90.消えたくない
「単刀直入に聞くけど、透って家庭環境に難あったの?」
「無いです……」
「虐められたこととか」
「無いです……」
「スケープゴート未遂」
「無いです……」
「理不尽英才教育」
「無いです……」
「えーと……盗まれた薬が……」
「仮に最後のがあったら怖過ぎるんだけど」
ラウダが俺の背後事情を気にし始めてしまった。
しかも自分たち基準で。改めて聞くと、辛い境遇の子ばかりなんだよね。
すみません。
本当に、本当に大した経験は無いんです……。
「俺は入った会社がちょっとアレで、全然実家には帰れてなかったんだけど……家庭環境はむしろ良好な部類だと思うよ。何かを強要されるようなことも無かったし」
「……」
「あとは控えめにいっても『よくできた姉さん』がいた。でも差別されるようなことはなかった。しかも姉さんは義兄さんと甥っ子連れてめちゃくちゃ実家帰ってるみたいだから、姉さん視点でも悪くない実家だったんだと思うよ」
「えーと、交友関係とかは……?」
「入った会社がちょっとアレだから連絡途絶え倒してたけど、それでも葬式には来てくれたんじゃないかなって思えるくらいの友人は複数名」
「か、彼女とか……」
「いたことはあるんだけど、入った会社がちょっと」
「入った会社に今から潰れてもらうことってできる!?」
「えっ!?」
ヤバい。会社のせいで俺の人格が狂った的な解釈された気がする。
会社の名誉のために弁解……は、しなくて良いか。言われてみれば、アレなのは否定できないし。
「入った会社に関しては下手すると潰れかけてるから放置でいいと思う。……でも、会社に影響受けてる気はしないんだよね、元からこういう気質というか」
「自分度外視気質?」
「そんなことは……」
そう返せば、ラウダにため息を吐かれてしまった。
「いや、透は自分のことは度外視気味だよ、本当に。自分を過小評価しすぎ」
「そうかなー……」
「そうだよ。だから根本的に何かしら悪い理由があるのかと思って。……無いみたいだけど」
悪い理由はない。
でも考え方に変な癖がある、と指摘されてるのは分かってる。
だから俺は少し考えて……分かった。
「俺はさ、純粋に人の笑顔を見るのが好きなんだよ」
「笑顔?」
「そう。笑っててくれるなら、幸せそうな姿を見せてくれるなら。俺にできることならなんだってしたい、その姿を見てるだけで幸せだからって」
……別に、自己犠牲の精神があるわけじゃない。
俺はただ、皆に笑ってて欲しいだけだ。
「特に辛い思いしてきた子には、その分だけ笑ってて欲しいって思うんだよ。俺の自分勝手なエゴだけどね」
ゲームの登場人物ってだけで酷い思いをしてきたラウダたちもだけど、明里さんにも、奏音ちゃんにも。
俺の言葉を聞いて、ラウダは少し遠くを見つめた。
「オレたちが置かれてきた環境のせいか……そうだよね、透が拗らせるからそのまま消えて欲し……じゃなくて、オルフェウス殿下も相当に酷い目に遭ってるわけだしね」
「オルフェウスに暴言吐きかけたの聞き漏らしてないよ?」
「ごめんなさい」
この子、だいぶ過激だよな……。
俺たちは明確に例外として扱ってくれるし、普段は表面には一切出さない。
でも根底の王族貴族嫌いは絶対に変わってないから、仕方ないとはいえ……。
「いや、流石にもう理解してるんだけどさ。明里さんと奏音ちゃんを含めて、本当のオルフェウスを求めてる子があまりにも少数派なのは、分かってるんだけどさ……」
本格的にシベリウスとアリオーソだけ、なんだよな。
あのふたりは俺のことも求めてくれたけど、彼ら以外は多分、全員……。
「先生方は違うかも、だけどさ。聞いたことがないから、分からないんだよね」
俺がそう呟くと、ラウダはゆるゆると首を横に振った。
「ごめん、先生方も絶対に透に寄る。大人の対応してくれてるけど、申し訳ないけど平民ってだけで透による理由としては十分なんだよ」
——身分が『平民』ってだけで俺が選ばれるとか酷すぎるだろ!?
「そんなんだから革命の危機に陥るんだよ! ふざけんなよバルカローレ!」
「暴言の規模がデカい!」
……いけない。
オルフェウス個人どころか、国に対して暴言吐いちゃった。
俺の暴言を聞いたラウダは、思わず、という感じで苦笑する。
「透は完全に庇護欲の化身だから、周りの人間を守りたがるのは仕方ないとして。そこにも言いたいことは山ほどあるけど、今は諦めるとして」
「すみません」
庇護欲の化身は本当にごめん。
これって結局「下に見てる」って強く言われたら否定できない奴なんだけど、それでも俺にとっては本能みたいなものなんだ。
その辺は分かってくれてるみたいで、ラウダは何も言わない。
彼は黒い瞳で俺の顔を覗き込んできた。
「多分ね、透は自分と相手を天秤に掛ける癖があるんだと思うよ?」
「天秤?」
「申し訳ないけど明里と奏音の人生は悲惨だし、普通だとは思えない。さらに言えば、オレたちはそもそも不幸を約束された存在だからね。……それと比べたら自分の方が恵まれてるからって、自分の優先順位を下げるべきだって、思ってない?」
自分の優先順位を下げるべき……ああ、そうだね。
そう言われてしまうと、自覚はある。
「透は甘えるべき時は甘えられるタイプだし、別に『自分が幸せになるのは許されない』的な思考はしてないんだろうけどさ。無意識かもだけど、優先順位下げてるんだと思うよ、あなたは」
「あはは……何というか、下げてもどうにかなるから下げちゃってたのはあるかも。衝動的にやっちゃったこともあるけど……」
「衝動的にやった件は多分、あなたが思ってるよりアリオーソは堪えてるから本当に反省して欲しい」
「すみません」
『どうにかなればいいと思うな』って遠回しに言われちゃった……。
とりあえず、アリオーソを精神的なフォロー必須状態まで追い込んだのは察した。
……本当に、ごめん。
ラウダは深々とため息を吐いた後、ちょっと気まずそうに目線を泳がせる。
「あとさー……それとさー……特にシベリウスが気にしてたんだけど……言っていいのか、ちょっと悩むんだけど……」
「含ませるのやめて……」
一体何が言いたいんだ、この子は。
それとなく発言を促すと、彼は躊躇いがちに口を開く。
「……相手が明里だから言えなかったって自覚は?」
「え……?」
「好きな子を絶対に悲しませるって自覚があったから、言えなかった。……違う?」
好きな子。
あまりにも、ストレートな言葉だった。
これには、一周回って冷静になってしまう。
だから、素直に答える。
「彼女は、さ……俺にとって、一番笑ってて欲しい子で、一番守りたい子なんだよね。そもそも君たちとは、ちょっと方向性が違う……というか」
「……」
絶対に悲しませる。
ああ、そうだね。……間違いなく、そうだろうね。
「俺だけは前世とかそういうのじゃないって確信したのが、結構最近だから。あの子に対して、その手の感情を抱いた後だったから……だから、言えなかったんだろうね」
本当に無意識、だった。
どれほど想ってくれてるのかは分からないけれど、自惚れかもしれないけれど。
明里さんが俺を大切に想ってくれてるのは、流石に分かってる。
分かってるからこそ……言えなかった。
「透が奏音に伝えてなかったのは、あの子は学年違いな上に、いつも明里と一緒に動いてるから。だから、結果的に伝えるチャンスが無かったから……かな?」
「……うん、そうだと思う」
立てた膝に、顔を埋める。
ただただ……情けなかった。
「年齢差、そこそこあるんだけどなぁ……」
「そういう問題じゃないんじゃない? 透とは違う感情だけど……大切な人を悲しませたくないっていう気持ちは、オレにも分かるから」
この子は身分のせいで酷い虐めに遭ってるって家族に気づかれたくないから、ずっと実家に帰れなかったんだろうしね。
確かに、大切だからこそ言えない、気づかせたくないっていう気持ちは分かってはくれると思う。
「……」
分かって、くれるだろうから……余計に、しんどい。
「消えたく、ないなぁ……」
うっかり、本音が漏れてしまった。
訂正しようにも、ここまではっきり言ってしまったらどうしようもない。
どうしようもないし、そもそも、その気力がない。
どんな表情をしているのかは分からないけれど、ラウダが軽く息を吐き出したのは分かった。
「なんか色々考えてるっぽいし、そのまま吐いたら? オレ相手なら行けるんじゃない?」
それはシベリウスやアリオーソには言えないだろうけど、という意味だ。
でも、オルフェウスには聞かれてると思う。なのに……ごめん。
「何度か、明里さんに手を伸ばしそうになっちゃったんだよな。心の底から、彼女に触れたいって思ってしまった……だけど、それは許されないって、その度に、自分を戒めた」
もちろん、その手の振る舞いが求められる時は例外だ。
けれど、私的な理由で彼女の手を引いて、その華奢な身体を抱きしめたいと思ったことは、何度もある。
……それでも、
「この身体は……俺の物じゃないから」
「……」
「いつかいなくなるかも、しれないから」
そんな無責任な真似は、できない。
「君には、君たちには悪いけど……返せって言われたら返すべきだって思いは、どうしたって変わらない。俺の欲で、『この子』を殺すような真似は、できない……」
これは俺のエゴだ。
分かってる。
「それ、明里にきっちり言いなよ」
ラウダは静かに、そう言った。
「本当は消えたくないけれど、譲れない。自分の意思でオルフェウスの身体を奪うことは、どうしてもできないって」
「……」
「明里は間違いなく、透が『消えたくない』って思ってるのは分かってないから」
……俺がそれを口にするのは、許されるのかな。
「残される側の気持ちを考えてるなら、言うべきだと思うよ。……オレも、今のでちょっと安心したし」
安心した?
「純粋な自己犠牲精神じゃなくて、考え方が酷く歪んでるわけでもなくって、ただ筋を通したいだけなんだって。単純にずっと言えなかっただけで、本音は違うんだって」
本音?
「本当はこの世界で生き続けたいんだって思いが、その手の願いが、ちゃんと存在するんだって思えたから」
当たり前、じゃないか。
君たちと一緒に、明里さんと一緒にいたいよ。
大切だって思ってる存在と、ずっと生きていたいよ。
……でも、そっか。
君たちから見れば、俺はそういう風には映ってなかったんだね。
そんなんじゃ怒るのも、悲しむのも……当然だよな。
「だから、ちゃんと話しなよ。話す場は、オレたちが整えるから」
「……ありがとう」
「向き合わないと、悲しませ続けるだけで……前に、進まないよ」
「……うん」
顔を上げることは、できなかった。
口にしてみると、自分で思っていた以上に辛かったんだって……気づいてしまった。
肌寒く感じる風が、草を揺らす。
俺は膝を抱え込む腕に、少し力を込めた。




