021 春待ちの荷見板
往診箱の戻り札が少しずつ机の端へ積もり、診療所のまとめ板の数字が山を越えはじめた頃、白霧港の空気はようやく息をつける薄さになっていた。
でも、だからこそ次に詰まる場所が見える。
朝の広場で、わたしは大きめの板を壁へ立てかけた。
昨日、診療所に書いた『春の受け入れ』を、そのまま町の板へ引っ張り出した形だ。
『春待ちの荷見板』
上から順に四つ。
『港へ入れたいもの』
『港から出せるもの』
『急ぎのもの』
『寝かせる場所』
「荷見板?」
ニコが背伸びしながら文字を読む。
「春になったら荷が増えます。人も来ます。増えてから決めたら遅いので、先に見えるようにします」
「まだ来てないのに?」
「来る前だからです」
白霧港は冬のあいだ、足りない物を埋めることで回ってきた。
けれど春は逆だ。止まっていたものが、いっせいに動き出す。
薬草を欲しい集落。塩や釘を持ってくる行商。道路の様子を見に来る兵。南から様子見で寄る商隊。
その全部が同じ場所へ流れ込んだら、冬を越えた港は今度こそ人の多さで詰まる。
「受けたいものは、布、灯油、釘、車輪の鉄輪、粗塩」
わたしは炭筆で書き込んでいく。
「出せるものは?」
背後からカイル様の声がした。
振り向くと、雪解けの泥がついた長靴のまま、彼が板を見上げている。
朝の見回り帰りらしい。
「燻製魚、干し魚、薄粥用の粉、乾果、熱さまし草の束。薬草は出しすぎないよう量も書きます」
「数も出すか」
「はい。出せるように見えて、実際は出せない物がいちばん信用を削ります」
わたしは『熱さまし草 三日ぶんまで』『喉葉 二日ぶんまで』と小さく追記した。
出せると書くことは、断る線を先に引くことでもある。
前世でも、在庫表は約束の紙だった。
ヨナスさんが板の端へ寄ってきて、鼻を鳴らす。
「寝かせる場所まで書くのかい」
「港の外から来る人にとっては、どこへ荷を置けるかも同じくらい大事です」
「確かに、春一番の頃は皆あわてて同じ倉へ突っ込むからな」
そこでわたしは四段目へ、さらに場所名を並べた。
『魚と加工前 大倉北棚』
『薬草 診療所裏棚』
『乾物 旧塩倉』
『濡れた荷 積み替え庭予定地』
「予定地?」
カイル様がそこだけ拾う。
「今から作ります。倉へ入れる前に荷をほどく場所が要ります」
「お前、もう場所まで決めているのか」
「昨夜、詰まりそうな場所を思い出していました」
桟橋脇の空き地だ。
冬のあいだは薪置きにしていたが、春は人と荷を一度受け止める庭にしたい。
すぐ倉へ入れない荷、値をつける前の荷、濡れて乾かしたい荷。
そういう半端なものの置き場がないと、現場は一瞬で荒れる。
午前のうちに、崖向こうの小集落から人が来た。
診療所へ戻り札を持ってきた少年の母親だ。布袋の中には、春先の根菜と乾いた薬草、それから小さな木片が入っている。
「これ、向こうの皆で相談して書いたんだよ」
木片には、ぎこちない字で欲しいものが並んでいた。
『粗塩』『針』『鍋の把手』『灯芯』
「ちょうど欲しいものばかりです」
わたしが言うと、女はほっとした顔をした。
「そっちも出せるもんが分かれば、南から来た行商に頼みやすいからね」
その一言で、板の意味がもうひとつ増えた。
白霧港が欲しい物を知ってもらうだけじゃない。
外の集落が、自分たちの交渉にもこの板を使える。
それなら、ここは港の掲示板であり、北辺じゅうの注文票にもなる。
昼からは広場の板の前に人が溜まりはじめた。
台所番の女たちが、乾果はどこまで出してよいかを覗き込み、バルトさんは燻製魚の出す量を指で数える。
ニナは板の端へ『薬草交換 応相談』と細く書き足した。
「それ、便利ですね」
「候補って言ってたら誰も声かけないからね。少し前へ出しとく」
「押しが強い」
「春はそういう季節でしょ」
その通りかもしれない。
夕方、詰所へ戻ると、見張りの兵が南道からの知らせを持ってきた。
雪崩で閉じていた細道のひとつが、半日だけ通れたらしい。
その間に、南から軽い荷車が一台こちらへ向かったとある。
「様子見の先触れだな」
カイル様が紙片を読みながら言う。
「三日以内に着くそうです」
「三日で、迎える港を形にする」
無茶な期限に聞こえる。
でも、嫌ではなかった。
締切があると、準備は仕事になる。
「やります」
わたしが答えると、カイル様は短く頷いた。
「なら、明日から広場の板を基準に動く。町の連中にもそう伝える」
白霧港は、もう助けを待つだけの港ではない。
何を受け、何を返し、どこへ置き、どこまで約束するか。
その形を先に示せる港だ。
日が落ちる前、広場の荷見板へもう一行だけ書き足した。
『先触れ荷車 三日以内』
文字にした瞬間、春は季節ではなく、到着予定になった。




