39話 春の層の狩人
「――うおぉーい! はやくー!」
先に降りていたギュイヌに急かされて、二人はリフトから『春の層』の大地へと降り立った。
多少霧が出ているものの、陽の光がまだ届いているので視界はそこまで悪くない。桃色の木々による霧と光の屈折が、幻想的な空気を醸し出していた。
「おーい! 春爺、いるかーい!?」
不意に、リフトの近くにあったガラクタの山に向かってギュイヌが叫んだ。
「──はいはい聞こえとるよ、ギュイヌが叫ぶと耳がキンキンしてかなわん……あー、そこの不思議な人たちはなんじゃ?」
キャンプに積まれた巨大な槍や斧、丸太の山からひょっこりと顔を出したのは、頭部の八割が白ヒゲか白髪か分からない毛に覆われた大男だった。
上半身は裸で背には比較的小さ目の翼を生やし、下半身は麻で編んだような質素なズボンをはいている。
「あんたの方が不思――むぐっ」
小森が軽口を言い切る前に、それをヌーの肉球が塞いだ。
「ばか小森っ。ちょっと前に意気込んだばかりだろっ。」
曰く――ハネゼベ族(仮)にとって俺たちは異端者かもしれない、ふざけないようにがんばるぞ(意訳)
「わたしたちは、わけあって下層からやってきた隣人さんです! 仲良くしましょうっ」
「おー、ハヌゼベさんの言うとった人たちね。話は聞いとるよ、こっちゃこい。立ち話もなんだろ」
しわがれた声の大男はさっさと大型の鉄骨で組まれた緑色のテントに入っていった。
「あの白もこ頭の爺さんは春爺っつってね、ああ見えて春の層の守り手だよ。子供とか初心者に『楽園』の潜り方を教えてくれてるのさ。アタシの親がわりみたいなもんなんだけど、お肉はお金払わないと譲ってくれないんだ。まあ一言で言うなら変な爺さんだよアハハ」
さあ入った入ったとギュイヌに後ろからせっつかれて、小森たちはテントの中に入っていく。
テントの内部はツボが三つ置いてあり、あとは麻の絨毯が目一杯広げられているだけの空間になっていた。
「椅子がない。」
「こういう時は正座だぞヌー」
畳のような床が懐かしく思えて、小森はどや顔で正座を決めてみせた。あかりも同じ表情で後に続く。
ヌーは体の構造的に無理だった。
「なんじゃ。 疲れる座り方をするのう。あぐらでいいじゃないの」
「ジャパニーズ・ソウルだよご老体」
「変な下層人」
「アンタの方がへ――むぐぐ」
何も無いテントの中は五人を収容してもなお広く、小森たちが少し騒いだ程度ではびくともしない。
まるで閑散とした気配が膨らんで、テントの中いっぱいに充満しているようだった。
「しかし風船の中にいるみたいだな。こんなに広いのに息がつまりそうだ」
「そうだよぉ、春爺。 こりゃ一体何事なんだい? 机も椅子もダーツも無くなってるじゃないのさっ! というか、春爺一人ぼっちだし」
ギュイヌの記憶にあった空間とも変わり果てているらしく、彼女はそれを糾弾した。
「使えるもんは若いのが全部引き揚げちまったよ。……使えない若いもんと一緒になぁ! がはは」
「あっ……。春爺それって、もしかして──」
「先に言っとくがよ、ギュイヌ。ヴオルは悪かねえのさ。悪いのはモンスターと、あっさり蹴散らされたハンターたちよ。潜ってる最中はよ、いつ何時でも気ィ抜いちゃならねェってわしが口酸っぱくして鍛えたっちゅーのに全く……」
大老人は仰向けに倒れて手足をばたばたと動かした。翼が不自然に開かれて窮屈そうだが、気にも留めていない。彼がじっと見つめる視線の先は、ただ緑色であるだけのテントの天井だった。
「やい春爺。何かあったのか? 俺たち、まるで蚊帳の外なんだが」
陰鬱な雰囲気を撒き散らす二人に対して、小森がたまらず話しかけた。
「あー、そうじゃな。うーん……」
「──あたしは荷物おろしてくるよ」
春爺がギュイヌを心配するように見ると、それを察したように彼女はテントを出ていってしまった。
「さて、どこから話そうか。ギュイヌに兄がいた事は知っとるよな?」
「ああ、事ある度に兄貴自慢してきたからなぁ。やれ兄貴が獲ってきた骨だ皮だって、自分のことのように話してたよ」
「そうじゃろなぁ……。ヴオル大好きっ子だったものなぁ」
「そのヴオルお兄ちゃんがどうかしたのか?」
春爺はテントの入り口と小森たちの間を、何度も視線を彷徨わせて、やっと語り始めた。
「ヴオルはな、本当に強い戦士じゃった。四季の層を何の装備も無しでたった一人で行って帰ってこれるほどの強者よ。裸で殴り合ったら、道具に頼るハヌゼベさんより強いかもね」
「でもハネゼベさん、腕が四本ありますよ?」
「むむむぅ……しかし、それでもヴオルは強いんじゃよ」
「目も四つある。」
「……とにかくっ! ヴオルは強いんじゃて!」
春爺はヴオルについて、我が事のように熱くなっていた。
「親子だなぁ」
「何がじゃ?」
「ギュイヌそっくりだよ春爺」
「ハっ! 嬉しかないね」
言葉とは裏腹にニコニコと笑みを浮かべる春爺。隠す気は無いらしい。
しかし、その口角もすぐに垂れ下がってしまった。
「で、まあ、そいつがちょいと寄生虫にやられちまってな」
「……寄生虫?」
「寄生と呼ぶには乱暴かもなぁ。頭ん中入って脳みその一部を食い破って居座るナニカよ。結局、最後は宿主と一緒に死ぬから何をしたいのか分からん。感染経路も謎でお手上げじゃ」
小森たちは、忌まわしい記憶を思い出さざるを得なかった。
「爺さん、それって……宿主の理性を食って暴走させるってやつか?」
「おお、よく知っとるね。その通りじゃよ。やっぱり下層から来たもんは違うよね。――もしかして、取り憑かれたやつに遭遇した経験あり?」
春爺は純粋に聞き返しただけかもしれない。
しかし、小森は彼に目を合わせる事が出来なかった。
「……いや」
「ほーん、そうか。じゃあハヌゼベあたりに聞いたんじゃな。ところで――」
春爺はあっさりと引き下がり、声のトーンを変えてた。
「ヌシら、何しにここまできたの?」
「それは――」
大本命は元の世界に戻ること。
しかし、今のところはその手段が見つからない。
小森の家とケイヴァを繋げて交易を行うにしても、どうやらハヌゼベの管理する地区とは真反対。
そもそも、小森は強い空腹を感じている。
常人なら三日くらい食べ物を口にしなくても何とかなるかもしれないが、小森は下層で見た『渇きの夢』を意識せざるを得なくなっていた。
「肉が食べたくて……」
「えっ、上でも食べられるよ!?」
「――上じゃダメなんだっ」
春爺が素っ頓狂な声をあげると、タイミング良くギュイヌが現れた。
「に、肉は鮮度が大事なんだから」
「ギュイヌ……。ヴオルに会いたいのは分かる。わしもそうじゃ。だがな、こんな浅いとこにゃおらんよ。四季の層よりも、もっともーっと深いとこに行ったんじゃから。ハヌゼベさんを縦に一万人並べても足りんわ」
「うぅ……わかってんよぉ、春爺ぃ。でも兄貴の話くらいは聞けるかなって思ったんだもん」
背中と翼をすぼませるギュイヌ。
「なら立ち聞きじゃなくて、一緒に座っとけ。無礼なんだからもう……」
同じく背中と翼をすぼませる春爺。
「あ、あははっ、皆さん元気出していきましょう! 何かわたしに手伝える事があれば――」
その時、ぎゅるるる、と地の底で雷が轟くが如く大きなお腹の音が鳴った。
「あ、あーあーあー! 発声練習です! あーああー」
「……」
必死に誤魔化そうとするあかり。
犯人は一目瞭然なのだが、温厚かつ優しいあかりをいじれる者はいない。
「――あかり」
そう、たった一人をのぞいて。
「俺の腹の音だ。気を遣わせてすまんな」
「こっ、小森さん……っ!」
しかし、音の発生源は明らかなので、このフォローはあまり意味がなかった。
「なにやってんだか。」
そしてふたたび。
──ぐぎゅるるる。
「あーあーあー! あいうえおー!」
「くっ、俺の腹がすまない! しかし本当に腹が減ったなぁ!」
「こっ、小森さんっ!」
「……地獄かな。」
いつの間にかテントに充満していた静寂は無くなり、代わりに腹の音と三人の騒々しいやり取りに占領されていた。
「ええい! とにかく、メシ食いにきたんじゃろ。表出ろい!」
耐えきれなくなった老人は重い腰を上げて、そう言い放った。




