62話 酒場の決闘3
あかりの後方は阿鼻叫喚となっていた。
その場から急いで逃げ出す者、騒ぎを聞いて駆けつける者、目を逸らしたまま試合を見届けようとする者。そういった有象無象が入り乱れ、そして新しく倒れた人が他の場所へ運び出されていく。
「……さあ、お嬢さん。屈服するのはあなたの方よ。もう魔眼から目を逸らすことも叶わないでしょう? 解除して欲しかったら腕の力を抜いて、負けを認めなさい。それとも、そのまま石になりたいの? ……まあ、そうね。あなたが石になってしまったら、小森さんは私が面倒を見てあげましょう。いくら力が強くたって、この魔眼の前には無力。あははっ! そうだわ。石になる一歩手前で彼を連れて帰るの。彼はきっと不自由な体で私の助けを求めてくるわ。もちろん私は優しく彼を介助してあげるの。そうすれば心が堕ちるのも時間の問題よ。小森さんは生涯、私の伴侶となるの。……あなた? あなたは石になるのだから、何も気にする事はないわ。でも安心して? せっかくだし庭先あたりにインテリアとして──」
「ふおおおおおおおっっ! そんなのっ! 絶対にっ! 絶対に許しませんッッッ!!!」
「ふべっ!?」
――小森のお願いである、『できるだけ時間を稼いでほしい』の履行は、ここにきて破られた。
爆発と言っても差し支えのない衝撃と轟音が生じ、酒場にあった一番頑丈なテーブルはいくつかの破片に分かれて四散した。
食事処にあるまじき粉ぼこりが舞い上がる。
それがゆっくりと晴れていくと、へこんだ床に右手を押し付けるあかりの姿があらわになった。
クロキは床で大の字になったまま白目をむいており、その右手はあかりの下にある。
すでに勝敗は決していた。
「あー……あかり殿の勝利だ。言うまでもないな。ゴホッ」
マルボズがあかりを引っ剥がすと、クロキは担架に乗せられ、他の被害者たちと同じ方向に運ばれていった。
「――はっ!? わたし……やってしまいました。小森さん……」
「いや、よく頑張ったぞ。良い結果だ」
相手の搦め手を物ともせずに、圧倒的な力でねじ伏せる。期待以上の戦果だった。
あかりのとった行動は時間稼ぎには少し及ばなかったが、心を折るという意味では最適といえる。
「オイオイオイ……マジで腕の力どうなってんだオマエら……。つーかクロキの魔眼はどうした? 効かなかったのか?」
「ぴりっとしましたっ」
「ぴりっと……? ハァーハハハハ!! ハァ……ふざけてやがる……」
ザルドはひどく意気消沈しているように見えた。
「やい、ザルド。流石に力の差が分かっただろ。この勝負はこれでおしまいだ。これ以上続けてたら被害甚大だ。飯を食う場所が無くなるぞ」
小森は砕けた食卓の破片を手にとって、ザルドに見せつけた。
それで、決着するはずだった。
「……小森ィ。オマエらの三人目。実は弱いんじゃねェかァ?」
ザルドの眼があやしく輝く。
獲物を諦めていない、どこまでも執拗に追い続ける獣の眼だった。
「いいや、一番強いぞ。最強だ。酒場が吹き飛ぶ。あんたたちは死ぬ。諦めろ」
「ウソだな。オマエらが勝ちを確信してるなら、黙って三人目を出せばいい。なのに、そこのメスガキといい、俺様たちとの勝負をさっさと打ち切りたがってるじゃねぇか! ……なぁ!? どうなんだよ小森ィ!」
「ぐっ……」
あかりが闘っている間も、小森は作戦を考え続けていた。
しかし、どう頭をひねっても非力なヌーでは勝ち筋が見えてこない。そもそも、どんな対戦相手が出てくるかも分からないのだ。
そして出てきた結論はブラフを貼り続けること。
そのために強気を崩さずにいたのだが、どうやら見抜かれてしまったらしい。
「オイオイ、図星かァ? 奥の手ってのはな。最後まで取っておくもんだぜェ――カモンッ、アーギュ!」
ザルドが指笛を吹くと、人だかりを物ともせずに牛頭の巨漢が現れた。
「アァァァァーァアーーギュゥゥ!!」
酒場中に響き渡るアーギュの咆哮。
怒張した赤黒い肌と、まるで知性を感じない赤一色の目。体中のそこかしこから筋が浮き出て、着ている皮鎧が今すぐにでも破裂してしまいそうなほどの筋肉質。
まだ特に何をしたわけでもないが、これほど暴力的という形容が似合うものは無いだろうと小森は思った。
「なぁ……代打はダメか?」
「ダメ! ぜェーーーったい、ダメェーー! ……そこのリスだかウサギだか分からんやつが相手だ。早くしろ」
ダメ元でお願いするも即却下される小森。
その肩を、もふんっとヌーの手が叩いた。
「安心しろ小森。勝ってやる。」
「まじ……? どうやって?」
「まあ、見てろ。」
ヌーはニヤリと笑いながら小森の横を通り過ぎる。
その表情は今まで見たことのないような、冷淡な笑みだった。
「おいトカゲ。ボクはネコだ。ウサギでもリスでもないぜ。」
「ァァァァァギュ!!」
ザルドの代わりにアーギュが返事をする。
しかし人の形をした獣はまともに言葉を話せないようだった。
そういった意味では、アーギュはヌーとは対照的な存在といえる。
「クククッ……過保護にされてる可愛そうな子猫ノービスちゃん。ひとつ教えといてやるが、アーギュのクラスは狂戦士だ。INTと引き換えにSTRに極振りしたヤベェ奴よ! 普通のやつはなりたがらねェ、イカれたクラスなんだぜェ!」
「アアァアアァァァアギュウゥウウ!!!」
ザルドの笑い声に呼応するようにアーギュが咆哮をあげる。
「では両者とも手を握って。まだ力を入れないように」
「しかしでけーな……。なんかやたら熱いし。」
「アァギュゥ」
アーギュは口からぼたぼたとヨダレを垂れ流して、ヌーを見つめている。
『待て』の合図がわかる程度には言葉を理解しているようだが、いざ試合が始まってしまえば、ヌーがどれほどの目に合うかは見当もつかない。
「ではカウントをとるぞ。3……2……1……」
それでも、小森はどうする事もできなかった。
怖気もせず怒りもせず、ただ飄々としているヌーに対して、何か手助けをしようという発想が出てこなくなっていた。
──この小さな獣人は、本当にヌーなのか?
凶悪な対戦相手や絶望的な試合よりも、目の前で不敵に嗤う存在の違和感。
「ゼロッ」
それだけが気になって仕方がなかった。




