日清戦争 -57 焦土戦術
日本軍最先鋒 日本軍第10旅団 田中義三
「ひどい…」
気球の再建これは将兵ではなく、技術屋の仕事である。しかも、新しい気球要員は本国から輸送する手はずになっている。これを考えると、田中をはじめとする気球部隊の兵士はしばらく手隙になった。これを見た上層部(佐藤正大佐・立見尚文少将)は無視しなかった。朝鮮半島東岸の元山からの山脈越え部隊。その兵站を支えた輸送において物資の差配に介入した田中はそれを平壌―鴨緑江までの間で適用できるかを確認する人間の一人と気球隊から引き抜かれた。名目は第10旅団長 立見尚文の従卒である。
「閣下…これでは…現地の朝鮮人は冬も越せません。朝鮮人を雇うことを考える前の問題です。」
平壌―鴨緑江の地域は清国軍が2度も行軍した地域である。平壌に向かう清国軍と平壌から敗走する清国軍。彼らは焦土戦術に等しい物資強奪を行っていた。家屋も放火されている。
「ああ。ここまでひどいとはな。西南でも戊辰でも…ここまではしなかった…」
日本はこの日清戦争が明治維新後、実質的初の外征になる。内戦しか経験していない。内戦では自国民から奪うわけにはいかない。だからこそ起きなかった焦土戦術対策。これが日清戦争で初めて必要になった。
その2つを前線で戦った立見には想定外の事象あった。
「略奪があったとは聞きましたが…ここまでひどいとは思いませんでした。てっきり元山から平壌の手法だけとり入れればいいと…思ったのですが…」
苦渋の表情を浮かべている田中、しかし、切り替える。
「ここで…民を守らない作戦を実施すれば…我々の戦の大義が失われます。食料と冬越し…我々の管轄下では死人は出せません…」
大義名分を掲げて戦争をする以上、できることとできないこと、しないといけないことがある。
「できるだけ…民を南に避難させましょう…食料も住居も頼ってきた流民はみんな平壌に送り込む。空き家が多い平壌に送り込めば…平壌での労働力が作れます。そこから物資輸送人員を確保できます。問題は平壌の食糧量そのものです。本国に輸送を求めましょう…現地民全員を今年の冬、越せるだけの。平壌にいたころとははるかに違う量です…」
日本本国 広島 大本営 9月下旬
「食料要求量が20万人分とはどうゆうことか!!我々は…3万程度しか送り込んでおらんぞ!!」
川上操六が叫んでいる。
「なんでも…清国軍が物資を略奪していったそうです。現地の平壌以北は…食料の現地調達すら不可能、すでに餓死者が出ている模様です。」
状況は最悪だった。朝鮮半島に進出するも清国は焦土戦術を使う。これまでの内戦ではありえない物資の不足
「朝鮮救護の大儀が失われかねない」
前線からの報告書には記述もある。これ以上の清軍は不可能…とまで書いてある。
「朝鮮の輸送路には頼れない…これ以上軍を朝鮮に送り込む意味はない」
平壌陥落時点で朝鮮半島への軍隊派遣はすでに決まっている2個師団 第3・5師団以上は物理的に不可能だ。史実でもそうだがこの時点で第2軍の編制は決まった。
「問題は朝鮮だ。すでに現地部隊は独断で平壌への流民流入策を始めている。ここに食料を送り込まないととんでもないことになる。」
厄介なことはこれである。報告書には『現地民の匪賊化を避けるための策』と書いてある。すでに朝鮮人による襲撃・物資の持ち逃げで苦労している日本軍にとって『軍隊すら狙う盗賊が増える』これは許容できない。
「報告によれば…現地には清国の敗残兵が山間部に流れ込んでいるという情報もあります。これとの結託も警戒事項です。現地の『流民と敗残兵の結託を防ぐ』ために平壌に収容管理する方針は…仕方がない側面があります。」
史実では出なかった食糧問題…いや正しくは史実では無視して多大な犠牲者を生んだ食糧問題だ。
「前線では独自の判断で…流民を食料で釣り、動員する行為が…なし崩し的に進みそうです。このままでは。これを支えるには食料の供給が必須です。放置すれば平壌で暴動が起きてしまいます。」
もう前線は動いている。後方も動くしかない状況だ。
「問題は食料供給だ。朝鮮はあてにはできん…」
食料を現地調達に頼る悪癖か、まずが現地で手に入れられるかを模索する。しかしその考えも…すぐに断ち切る
「政府は非協力的…現地は汚職蔓延…南部の東学党が再発これでは食料供給は実質不可能ですな…」
朝鮮の状況は最悪。朝鮮政府は日本に反感を持つ層がいる。現地の徴税担当は税率以上に徴収、差額を懐に収め民に徴収に応じる余力がなく、むしろ反発した東学党が再発しかけている。朝鮮国内は頼れない。
「国内からの輸送も船が足りなくて無理だ。いくらあっても…船が足りなければ現地が飢える…」
大問題はこれだ。日本国内には金に糸目をつけなければ食料はある。だが運べない。
「第2軍の揚陸を中止しますか?」
副官が聞くがそれに川上は切れる。
「馬鹿者!!朝鮮はこれ以上の軍を送り込む余地はない。新たに戦線を開くしか手がない。どうあがいても第2軍の枠は確保じゃ。」
第2軍の上陸は動かせない…
「ならどうするのですか 平壌にコメを送らねば現地が死にますよ…」
「遼東の上陸作戦は第1軍が鴨緑江に向かうという助攻あってこその策じゃ。第1軍が鴨緑江にたどり着けない場合、鴨緑江防衛の清国軍は第2軍に向かいかねない。」
(黄海海戦での海軍の戦果を生かすための作戦が…第1軍を殺す…これでは本末転倒ではないか!!…待てよ…)
「艦隊が…敵艦隊がいない…」
(これだ…これならいける!!)
「海軍に行くぞ!!」
第10旅団 司令部 立見 9月中旬
「鴨緑江まで出た偵察隊の情報・平壌で押収した農地の収穫量の情報から換算して清国の略奪の被害を受けた人口は推定30万 うち25万は村を捨てて山岳に避難している模様…というよりもその多くが…家を焼かれています。」
情報をまとめた士官が報告する。
「まずいな…山間部の村に避難することも考慮しても20万は冬を越せないでしょう…越せないのなら略奪に出る…この上、現地での食糧徴収などすれば…餓死者はもっと増えるぞ…」
他の士官が絶望的な表情をしている。
「戦の大義が失われるな…朝鮮を助けるために来たのに朝鮮人が犠牲になる。主因はわれらにあらずとも、現地調達すればわれらに責任が降りかかることになる…」
「仕方あるまい…食料がないんでは前進はできん。この状況では人夫を集めることもできん。進軍を停止して兵士に食料輸送させるしかあるまい。」
広島 呉鎮守府 10月1日
「想定よりもお早いお帰りありがとうございます樺山軍令部長殿」
史実では広島大本営に戻ったのが10月5日だった樺山資紀軍令部長は史実よりも早い帰国を果たしている。
「平壌の情勢は見てきた。流民の流入がすでに始まっておる。食料を早急に回さねばまずい。川上殿との話し合いが必要と考え早めに帰国についたわ。呉まで来ておるとは思わなんだが。そこまでひどいのか?」
樺山は切り上げたがゆえに…状況認知が史実より甘くなっている。
「20万です。」
川上は省略して述べる。
「なんじゃ?」
樺山は呆ける
「必要量は…20万人分の越冬と知らせが来ました。現地にいるのは3万なのに。」
誰もいないからこそ川上は机に肘をあてて頭を抱え込む。弱みを見せるリアクションに樺山は驚きを隠せない。
「すごい量じゃな 想像以上じゃ。そんなに最前線はひどいのか。」
「焦土作戦です…ここまでひどいとは思わなかった。現地から食料を徴収しようものなら…日本のせいで餓死者が出かねない。これでは戦の大義がなくなる…」
沈黙が支配する…それを破るは川上。
「このままでは第2軍輸送を延期して船団を平壌への補給に回さずを得ない…」
「それは困る!!今しか艦隊がいないときはない。今、第2軍を遼東上陸させないでどうする!!」
樺山は声を上げる。樺山は陸軍より海軍に移籍した珍しい人物。双方の事情がある程度わかる。
「清国艦隊で早急に動ける船は2-3隻程度、十分な護衛をつければいける。今しか第2軍を上陸する好機はない!!」
「第2軍のために第1軍を殺すのか!!それに第2軍揚陸も第1軍の陽動なしでは成功はおぼつかん。鴨緑江にいる清軍が第2軍揚陸予想地点の付近にいるだけで第2軍はおしまいだ。」
「ならどうしろと…」
「海軍の軍艦で…食料を運んではもらえんか。主力艦でなくともよい。沿岸用の船…港湾防備の旧式艦でもいい。民間の帆船を徴用することも考えた。汽船はすでにほとんど動員していて余裕がない。小型の風の船では量は運べない…」
「それは海軍の旧式艦を投入しても同じだぞ。」
「だが・軍艦とはいえ汽船。曳航してもらえれば足の遅い木造の帆船でも機動力を確保できる。これならまだマシにできる。」
「…わかった…私だけでは解決できない。広島で…山本にも相談してみよう…」
平壌 第1軍司令部 9月中旬
(樺山はすでに日本に向けて出発済み)
「最悪…春には20-30万人の餓死者が出る…。助けなければ大義が失われる…か。立見は何と言っている?」
山縣有朋も頭を抱えている。大義がある以上、助けないわけにはいかない。
「日本軍の占領地域は現地民が逃散。輸送人員がいないので進軍を停止、兵隊に食料を運ばせるとのことです。」
食料もない。人手もない。無い無い尽くしでどうやって鴨緑江に行けと。
「食料さえ確保できれば…第1軍を鴨緑江まで届かせられる…策があります。」
立見からの報告書を渡した伝令(気球部隊の指揮に戻るために帰還。同時に伝令になる)の田中義三は1枚のメモを差し出す。これは立見とは関係ない独断。
「食料供給が可能なら…できないことはない…」
メモは次の伝令船で日本に送られることになる。高級将校の手紙は検閲できない…これなら…
広島 大本営
「確かに現状、海上権(制海権)を確保できている」
話に来た2人に山本権兵衛はうなずいている。
「問題は清国艦隊だ。通商破壊に参加できる生き残り艦『済遠』『広乙』の2隻…損失を加味しても…何とかなる数字だ。現地民の被害を出せば…朝鮮を助けるという戦の大義が失われる。」
「20万人の冬越し食料…輸送できるか?」
「…できるっちゃできる…国内には…和船がある。蒸気船の普及で江戸期からあった和船の生き残りが。だが、この場合、足が遅い和船を送ることは死地に送ることに等しいのだ。強要はできん。」
その会談に駆け込んでくる人間がいる。副官だ。
「閣下!! これを!!」
手には新聞…号外だ。「芸備日日新聞」
見出しは『清国軍略奪にて死者多数。春までの餓死者20万至急食料を送れ』『船不足送れず』
の見出しが躍っていた。
「誰が流した…これでは助けんわけにはいかんだろう」言葉を発したのは誰かわからない。だが、笑みがこぼれていた。




