49話 出発
丸一日を大宴会に費やして、小森たちは心身ともに充足させていた。
今は最高のコンディションで長い夜が明けるのを待つばかりである。
「――そろそろ明けたかな?」
「次はヌーさん……いえ、わたしの番ですね」
旅支度はとっくに整っていて、あとは夜が明ければ出発ができる。
しかし、小森の家には窓が一つもないので、夜明けを確認する為に交代で外を見に行く必要があった。
「まだ夜でしたっ」
「ありがとう、次は大富豪で負けた方が見に行くルールにするか──」
テーブルの上からはすでに酒の気配は消えて無くなっている。昨日の失敗から学び、朝食を終えた後は余計なことをせず、静かにトランプゲームに興じていた。
なぜ夜明け前に出発できないかというと、夜霧はもちろんのこと、夜明けとともに出現するホタルの群れのせいだった。
ハヌゼベたちに陽運びと呼ばれているそのホタルは、強い光と熱をもって、楽園の深部から上層部へと集団で移動しはじめる。結果、莫大なエネルギーをもった『光の柱』が楽園を貫き、その環境を一変させる事になる。
小森たちの層にはガソリンのような体液をもつクリオネが多く浮遊しており、高温の光の柱とうまく噛み合ってしまうと誘爆してしまうのだ。
初めて光の柱と遭遇したときに、熱風がふいていたのはそのためだった。
なので、『出来るだけ体力を使わずに時間を潰すこと』が今できる最善の選択だった。
「――さて。今度はあかりが大富豪で、俺が平民。 ……ヌー、本当に大丈夫か? 今日は休んで出発は明日に見送ってもいいんだぞ?」
「ぬぅぅ……。だいしょうぶぅ。よくなってきたからぁ……。」
どんよりとした目でトランプを見つめ続けるヌー。完全に二日酔いの症状があらわれていた。
「小森たちはなんでそんなに元気なんだ……。」
「節度を守って飲んだからな」
「二次会までやったくせに……。」
「節度とは体質によって変わってくるもんなんだ。勉強になったな、ヌーくん」
理不尽だ。と声を絞りながら、ヌーは机に突っ伏した。
「しゃーなしだな。今度は俺が見に行ってくる。ついでに湯でも沸かし――」
どんどん、と。
小森がすべて言い切る前に、玄関の戸が叩かれる音が聞こえた。
「今の音……聞こえたか? 俺の空耳じゃないよな?」
「たっ、たしかにノックされました……しかし、こんなところにお客さんが?」
予想外の出来事に体を固まらせていると、再び、どんどんと戸を叩く音が聞こえてきた。
急かしたり煽ったりする様子はなく、ただ淡々としている。
「……まあ、見てくるか」
小森が席を立ち、廊下を歩いていると、全く同じ調子のノックが繰り返された。
「ひっ……」
「ぬぅぅ〜〜。」
いつのまにか、あかりとヌーも後ろについてきている。
「なんというか、ものすごい既視感を感じるな……?」
背後の二人に通じるか分からない皮肉を呟き、玄関扉の覗き穴を覗く。
「――うん。やっぱり誰もいないんだよな」
小森の既視感は続いている。
覗き穴の先に人の気配は無く、木と霧と火種の残った焚き火しか見当たらない。
「じゃあドア開けるぞっ、せーの!」
小森は勢いよく扉を開けて、すぐさま足元を確認した。
「む……? 違ったか」
あかりの時もヌーの時もそうであったように、小森は訪問客が足元に転がっているものだと思い込んで既視感を先回りした。
結果、その予想は外れた。
つまり、小森より下には誰もいなかったのだ。
そして――
「夜分遅くに失礼。コモリ殿」
ガスマスクを付けた巨人――ハヌゼベが真上からこちらを覗き込んでいた。
「うぉわっ!?」
「まだ居てくれて良かった。しかし良い家だ。素材は何で出来ているのだろうか」
「……いったい何しにきたんだ?」
「挨拶をしたいと思った」
ハヌゼベの声色はどこか暗く、憂いがこもっているように感じた。
「ふむ……立ち話もなんだからな。少し窮屈かもしれないが、上がってくれ」
「ありがとう。では失礼するよ」
ハヌゼベは好意を素直に受け入れ、玄関に身体をねじ込もうとする。
おじぎをした状態で入ろうとし、それでも肩が引っかかり、身体を捻りながら四つん這いで入ろうとしたところで、こう提案した。
「すまない。やはりここでよろしいか?」
「あ、ああ。出られなくなりそうだし、そうだな……ちょっと用意するから待っててくれ」
小森は他の二人と一緒に、家の中から焚き火を中心にして家具を引っ張り出しはじめる。
あっという間に壁のないリビングが出来上がると、小森は温かいコーヒーを振る舞った。
「――そうか……。間もなく出発か」
焚き火を囲み、コーヒーを飲みながら静かに時間が過ぎていく。
「本当は昨日だったんだけどな。酒が進みまくったもんでな」
「元はといえば小森のせいだからな。」
「貴殿らが楽しそうで何よりだ」
ハヌゼベの空気は明らかに以前と一変していた。
無感情的に思えた振る舞いは全く無くなり、今はとても穏やかな口調で言葉を発している。
交流を経て彼の人柄をよく知ったからというのもあるが、それを差し引いても大きな変化だった。
「ハヌゼベ。何かあったのか? あんたもここまで降りてくるのは危険なんだろ? そうまでして俺たちに会いに来た理由は?」
「どうしても伝えたいことがあるのだ。それはな」
ハヌゼベは四本あるうちの一本──あかりに捧げた腕の篭手を外して見せた。
そこには、いつの間にか新しい腕がついている。
「腕、生えたのか……?」
「これは自然に生えるものではない。……ギュイヌを覚えているだろうか。貴殿らを春の層へと導いてくれた若い娘だ」
「ああ、覚えてるぜ。何かある度に兄貴の自慢をしてきたやつだな。あんたとは正反対で喜怒哀楽のはっきりしたやつだったよ。──じゃあ、その腕は」
ハヌゼベは回りくどい言い方をしない。このタイミングでギュイヌの名前が出るという事は、小森たちにひとつの事実を示していた。
「腕だけではないよ。ギュイヌは私とひとつになった」
「……なんだと?」
しかし、それは予想していたよりも、もっと大きな事態だった。
彼はサナギの匣を使い、ギュイヌを取り込んだというのだ。
「じゃあギュイヌはもう、存在すらしないのか……? ハヌゼベ。あんた、なんてことを──」
「コモリ殿。これは彼女の意志でもある。兄のヴオルが寄生虫が原因で死んだと聞いて、すぐに私のところに来たのだ。先に言っておくが自殺願望などではないよ。できることなら何でもする、犠牲者が増える前に手伝わせてくれ、と」
ハヌゼベは声を震わせていた。
まるで胸の奥に何かが詰まってしまっているかのように、重々しく言葉を紡ぎ出す。
「彼女は匣の存在も、私の成り立ちもよく知っていた。始めから、ひとつになる気でいたのだ。そして、ギュイヌという存在は決して無くなってなどいないよ、コモリ殿。今こうして話しているだけで、私の心の中はぐちゃぐちゃにかき乱されて、あるひとつの言葉を早く伝えてくれとせっついてくるのだから。だが、それは少し待ってほしい。もう少し、あとで、あとで言うから……」
ハヌゼベはそこでいったん、言葉を切って大きく深呼吸をした。
誰も口を挟む者はいない。
「コモリ殿。いよいよ紹介が出来ていなかったが、ハヌゼベは個人の名前ではない。ハヌゼベ・マルボス・セメリ・アマズリ・ゲネ・ユルヌス・ギュイヌ。すべてが私であり、我々なのだ。だから、ギュイヌは存在している」
灰色の巨人は大きな手で身体をなぞりながら告げる。
何人分もの歴史がハヌゼベを作り出し、もはや彼は個ではなく群なのだと、そう言い放った。
「──彼女は兄ヴオルの死を認めていなかった。ずたずたになって息絶えている彼の死体を見た私と融合しても、まだ彼女はヴオルがどこかで生きていると、信じている!」
胸に手をあてて、精一杯に声を絞り出すハヌゼベ。
「だから……だから、言わせてほしい。もし、万が一、深層でヴオルに会うことがあったら、こう伝えてほしい! ……『あたしは、元気にやってるよ』と」
ごう、と音をたてて光の柱が立ちのぼる。
光の乱反射で真っ白になる視界の中、小森は目撃した。
ハヌゼベのマスクの奥、いくつもある目の中のひとつから、涙が伝うのを。
…………
……
陽が差し、小森たちのいる層に朝がやってきた。
家具はすべて家の中にしまい込み、荷物を背負った小森たちは焚き火の跡を挟んでハヌゼベと対面する。
「それじゃ、俺たちは出発するよ。ハヌゼベ」
「健闘を祈る。ああ、あと、さっきのことなのだが、皮肉とかそういった意味ではなくて──」
「分かってるさ。俺たちは死ぬ気はないが、生きたまま天国に行くこともあるかもしれない。それくらい不思議な体験をしているんだ。現在進行中でな。だから、本当にあいつとまた会うことがあったなら……そうだな、あんたの愚痴をたっぷりと聞かせてやるよ」
「貴殿らに会えてよかった」
今生の別れでも言い出しそうなハヌゼベに対して、小森は背を向けてさっさと歩き始めた。
「あのっ、ハヌゼベさん! ありがとうございました。また戻ってきたらコーヒーご一緒しましょうねっ」
「じゃあな。寄生虫やっつけたらまたすぐ戻ってくる。」
「ああ、たくさん肉を焼いて待っているよ」
あかりとヌーが小森に追いつくと、ハヌゼベは遠くから合掌し、礼を尽くした。
そして、小森は振り返らずに、右手だけをあげて返礼した。




