27話 アウトドア
三人は玄関から出て周囲をぐるりと見回した。
『森』は薄暗く、濃霧のせいで全体像がつかめない。
小森たちが視認できる限界は、障害物のない場所でも良くて30メートルほどしかなかった。
「……とりあえず、現状確認するぞ」
「ぬぅ……たのむ。」
「昨日まで俺たちは普通に過ごしていた。台風が過ぎ去ったと思ったら街が森になっていた」
認識の違いはないな? と小森が二人に問う。
「はい。わたしは起きてすぐにスマホとラジオで情報収集しようと試みたのですが、ダメでした。それで外を見ようと思ったら……こんな事になっていました。あと、関係があるかは分かりませんが、ヌーさんが……」
「うぬ。この通り。」
ヌーはくるりと一回まわってみせる。
その不思議な姿は暗い屋内よりも幾分かはっきりと見えた。
大きな耳に大きな尻尾。全身はふわふわの体毛に覆われていて、それとは別に人間の頃と同じように髪の毛も生えている。
それから、長い胴体に対して短く大きな獣の足が生えている。手には肉球がついていて、短い指が5本生えている。
「ヌーさんが獣人さんに進化してしまいましたっ……」
「実はヌーだけじゃない。俺にも不思議なことが起こっていてな。ちょっと見ててくれ」
小森は二人から少し離れて、特に助走もつけずに軽々とバク宙を決めてみせた。
「わあっ! 忍者みたいです!」
苔むした不安定な足場にもかかわらず、バランスを一切崩さずに足を揃えて着地する。
「引きこもりがやっていい動きじゃないだろ? 今朝からこの通りなんだ」
「んぬぅ。もしかしたら……。」
「何か心当たりがあるのか?」
「小森。以前話した『異物』のこと。覚えてるか。」
「ああ……。確か、異物とはその世界の理から外れた存在で──」
あかり君やヌーのように、別の世界から別の世界へ転移してしまう事がある。その際に、魂の欲求によって姿かたちが変化するという。
ヌーはこちら側に来る際にネコになった。
あかり君は合計三度の転移で、高校生から中学生の姿になった。
それら漂着物は世界の『異物』という扱いになって、不思議な現象を引き起こすのだとか。
「まさか、ヌー……」
「たぶん。ね。」
「わたしたち、お家ごと転移してしまったという事ですかっ!?」
二人がなかなか口に出せなかった解答を、あかりがこたえた。
転移を多く経験しているため、小森やヌーよりも実感が早かったのだ。
「街がどこかに転移して代わりに森が……と考えるよりは、俺たちが何処かの森へ飛ばされたと考える方が自然だな」
小森は自分自身で確認するようにそう告げた。
「とりあえず、森を出よう。電気と食料と水の供給が断たれたままってのは……考えようによっては相当ヤバイぞ」
「まるっこどうぶつがある。」
「ミネラルウォーターもまだいくつかあります」
「どれも消費すれば無くなるものだ。状況を軽視しない方がいい。ジリ貧になる前に動こう」
事実、遭難といえる事態である。
右も左も分からない未知の土地なうえ、現代日本ですらない可能性があるのだから。
「まずは街か村か集落か……とにかく人を探そう。人が居なきゃ地理の把握だけでもな」
小森は最悪の想定をしていた。
つまり、無人島サバイバルのような過酷な状況になるのではないかと考えていた。
裸一貫ではなく、物資が潤沢な倉庫と家があることは幸いだ。
しかし、それは命の猶予が増えただけ。何もしないまま放っておけば、悲劇は必ず到来する。
それを回避するためには、やはり森を抜け出す必要があった。
「各自、家の中で準備を整えてから、15分後にここに集合しよう。はじめは遠くまで行かずに、周囲の環境のチェックだけにする。軽装でいいぞ」
「了解しましたっ!」
「おっけ。」
森の中は夏の気候とは程遠く、むしろ肌寒い。
風はあまりないが、肌に張り付くような霧が体温を奪っていくのだ。
どう猛な獣の気配はなく、甲高い虫の鳴き声と、時々、こだまするような鳥の声が遠くから聞こえてくる。
15分後、小森たちは木漏れ日通りだった場所に集合した。
小森は大きめのコートを、あかりはマフラーを、ヌーはタオルの腰巻きをやめてピンク色のエプロンを装備している。
「よし、とりあえず家の正面方向に進もう。足元に気をつけてな」
「こんな時に不謹慎かもしれませんが、なんだかドキドキしてしまいますね」
「さっきはキツく言ったが、まあ、実は俺もちょっとそういう気持ちはある」
そう、これは不安とは別の気持ちだ。
未知への挑戦、期待。
夢の続きを追うような高揚感。
今、体験している不思議な現象は悪いことばかりではないのではないだろうか。
実際、俺は『進化』したかのような身体能力を手に入れたし、ヌーは見ているだけで幸せになるような素晴らしい姿を手に入れた。
現状について、あまり悲観的に考える必要もないんじゃないか――
「小森さんっ! 崖になってます! ストップ」
「うおっ!?」
小森が一歩踏み出そうとした先は崖になっていた。
後ろからあかりとヌーが袖を引っ張って、地面の無い場所を歩かんとしていた小森を引き止めたのだ。
パラパラと崖先が少し削れて灰色の霧の中に吸い込まれていく。
「すまん、助かった……」
「かなり高い。地面が見えない。」
ヌーが大きめの石を崖下へ落としてみるが、何かにぶつかるような音は聞こえてこなかった。
「骨折じゃすまなかったな。小森。」
「どこか山の上にいるのか? 俺たちは……」
崖下からは生暖かい風が吹き込んでくる。
「怪我をしないように降りる必要がありますね……」
「どっちにしろこのルートはダメだな。一旦引き返そう」
「待って。崖の下。何かヘンなんだ……なにか。」
ヌーにいわれて再び二人が下を覗き込む。
どこまでも広がる深い霧。他に何もない空間。ずっと覗いていると前後不覚に陥りそうな、視界いっぱいのグレー。
「吸い込まれそうです……」
「あんまり深く覗かない方がいいな。しかし、この霧のどこが変なんだ? ヌー」
変といえば全てが変だ。この異常の中で異常を見つけろという方が難しい。
「よくみて。いや……。よく見ないで。全体の変化だ。特に霧の色。それから音。」
ヌーの瞳孔が大きく開き、耳が鋭敏に向きを変えている。
「――くるっ。伏せろっ。」
ヌーが強引に二人を後ろに引き倒すのと、光の奔流が崖下から真上に轟音を伴って伸びてくるのはほぼ同じタイミングだった。




