64話 ローブの中身
六畳ほどの一人用の個室は、ベッドと水瓶と、それから小さな机と椅子しか置いていない。
常にふらふらと出歩く仕事を生業とする冒険者を相手にする以上、どの宿屋でも同じようなつくりになっていた。
小森はベッドの上に座り、小さな来客のための椅子を用意した。
「そんなところに立ってないで、ほら。こっちに来て座れよ。あと夜更かしは無しにしような。 明日もきっと動きまくる日になるだろうから」
「ぬぅ〜。」
ヌーは扉の鍵をかけて、小森の隣――ベッドの上に座った。
「うお、お前……椅子を用意したのにこっちに座んのかよ」
「別にいいだろ。 ほら、小森の好きなもふもふだ。」
ヌーはふわふわの身体を押しつけるように密着してくる。
小森にとっては至福の感触なのだが、その態度がどうしても腑に落ちず、素直に撫で回す気になれなかった。
「……何というか、ヌー。雰囲気変わった? さっきの腕相撲といい、まるで別人みたいだぞ。顔も怖かったし」
「ぬ。あれな、小森のマネだぜ。ほら、悪い顔〜。」
小さく牙を剥いたヌーの顔。見ようによっては可愛いが、今まで見たことがないような表情だ。
「……喋り方も、なんとなくフランクな感じだな?」
「それなら、小森のがうつったんだ。……ほら、触らなくていいのか。ふわふわだぞ。」
どういうわけか、疑えば疑うほどヌーは上機嫌になっていく。
それが奇妙で、不可思議で、小森は警戒心を強めざるを得ない。
「腕相撲の時、あの牛頭に何をしたんだ? 尋常じゃない様子だったが……」
「それそれ。種明かしするって約束してたよな。――見てくれ小森、これを使ったんだ。」
ヌーはベージュ色の腕輪を取り出して、その腕にはめた。体色によく馴染んだ色で、よく見なければ腕輪をしているのか分からない。
「腕輪? まさかアーティファクトか?」
「その通り。使い方は、まず対象に触れること――ぬんっ。」
「おわっ!?」
ヌーに胸をぐいっと押されて、ベッドに仰向けに倒れる。
「ぬふっ。」
そして、ヌーは上から覆いかぶさってきた。
「なっ、なんのつもりだ!?」
「……。」
ヌーは何も答えず、じっとこちらを見つめてくる。
泉にうつる満月のような金色の瞳。何度見ても引き込まれてしまう、神秘的な色。
何度も見たその輝きが、今はどこか淀んでいるように見えてしまう。
「ヌー。一体――」
『小森小森小森小森小森小森小森小森小森小森小森小森』
「ぐおおおっ!?」
突如として耳の奥、鼓膜よりもずっと先のところからヌーの声が聞こえてきた。それは脳に直接触れられているような、抗い難い刺激だった。
『あ、オレの声が聞こえるか? 小森』
「聞こえる聞こえる! ちょっと抑えてくれ、頭がヘンになりそうだっ」
目の前のヌーは口を閉じたまま、ニヤリと笑っている。
『これであの牛頭をやっつけたんだ。どうヤバイかは、分かるだろ?』
「わ、分かったから……もう腕輪を外してくれ。とんでもないぞ、それ」
耳から受信する聴覚情報が1だとするなら、この腕輪による受信は10くらいの密度だ。
それは単に音量という意味ではない。表層の意識と、それよりも奥深いところに外部から意思の杭を打ち付けられるようなものだ。
その杭が悪意で満たされていたのなら、たとえ言葉の通じない相手であろうと、内側から殺してしまうに違いない。
「ぬっはっはっ、悪かったよ、小森。ちょっといたずらが過ぎたな。これ、使う方もコントロールが難しいんだ。心のうちが筒抜けになっちまう。」
ヌーは腕輪をしまって笑った。口だけは謝っているが、大して悪びれていない。
そして、小森の上から動こうともしなかった。
「あのな、ヌー。こんなことを聞くのはおかしいかもしれないが……」
「なんだ? なんでも言ってみろ、小森。」
小森は鬱積した不安を口にしてみる事にした。相手の返答次第では、取り返しのつかない事態になる。
恐ろしくて聞くことをためらってしまうような、事実の確認を。
「お前……本当に、ヌーか?」
「……!」
馬乗りになっている相手は、まず目を大きく見開いた。
それから、心から喜んでいるように、あるいは憑き物が落ちたかのように、目を細くして微笑んだ。
喉が震えているようだが、言葉は出てこなかった。
「何か言ってくれ……」
「……ううっ」
そして、一瞬だけ苦悶の表情を浮かべると、それを隠すようにして抱きついてきた。
「うううっ。すまねぇっ……オレは……違うんだ」
「……やっぱりか。お前はペレゾなんだろ? ヌーにしか見えないのに。一体どうなってるんだ?」
「そうだ。オレはペレゾで、ヌーじゃない。姿も声も似てるけど……ヌーじゃない」
ペレゾが喉を鳴らすたびに、その振動が小森の胸を伝ってくる。
泣いているのか、苦しんでいるのか、喜んでいるのか。
直前の表情から読み取るのは困難を極めた。
「……それなら、ペレゾ。ヌーは今どこにいるんだ?」
「ヌーはまだ『最果ての駅』で小森を待ってる」
列車が発つ直前の名残惜しく別れを告げた相手が、ペレゾではなくヌーだったということになる。
最後はなんと言っていたか。まるで自分の意思で、あそこに残るかのように言っていなかったか。
「オレが交換条件を出したんだよ。小森と一緒に行きたいってな。ヌーは向こうで留守番だ。オレの代わりに、いつ来るかも分からない待ち人を待ってもらってる。――さあ、小森。触ってくれ、ヌーと変わらない触り心地だぞ。ふわふわで気持ちがいいぞ」
ペレゾは小森の手をとり、頭を撫でさせようとしてくる。
しかし、小森はそれどころじゃなかった。
「──こんな事していられるか。帰るぞ」
「小森。よく考えろ。ヌーの心意気を無駄にする気か? 豪華な土産を持って帰るんだろ。何も無しで帰れば、一番がっかりするのはあいつだぜ」
「……何が目的なんだ」
「はあ……分かってないよな。小森は」
ペレゾは小森の上から横にずれて、同じように仰向けに寝転んだ。
姿形はそっくりだが、その表情は飄々としていて、やはりヌーとは違う。
「小森は鈍いよ。にぶにぶだ。オレがペレゾだと気付くまでは良かった。でも他のことがからっきしだ。鈍感系主人公かっての。その調子なら、まだあかりとも何もないんだろうな」
「余計なお世話だ」
「……んん、まあ、そう冷たくしないでくれよ。オレは小森のことが好きなんだぜ? もっと言うと、あかりもヌーも好きだ。険悪な感じにはしたくない」
ペレゾは何を思ったか、小森の頭を撫で始めた。
「こういうのもいいな。へへへ……」
「本当に何をしたいのか分からんな……」
小森は手を払う気にもなれなかった。
されるがままに頭を撫でられる。
小っ恥ずかしいことこの上ないが、ふわふわとした感触が心地良い。相手は黙っていればヌーと瓜二つの存在だ。そう考えると、不本意だが安心感のようなものさえ芽生えてくる。
「どうだ? 小森。 ヌーの気持ちが少しは分かったか?」
「分からん……何もかも……お前は何をしたいんだよ」
「そう邪推すんな。オレは小森と一緒にいたかった。少し外の空気を吸いたかっただけだぜ。事が済んだらちゃんと帰るし、ヌーとも再開できる。まあ、今となってはもう一つ目的が出来ちまったけどな」
「それはなんだ?」
「オレが一緒にいる間は、ヌーのイロハを叩き込んでやるぜっ」
「?? は?」
ペレゾはベッドから飛び起きたあと、小森の腹をポンと叩いてから「じゃあな、また明日」と残して部屋を出て行ってしまった。
嵐のように突きつけられた事実と、ペレゾの最後のセリフが頭の中でぐるぐるとまわり、小森は眠りに着くのに一苦労することになった。




