大狼2
八生の話が出てきたのは、二杯目のコーヒーを世間話と共に半分ほど飲み終えた、そのくらいの頃だった。
大狼の部屋の防音効果は確かに高いのだろう。長いこと話していたが、外の音はほとんど聞こえず、忙しなく動き回る科捜研の人間を小鹿はぼんやり眺めていた。なるほど確かに慣れというのはあるもので、一時間を過ぎた頃から大分居心地の悪さも取れていた。
「この間、八生さんと遊園地に行ったらしいな」
ぽつり、と零すような問いかけに反応できたのは、丁度小鹿も八生のことを考えていたからだった。
「ええ、まあ」
大狼と八生はよく似ている。二卵性の双子だと言われても信じてしまうくらいに似た顔は、細部、例えば眉の形だったり目の位置だったりが僅かに異なるくらいで、大狼が女装をすれば八生になるし、八生が男装をすれば大狼になった。小鹿はこの間珍しく八生の対面に座ったことを、丁度良く思い出していた。
「たまには騒がしい所に行ってもいいかなと思いまして……遊園地に」
答えると、大狼は「そうか」と頷いて少しだけ微笑んだ。感情の見えない微笑に戸惑うが、「楽しんでいたか?」という問いかけに、彼もまた兄なのだと思い至る。
(なんだかんだ言って、八生さんと大狼さんって結構年離れてるしな)
普段小鹿にはわかりかねる確執を抱えていようと、大狼にとって八生は大切な妹なのだろう。気にした様子に「楽しんでたんじゃないですかね」と小鹿は答える。
「遊園地と言っても見れるものに限りがあるので、ショーハウスみたいな所で着ぐるみのショーを観たんですよ。八生さん、珍しく感動した様子で、かわいい、かわいいって言いながら手拍子してました」
初めてあんな様子を見ました、と続けると、大狼は嬉しそうに頷いた。
「なんだかんだ、あいつは可愛いものが好きだからな。昔は誕生日にぬいぐるみをやるとそれはそれは大げさに喜んだものだが」
「そうなんですか、少し意外です」
八生の昔の話を聞くのは珍しい。小鹿は今の八生の部屋を思い出して、本当に意外だ、と心中呟いた。
今、八生が住んでいる部屋は、光化症研究所内の一室である。住むのに不便のないように、またプライバシーがきちんと守られるように、部屋の構造自体はどこにでもあるワンルームだ。小さいがキッチンがあり、トイレと風呂があり、収納スペースもそこそこ備わっている。ただどうしても普通の部屋と違う、と感じてしまうのは、八生の部屋には私物が殆ど置かれていないからだった。
(八生さんの部屋、病室って言われてもおかしくないからな)
戸棚に花瓶は置かれているが、基本的に足をがっしり保護されている八生は、動くのに苦労がいる。介護用ベッドの上にいることが殆どだし、動くときは車いす、車いすが入れるように家具は最小限しか置かれておらず、せっかくキッチンが備わっていても、何かをすることはあまりないと聞いた。唯一嗜好品として置かれているのは、小さな本棚と、その中にいっぱい詰まった文庫本だけだ。
「八生さんの部屋の文庫本、大狼さんが持って行ってるんですか?」
それで、ふと聞いてみた。一度タイトルを眺めたことがあるが、小鹿は読んだことのないタイトルばかりでわからなかった。八生の話を聞く限り、ミステリからファンタジーまで、雑多なジャンルが詰まっているらしいが。
「……あそこに入所してからやることがなくなってしまったと聞いてな。気が向いたら持って行っている」
俺は八生さんの好みの本が何かは知らないのだが、と、大狼は困ったように眉尻を下げた。
「この間読んだミステリは面白かったと言ってましたよ」
「この間読んだミステリ?」
「ええと、タイムリープを題材にしている本、と言ってました。貰った本はすぐ読んでしまうって言ってたから、大狼さんが最近あげた本とかじゃないですか?」
言えば、大狼は「あれか?」と考え始めた。
「八生さん、ミステリもの好きそうですし、今度何かシリーズを買ってあげたらいいんじゃないですか」
「喜ぶだろうか」
「喜ばなくても暇つぶしにはなるでしょ」
シリーズって続き気になるし、つけたしながら、そう言えばこの間聞いたそのミステリも、シリーズのようだから続きが気になる、と言っていた。
ならば続きを買ってこようか、と聞いたのだが、八生は恐縮したように迷惑かけられない、というと、とうとうタイトルを教えてくれなかったのである。
大狼はひとつ頷くと、ありがとう小鹿くん、と言った。
「次行くときは、この間の本の続きを買っていこうと思う。確かに毎度、目についた本を買っていたからな。続きものかどうかという配慮をすっかり失念していた」
参考になった、と大狼がしきりと頷くので、小鹿はなるほどこれが本題か、とようやく今日の大狼の目的を察した。八生に本を渡しているものの、喜んでいるのかどうかわからず、かといって何も持っていかないのも気が引けて、相談したかった、と言ったところだろう。
(自分の方が毎日会ってるくせにな)
兄妹なのに、大狼は八生のことを深く知らない。否、小鹿より余程八生について知っているだろうが、あるいは友人として、家族として知っているべき最低限のこと……趣味嗜好など、を、殆ど知らないようだった。入所前の八生については知っていても、入所後の八生について知らないのだ。まるで知ることを恐れているかのように。
「……大狼さん、何を怖がってるのか知らないけど。もう少し八生さんと話をしてもいいんじゃないですかね」
お節介を承知でそんなことを呟くと、大狼は困ったように苦笑して「できればいいな」と呟いた。
「こういった問題は俺一人の問題ではないだろう。八生さんが話をしてくれるなら、もちろん、聞く覚悟はあるさ。同様に、八生さんが話を聞いてくれるなら、俺だって話をしたいと思う」
小鹿は肩を竦めて「そうですか」と答えた。どうしてもこの二人は似た者兄妹らしい。
(そうやって主導権をお互いに譲り合っているから進展しないだけなのにな)
もどかしい、とは思えど、第三者である小鹿が口を出す問題でもない。
丁度、カップのコーヒーが空になったのもあって、小鹿はそろそろ、と腰を上げた。大狼の目的も終わったようだし、いつまでもここに居ては先輩たちにどやされるだろう。
「じゃあそろそろ俺、行きますね。コーヒー、ご馳走様でした」
「ああ、また、八生さんのこと、よろしく頼むな」
大狼は目を細めて手を振った。引きとめる様子がないのを見るに、本当に話は終わったらしい。
(自分でやればいいのに、そういう役割を俺に譲った理由、が、よくわかんねえんだよな)
小鹿もまた一度だけ手を振りかえし、それからガラスの部屋を後にした。




