小鹿5
ガラスの部屋の中で、大狼はデスクに座りコーヒーを飲んでいた。壁に掛けられたテレビが二台とも、ニュースを流している。音声が出ているのかどうか、部屋の外にいる小鹿にはわからない。ただそのうち一台は字幕が流れているので、消音にしているようだ。どちらも違う番組だったが、流れているニュースはどうやら同じものだ。規制線の外側から、緊迫した様子のアナウンサーがマイク片手に状況を説明している、らしい。後ろに映っている白いマンションが同じ場所だった。
扉の前まで来ると、大狼はノックをせずともこちらに気が付いた。ガラス張り、ということは、大狼側からも外の様子がよくわかるということだ。手招きされて小鹿は遠慮なく室内に入り込む。重いガラスの扉を開ければ、すぐに聞こえるテレビの音。やはり一台は消音に、一台は音を流しているらしい。つい先ほど起きたニュースのようで、速報、というテロップが見えた。
「思ったよりも早かったな。きちんと報告書は仕上げたのかい?」
視線はテレビに向けたまま、大狼は問うた。小鹿は「はい」と頷くと、断りなくソファに座る。そこ以外に座る場所がないのもあったが、大狼はそれくらいで目くじらを立てる男ではなかった。小鹿が座ったのを見とめてから、「懸念していた通りだ」と大狼は言う。
「小鹿くん、正直に、俺が話した内容を正確に覚えているか?」
「ええと、大狼さんが話した内容、というと、」
この間のことだよ、と大狼は続ける。小鹿は曖昧に「一応」と頷きかけたが、瞬間大狼の顔がこちらを向いたので、「正確ではありませんけど」と口ごもるように答えた。どの程度を「正確」とするのか不明だが、ついさっきまで忘れていたことは事実だ。
「覚えていてほしい、と言われたことは覚えています。事件の概要も……大狼さんは、俺がさっき出会った女性が、何かしらの重要人物だと考えてますね」
代わりに大狼の言いたいだろう内容を口にすれば、大狼はうむ、と大きく頷いた。予想は当たっていたらしいが、ならばやはり、小鹿は大狼の期待を裏切ったことになる。
(正直に、情報らしい情報はほとんど得られなかったからなあ)
「ところで小鹿くん、君が休憩をしたというそのコーヒーショップは、児童公園の近くにある商店街の店だったかな?」
「そうだと思いますけど、どうして?」
「次の事件がちょうどその近くで起こったからだよ」
ほら、と、大狼はテレビを示した。
それで初めて、小鹿もテレビに意識を向ける。ニュースキャスターはこんなことを言っていた。
『本日夕方十六時過ぎ、××公園付近のマンションで男性の死体が発見されました。亡くなったのはマンションの住民の矢島隆さん二十八歳で、第一発見者は隆さんの妹とのことです。発見当時、隆さんはベッドに横になっており、まるで〝九十を超えた老人のようだった〟とのことです。同様の変死体が発見される事件が市内では相次いでおり、警察は関連性を調べるとともに、光化症能力者による殺人事件の可能性があるとしています――』
パッと画面が切り替わり、第一発見者らしい妹のインタビューへ移る。動揺した様子の妹は、首から下だけ画面に映っており、「あれが兄だと今でも信じられません」とインタビュアーに答えている。
「同一犯ですか?」
「だろうな」
大狼の言ったとおり、事件現場は小鹿が彼女と遭遇したコーヒーショップの近くだった。とはいえ、ちょうど発見時刻の少し前に小鹿は彼女と話をしている。この間の大狼の話を踏まえるのなら、今回の殺人事件の犯人は特異能力の代わりに状態異常系の代償を持っていると考えられ、とてもじゃないが、彼女にそのような兆候は見られなかった。
(あるいは、誰かと話をしなきゃいけないとか、そんな感じの代償だったらわからないけれど)
具体的にどのような事象が代償となりうるのか、小鹿にはわからない。そのあたりは大狼でさえ調べきれていないというのだから、何でもありなのだろう。小鹿のように食べて終わりの能力者もいれば、有馬のように重大なものを失っていく能力者もいる。あえていうならそれらはすべて「運」で決められており、統一性のない「ランダム」な事象だった。そも、光化症の発現自体が「ランダム」だ。
「まさか君と出会った女性が犯人だと断定はしないが、この、矢島隆さんを殺害したのは少なくとも数日前だと考えてよいだろうな」
「どうしてですか?」
「状態異常系の代償の可能性が高い、とこの間は話をしたな。状態異常は基本的に一定時間特異な状態に陥るものだ。この事件の犯人のように、人ひとりを殺害するレベルに能力を使用したとなれば、その代償は大きく、急速に表れると考えられる。となると、比較的事件現場近くで代償が終わるのを待っている可能性が高い」
「ああ、つまり、仮に彼女が犯人だったとして、それは代償がクリアされたから外に出てきた、と、そういうことですね?」
「その通り」
答えを示すと、大狼は嬉しそうに目尻を下げた。
「今では街中でも光化症患者を見かけることが増えたがな。絶対数はまだまだ少ない。光化症予備軍は非常に増えているらしいが……君の話を聞く限り、その女性は最初期からの患者というじゃないか。能力持ちである可能性は高いし、不自然に君に近寄っているのも気になる」
不自然だっただろうか? と考えて、すぐに思考を放棄するくらいには、確かに不自然だった。いくら同じ光化症患者だったからといって、視線が合っただけで相席をするだろうか。下手なナンパと同じである。
(もっとも、この場合は逆ナンになるのかな)
詮無いことを考えて、小鹿はなるほど、と口の中で呟き返す。不自然に、ということは、光化症患者であれば誰でもよかったのか、小鹿が何者なのかわかったうえで近寄ってきたのか。
「どちらにせよ、下心があって近づいてきたのは間違いないだろう。彼女とどんな話をした?」
「どんなって、それほど突っ込んだ話はしてないですよ。さっき話したくらいで……」
戸惑って大狼を見つめたが、大狼は「ではもう一度」と返すだけで、この話を終わりにするつもりはないらしい。らんらんとした瞳は好奇心にあふれていて、こうなった大狼を止められないのは小鹿もよくよく知っていた。元来、好奇心の塊のような男なのだ。仕方なしに肩を落とす。
「ええと、はじめ、八百屋で買い物をしている彼女を俺がぼんやり眺めていて、そうしたら急に振り返った彼女と目があって――」
そうだ、と、小鹿は思い出す。彼女の光化部位はカーディガンで覆われる場所、ワンピースの薄い布地では日中隠せないレベルの光化深度であることを。
(それは、直接聞いたわけではないけど)
ほぼ間違いないだろう。彼女が来ていたカーディガンは、少し裾の短いタイプのもの。覆われていたのは腕、肩、胸回り、背中。腹は裾の長さが中途半端なのもあって、光化部位ではないだろう。話しぶり的に、腹が光化部位ならばもっとしっかり腹にかかるような服装をするはずである。
(まあ、ワンピースの下に何か着てたっていうならわからないけど)
思いながら推測を告げると、大狼はふむ、と真剣なまなざしで「でかしたな」と呟いた。
「今の話でおおよその見当はついた。その女性の光化部位は心臓付近とみて間違いないだろう」
「え、なんでわかるんですか?」
きっぱりと断定した大狼に、小鹿は首を傾げる。正直に、小鹿の推測以外にヒントは何もなかったし、その推測だって外れているかもしれないのに、なぜ断定できるのか。大狼は「彼女と君の会話と、君の考察を踏まえれば見えてくるよ」と笑う。
「まず、今日彼女が着ていた服装がワンピースだということ。どのようなタイプのワンピースかは知らないが、君の口ぶり的に、今日は天気も良かったから、きっと袖の短いタイプのものだろうと思う。もとより、冬物のワンピースでなければ基本的に袖周りは軽い作りのデザインが多い。
次に、彼女の発言だな。厚着をして出かけるようになった、と言ったそうだが、そのあとに余分に着込む必要のない場所、だとも言っている。つまり、普通に服を着れば必ず隠れる場所が光化している、ということだ」
言われてみれば、と小鹿は言葉を思い返す。確かに彼女はそのように言っていた。あの時は自分の手袋について指摘を受けて、少し不快な気持ちになっていたから気が付かなかったが、確かに読み解けば大狼の言うとおりだった。普通に服を着れば必ず隠れる場所……つまり、肩や腕が光化しているとは考えにくい。
「となれば胸回りか背中だといえるが、背中が光化していた場合、部屋を暗くしたところで自分一人ではなかなか光化に気づきにくい。背中は後ろを向いているから、どうしたって光化による光も後ろを照らすからな。部屋を暗くしてぼんやり光っているのに気付いた、くらいだから、すぐ視界に入る場所が光化していたんだろう。となると、考えられるのは胸回り――心臓付近だ」
「でも、それじゃあ、」
心臓が光化することってあるんですか……?
問いかけた小鹿の声は少しだけ震えていた。内臓が光化しないとは限らない。意外な光化部位で言えば、小鹿は有馬の両目にだって驚いた。視線を合わせない前提で光るところを見せてもらったことがあるが、まるで夜行性の動物のように、はっきりと両目が光っていたのである。瞳、という特殊な場所だからか、小鹿の左手よりはやわらかい光だったが、それでも暗闇の中で見えてしまう光は異様だった。見る人が見れば、美しいと思うのかもしれないけれど。
だから内臓が光化することだってあるだろう。小鹿が出会っていないだけで、光化症研究所に行けばいくらでもいるのかもしれない。
大狼は渋い顔のまま「わからん」と曖昧に答える。
「わからんって……」
「心臓の光化は見たことがない。第一、外部に光が漏れるまでにどれだけの障害を通らねばならないのか、考えただけで気が遠くなる。それが外に光が漏れて、かつ〝ぼんやりと〟でも周囲を照らすくらいなのだから、どのみちその女性の光化深度は重度に認定されるだろう」
だからこそ、だ、と大狼は続けた。
「それほどの深度を持っているなら、能力が強大であっても不思議はないだろう。仮に成長促進であるとして、心臓に触れることはできないから……能力使用条件は、音、か、何か」
「音?」
耳慣れぬ単語に問い返す。大狼は「そう、音」と繰り返すと、そこでようやくテレビを消した。ぷつり、と、二台とも真っ暗になって、室内に静寂が戻る。大狼は残っていたコーヒーを一気にあおると、「研究所のほうにな、一人そういうやつがいる」と教えてくれた。
「具体的な能力は教えられんがな。声帯付近が光化しており、一定時間そいつの声を聴いたものに影響が見られた。そいつは消失系の代償でな、聴力がほとんどない」
仮説だが、と大狼は前置くと、渋い顔のまま話を続ける。
「比較的表面にある光化は接触によって能力が生じるが、内部に起こった光化については、その内部を経由して起こる音であったり、振動であったり……伝達して起こる〝モノ〟について能力が生じるように見える。有馬くんの視線もそうだな」
光化症も、光化症による能力についても、いまだ未解明な部分が多い。大狼は光化症研究の第一人者で、きっと世界中の誰よりも光化症について詳しいだろうが、それでもなおわからないことだらけなのだと言った。
「未知の世界から舞い降りてきた、病気なのか異能なのか……それすらもわからない。ただ光るだけで人体に影響が全くないともいえない。だから、どんなことが起こったって、〝ありえない〟とは言えないのだ」
「……少し、難しいですが。わかります」
「しかし犯人は巧妙だな。こう立て続けに起こればさすがに警察だって共通事項を探す。容疑者が割り出されれば、いよいよ光犯課に話が行くだろうに。来ないということは、容疑者すら絞れていないということだ」
つまり、共通事項が全く見えない状態。小鹿は一つ頷いて、「次も来ますかね」と大狼に問う。
「さあ、こればかりは……せめて君が、彼女の連絡先でも聞いておいてくれればよかったんだがな」
犯人であってもなくても、重度である可能性が高いのならば、大狼としては実際に会って話を聞いてみたかっただろう。
「いっそ、光化症研究所なら何か情報あったりしないんですか?」
あそこ、全国の光化症外来の診察履歴が見れるでしょう。何気なく呟いた小鹿の言葉に、大狼が「あ」と声を上げてこちらを見つめる。珍しく間の抜けた表情に、「もしかして」と呟くと、大狼は気まずそうに視線をうろつかせた。
「そう、そうだったな。気が付かなかった」
恥ずかしそうな様子に、大狼もこんなことがあるのかと意外に思う。八生のこともあって、大狼は研究所とそれなりに深い付き合いをしていたと思ったが。
「大狼さん、疲れてるんじゃないですか?」
からかい交じりに続ければ、うるさい、と小さな声が返ってきた。




