は一枚ではなくなった。
「三枚?」
ニコが机へ並べた細長い紙を見て、目を丸くする。
「港控え、持ち帰り控え、見届け控えです」
「見届けって誰が持つの」
「その場で見ていた人。集落でも商隊でも、どちらでも」
紙は増える。
でも、増やしたぶんだけ後から消しにくくなる。
一枚だけなら取られる。二枚なら揉める。三枚あれば、どこかひとつが残る。
前世でそこまで綺麗な仕組みを作れたことは少ないけれど、少なくとも今の白霧港ならやる価値があった。
「字が読めない人のぶんはどうする」
ヨナスさんが訊く。
「印を変えます」
わたしは三枚札の端を示した。
「港控えは青線、持ち帰り控えは二つ穴、見届け控えは角切り。触っても分かるように」
「細かいなあ」
「今日は細かいくらいでちょうどです」
広場の中央へ、まとめ板をもう一枚立てる。
『本日の出入り』
上段に入った品。
中段に出した品。
下段に残数。
「数字まで外へ見せるのか」
ヨナスさんが目を細める。
「残数はざっくりです。でも、その日の動きが揃っていれば充分です」
「隠すより、皆で覚えたほうが早いってことか」
「はい」
北森から来た薪束。崖向こうの根菜。春商隊が持ち込んだ灯油。
ひとつ動くたび、ニコが三枚札へ書いて、わたしがまとめ板へ太い字で足す。
ニナは薬草と保存油だけ別欄で確認し、診療所の残りを見てから判を押す。
広場の端では、北森の男が自分の控えを何度も読み返していた。
崖向こうの女は木片の裏へ同じ数を書き写し、春商隊の女商人は「これなら次の町でも説明しやすい」と笑う。
数字が港の外へ持ち帰られていく感覚があった。
「診療所のぶん、今日はここまで」
ニナが札へ印をつける。
「ここを越えたら喧嘩するよ」
「心強いです」
昼前、税吏がまた来た。
今度は帳付男に加えて、別の下役まで連れている。
見るなり、まとめ板へ不愉快そうな目を向けた。
「そんなものを出しても、正式帳面にはならん」
「正式帳面にはしません」
わたしは答える。
「白霧港の本日の数字です」
税吏は燻製魚の残数を指差した。
「昨日より減りが遅い。隠しているな」
「港控えをどうぞ」
わたしは一束ぶんの三枚札を差し出す。
「北森へ二、崖向こうへ一、診療所へ一。見届けはここです」
見届け札を持っていたのは、昨日の春商隊の女商人だった。
彼女は少し肩をすくめて、紙を掲げる。
「うちも同じ数字を書いてるよ。ここ、数字が揃ってるから寄りやすいんだ」
「北森も同じだ」
後ろから男の声が続く。
「薪二十束、乾果と針へ振り替え、残りは明朝」
「崖向こうも」
女が木片を上げた。
「根菜三袋、灯芯六、鍋把手二。書いてあるとおり」
そのひと言が、かなり効いた。
外から来た側まで、白霧港の数字に乗っている。
税吏の顔が、一瞬だけ止まる。
「薬草の数も合いませんね」
帳付男が口を挟む。
「見本棚では三日ぶんまでとあるのに、まとめ板は二日ぶんしか減っていない」
「今日の診療所搬出がまだだからです」
ニナが即座に返す。
「帳面を読むなら、時間順も読んで」
広場のあちこちで、小さな笑いが起きた。
誰も騒がない。でも皆、どちらが現場を見ているかはもう分かっている。
税吏は苛立ちを隠さず、新しい査定紙を出した。
「正式な再査定は三日後だ。それまでに過少申告が見つかれば、品の留め置きもありうる」
「留め置き対象の基準は」
わたしが訊く。
「正式査定で決まる」
「では今日も未定ですね」
紙の中身は、結局そこだった。
数字を定めず、止める権利だけ先に握ろうとしている。
「白霧港は三枚控えを続けます」
わたしはまとめ板の前で言った。
「持ち帰り控えを失くした人は、見届け控えで照合します。今日から集落ごとの残り札も残してください」
北森の男が頷き、崖向こうの女も木片を掲げる。
春商隊の女商人は、見届け札を指で軽く叩いた。
「同じ数字なら、こっちも揉めずに済む」
それが、白霧港の今の強さだった。
大金でも、兵の多さでもない。
港じゅうで同じ数字を言えること。
誰かがあとから別の束を持ち込んでも、皆が「違う」と言えること。
税吏たちは、まとめ板を睨むように見たあと、三日後の再査定だけを残して帰っていった。
でも今日は、前みたいに広場の空気が冷えなかった。
帰ったあと、広場の人たちはすぐには散らなかった。
自分の控えを見せ合い、板の数字を指でなぞり、残り札を結び直す。
誰かが守ってくれるのを待つ空気ではない。
自分の持っている一枚も、この港の盾になると分かった人の動き方だった。
数字が港じゅうへ渡ると、怖さは少し薄まる。
帳面は、閉じた机の上だけにあるものじゃなくなるからだ。




