01.目が覚めたら王子だった
俺はサラリーマン、日下部透。27歳!
企業戦士である俺は、取引先に向かう途中に歩道橋から足を滑らせて転落。
両手で荷物を抱えていたせいで受け身さえ取れずに頭部を強打し、そして意識を失った。
目が覚めたら、身体が縮んで——いや、多分縮んでるとか、そういう問題じゃない!
身体に、違和感しかない。
俺は恐る恐る、目を開いた。
まず視界に入ったのは、天井から垂れ下がる布。
ふかふかのベッドに寝かされていることを理解した上で左右を見れば、人間が5、6人は寝れそうな広々空間が広がっていた。
その時点で垂れ下がったいる布は“天蓋”とかいう家具量販店とかじゃあまり見ないアレだ。
……そもそも、気のせいだと信じたいが、横を向いた時に見えた髪の毛が銀色だった気がする。
怖い。怖い、が。
見なければなるまい。
手を、持ち上げる。
視界に入ったのは、若々しい10代の手!
あっ、これは間違いない!!
「異世界転生って、マジであんのかよ!?」
叫んだ。
そのせいで、近くにいたらしいメイドさんたちがやって来てしまった。
「殿下! 目を覚まされたのですね!?」
「殿下!?」
嫌だ! 嫌すぎる!!
ただのリーマンに“殿下”の肩書きは重すぎる!!
「あ、殿下……えっと、お身体は……」
とりあえず、落ち着こう。
多分殿下とやらに付いているメイドさんたちが可哀想だ。
落ち着いて、思い出せ、思い出せと今の身体に訴えかける。
記憶喪失オチはやめて欲しい。ゼロからスタートはやめて欲しい。
黙り込んでしまった俺のことを、メイドさんたちが不安そうに見つめている。
何なら数人飛び出して行ってしまった。
マズい、登場人物が増える! 思い出せ、早く思い出せ!!
「あ……」
分かった。
だが、この記憶が合っているのかは怪しい。
俺は身体を起こして、近くにいた青髪の——その時点で異世界転生が確定したことに絶望しながら——若いメイドさんに話しかける。
「ええと、僕は……オルフェウス、16歳。君は……マチルダ。合ってる?」
名前と年齢もだが、口調が。
マチルダ(多分)は目を輝かせて、笑う。
よし! 合ってた!!
「合っています。合っていますよ!」
「そうか、良かった。……だがすまない、どうやら少しだけ記憶が曖昧になっているらしい。何か変なことを言い出すかもしれない、許してくれ」
曖昧どころの騒ぎじゃない上に、何ならオルフェウスのものではない記憶が盛大に入り混じっているせいで頭がパンクしそうだが、気合いでどうにかなるような気がしてきた。
……登場人物が増える前に、身体の記憶を確認していこう。
次はマチルダの隣にいた黒髪の女性に話しかけることにする。
「ここはバルカローレ王国、僕の父上であり、父の名前がアイザック、義理の母がリーリエ。2つ下の弟がシベリウス……そして君はイザベル。合ってるかい?」
「でっ、殿下にお名前を呼んでいただけるなんて……!」
「……。うん、合ってるね」
感極まってるところ悪いけど、俺はオルフェウスじゃないんだ。ごめんね。
とりあえず、主要すぎる登場人物の名前は分かる。なら大丈夫だろう。
この身体の名前は、オルフェウス・キリエ・バルカローレ。
立場は王太子候補。社会勉強のために学園に通い始めて、8ヶ月。あと数ヶ月と2年後に卒業するようだ。
なお、王太子となるのはほぼ確実らしい。
……色々と、約束されまくっている。
大国バルカローレはかつて海運業で栄えた国で、今でも多くの国と関わりを持っている。
近隣の国々との関係も良好……本当に? 本当にか?
この手の世界観だと、近隣の国と揉めるのは鉄板だぞ!?
「殿下、お伝えしにくいことなのですが……」
「なっ! 何!? 戦争が始まった!?」
「落ち着いてください!」
戦争は始まっていなかった。
コホンと咳払いした後、俺はイザベルに向き直る。
「……。殿下は、学園で毒を盛られたようなのです」
「んんー!」
——隣国とか、そういう問題じゃないところに敵がいた。
困惑しているうちにオルフェウスの関係者一向と医者がドタバタと駆け込んできて……そうして、怒涛の1日が終わった。
◇
窓の外で、木々が葉を揺らしている。
それを見ながら、俺は“オルフェウス”に声を掛けた。
「なあ、オルフェウス。……近くに、いるのか?」
返事はない。
何も、答えてくれない。
透けるような銀髪に青紫の瞳。
スラリとした長い手足に高めの身長。
恵まれた容姿を持つ16歳の青年から、言葉が返ってくることはない。
俺は少し躊躇いつつ、口を開く。
「親友だと思ってた奴に毒盛られてショックだったのか? ……死に代わり、とか言わないよな?」
オルフェウスは学園内にある王族専用の個室で毒を盛られたという。
その犯人はラヴェル伯爵家の次男坊、リュート。
彼は両親に命じられ、護衛役という立場を利用して主人に毒を盛った。
別にオルフェウスに不満があったわけではない。
詳細は、分からない。
ただ、彼は「長男ではなく自分が家を継ぎたかった」と語ったそうだ。
黒幕はラヴェル伯爵家およびその関係者であることは調べがついている。
一体何がどうなって、オルフェウスは酷い目に遭ったのだろうか。
話してくれるかは分からないが、後々誰かに聞くしかない。
そして、
「……嫌な話だよな。シベリウスは母親が違うから、こんな事件が起きれば真っ先に疑われる。間違いなくこれ、あの子をスケープゴートにする気だったろ」
毒を盛った犯人が分からなければ、間違いなく弟のシベリウスは王太子の座を狙っていると勘繰られる。
そして本人と彼の母方の身内が危険に晒されたことだろう。それこそ、今度は彼らが毒を盛られるような事態に発展していてもおかしくない。
ふわふわとした淡い栗色の髪をした少年と、彼によく似た義理の母が、青い瞳に涙を浮かべて微笑んでくれた姿が脳裏をよぎる。
「オルフェウスが無事に目覚めたことを泣いて喜ぶような人たちが……黒幕なわけ、ないだろ」
腹立たしい。
あまりにも。
だがラヴェル伯爵家にとって誤算だったのは、たまたまオルフェウスに会いにきていたカデンツァ公爵令嬢が、俺が毒を盛られて倒れた瞬間を目撃して悲鳴を上げたことだ。
この出来事をきっかけにラヴェル伯爵家および関わっていた他の貴族はすべて取り潰しかつ処罰も確定。
発見が早かったことで、オルフェウスは何の障害も負わずに済んだ。
「カデンツァ公爵令嬢って君が迷惑がってた婚約者だったんだろ? 命、救ってもらって良かったじゃないか。……ははっ、そんなことはないか」
何にせよ、オルフェウスは親友に毒を盛られて殺されかけた挙句、面倒な女に借りを作ってしまった。
ゆえに、彼の心は死んでしまったのかもしれない。
その隙間に、自分が入り込んでしまったのかもしれない。
そうだとすれば——オルフェウスが、あまりにも可哀想だ。
「純粋な異世界転生なら、良いんだけどさ」
オルフェウスからの返事はない。
よくある「前世を思い出した」的なものなのかもしれない。
そうであって欲しいと願うが、判断のための情報が少なすぎる。
今は、どれだけ考えても答えは出ない。
オルフェウスの身の回りの人間に不安を抱かせるのは、どうかと思う。
俺は「おやすみ」と虚空に呟き、意識を闇に委ねた。
◇
——あれから、1週間経った。
全く問題はない、毒の影響は一切残っていないと訴え続けたが、そうもいかないようで、これでもかと検査の類を受け続ける羽目になった……し、未だに続いている。
とはいえオルフェウスの王太子候補という肩書きを思えば仕方のないことだろうな、とは思う。
少しずつ行動制限の類も解除されていき、2ヶ月後には学園に復帰できる見通しだ。
学園への復帰は家族に、特に母親のリーリエさんと弟のシベリウスには露骨に嫌がられてしまったが、「社会勉強は必要だし、何よりもあなたたちを疑うような人間が出てくるのは嫌だ。間違いなく、政治に悪影響も出る」で押し通した。
決して間違ってはいないと思う。
父親のアイザックさんには感心され、シベリウスにはキラキラした眼差しを向けられたことを考えると、主張そのものに問題は無かったと思う……何にせよ、軟禁生活は免れた。
誰もいない部屋の中で、俺はぐっと身体を伸ばしながら口を開く。
「だってさぁ、軟禁されてたら何も分かんないじゃないか。早いとこ、この世界の正体が知りたいんだよ、俺は」
今日も今日とて、いるのかいないのか分からないオルフェウスに小声で話し掛ける。
これは目覚めてから今までずっと続けていることなのだが、彼がどうなっているのかは本当に分からない。この世界のことも、分からない。
「この手のは謎の異世界に飛んでるか、何かのゲームに飛んでるか、の二択。何かのゲームってパターンなら、前世でやったことあるんじゃないかって思うんだけど……」
困ったことに、まったく心当たりがない。
いきなり王太子候補が毒殺されかけていること、そして剣や魔法、魔物といった存在があるらしいことを考えると、これはシリアス系のRPGだろうか?
「それなら、ステータス画面とかその手の概念がありそうなんだけどな。オルフェウスって間違いなくモブじゃないだろうし」
毒殺されかけるやたら顔の良い王太子筆頭候補がモブだとは思えないし、何なら、やたら顔が良い弟のシベリウスも多分モブじゃない。
それどころか、今日初めて遭遇した側近の護衛騎士・アリオーソもきっとモブじゃない。彼もやたらと顔が良いからだ。
「顔が良いのが大量発生してること考えたら、ステータス画面が無いことを考えたら……何かの漫画か小説、アニメってラインも追えるんだよな……なぁ、何が分かる? オルフェウス」
返事はない。分かっている。
だが、話していると頭が整理されることもあってやめられない。
露骨に顔が良すぎる人間が3人で出てきている時点で、恐らく全然関係ない異世界ではない。何らかの創作物だ。
——だが、原作らしきものには本当に心当たりがない!
どうしたものかと考えていると、部屋の扉をコンコンと叩かれた。
返事をすれば、黒髪と切れ長の新緑の瞳を持つ顔が良い側近・アリオーソが中に入ってきた。
「殿下、失礼します。カデンツァ公爵令嬢がいらっしゃいました」
「公爵令嬢が?」
彼女が来るという話は聞いていた。
だが、その時間は1時間後だ。
どういうことだと彼に問えば、曰く「居ても立っても居られず、早めに着いてしまった。約束時間までは放置してもらって構わない」とのことだった。
そういえば、オルフェウスの側近であるアリオーソもだが、ヴィオレッタも事件のショックでオルフェウス同様に休学中らしい。
……嫌な言い方をすると、暇なのかもしれない。
「まあ、公爵令嬢を放置はできないよね」
「……とりあえず、庭園の白のガゼボに通しております」
「分かった、行くよ。ありがとう」
遅れたら、何を言われるやら分からない。
最悪、城仕えの人間が難癖をつけられて被害に遭う——ヴィオレッタはそんな人間らしい。
城仕えの人間が被害に遭うのは避けたいし、何より今回ばかりは助けられた礼を言うために会うべきだろう。
すぐに支度をし、部屋を出る。
どこか落ち着きのない、具体的に言うと俺との距離を測りかねていると思しきアリオーソを見て、俺は笑った。
「アリオーソ、父上や母上はいないんだ。いつも通りで構わないよ」
オルフェウスの記憶によると、同い年の彼は護衛騎士であり、幼馴染のような存在らしい。
親友であったリュートを上回るくらいには親しい存在だったようだ。
だが、色々あったせいなのか、随分と堅苦しい態度を取るようになってしまっている。
そんな関係であったにも関わらず1週間も会えていなかったのは、オルフェウス側の関係者による調査の影響だ。オルフェウスと親しい人間による犯行が行われたことを考えると、彼が対象になってしまうのも無理はない。
今日まで物理的に距離を取らされていたことを考えると、その間に偉い人たちから何かしら言われているのかもしれない……それこそ、王太子筆頭候補であるオルフェウスへの態度について。
「しかし……」
「はは、流石にリュートのことは堪えたけどね。でも、気さくに話せる友人をこれ以上失くしたくはないよ」
アリオーソは、少し困った様子で笑う。
「……このお人好し」
「あははっ、代わりに君が目を光らせといて欲しいな」
「丸投げかよ。どうかと思うぞ」
そんな会話をしながら進んでいくと、艶やかな花が咲き誇る庭園の中。
白いガゼボの中に置かれた椅子に腰掛けた少女の姿が見えた。
艶やかな藍色の髪を風になびかせる、気品あふれる少女——ヴィオレッタ・リュラ・カデンツァ。
性格に難はあれど、『王国の至宝』と名高い彼女の姿につい、見惚れてしまう。
ヴィオレッタの赤紫の瞳が、俺の姿を映す。
その瞬間、彼女はガタンと音を立てて立ち上がった。
「で、殿下……!」
「心配掛けて悪かったね。君のおかげで、助かった。……ありがとう」
構わないから座って欲しいと促すと、彼女はおずおずといった様子で椅子に腰掛け、アリオーソを含む周辺の人間の様子を気にし始める。
オルフェウスの記憶の中にいる彼女とは、随分と様子が違う。
それを不思議に思いつつ、俺はヴィオレッタの気持ちを汲むことにした。
「みんな、下がってもらって良い?」
「!? それは!」
アリオーソどころか、周辺に居た人間の全てが俺の言葉に首を横に振るう。
けれど、彼女は命の恩人だ。無碍にするのもどうかと思う。
「心配なら、遠くから様子見してて。僕らが少々大声で喋っても聞こえないくらいの場所だと助かるかな」
譲歩はした。
それならばとアリオーソたちはしぶしぶながら距離を取り、俺たちをかなり遠くから見守り始めた。
「これで良い? ヴィオレッタ」
「あ、ありがとう……ございます……」
酷く緊張した様子の彼女は、やはり記憶の中のそれとは別人だった。
「……」
しばしの、間。
そうしてヴィオレッタは少し吊り上がった赤紫の瞳を潤ませ、意を決した様子で叫ぶ。
「わ、わたくしとの婚約を破棄してくださいませ!」
「えぇっ!?」
「何をしてくださっても構いません! へ、変な店に出入りしているだとか、夜な夜な他の男と遊んでいるとか言い広めてくださっても構わないので……っ!」
「そんな酷い噂を流せるはずがないだろう!?」
俺の困惑には見向きもせず、ヴィオレッタは「お願いです」と俯き、自身が着ている美しいドレスを強く握りしめながら、声を振るわせる。
「“私”は……もう死にたくないんです……お願い……」
小さな、呟くような声。
——そこで俺は、理解した。
焦ってはいけない。
まずは、王太子筆頭候補としての態度を貫く。
「婚約破棄は、できないな」
「そんな……っ!」
「そもそも両家の話し合い抜きに、僕たちだけで決められる話じゃない」
「父上も母上も話を聞いてくれないんです! 陛下にも、こっそり掛け合いました……でも……!」
赤紫色の瞳から、涙が零れ落ちる。
怖くて怖くて、仕方がない。ここまで来るだけでも精一杯だった。
……それも、無理はない。
「っ、だったら……私は……っ!」
ヴィオレッタは目元を拭い、立ち上がる。
そして高いヒールのついた靴を脱ぎ捨て、踵を返した。
これはまずい!
物理的に逃走する気だ!
王太子筆頭の態度とかそういうことを言っている場合じゃない!
「待って!」
逃してたまるか!
——彼女は間違いなく、俺の“希望”だ!
見かけによらず機敏な動きをするらしい彼女の腕を掴み、俺は叫んだ。
「待って悪役令嬢! 俺、このゲーム知らない!!」




