(1)
トゥエニは勇者隊とともに、密かにカロンの街を出発した。乗り込んだのは豪華な王族専用の馬車ではなく、四頭立ての旅行馬車だった。物心つく前から各地を転々としてきたトゥエニにとっては馴染みのある乗り物であった。ただし、乗客はトゥエニのみである。
「おい、ガキんちょ。出発するぜ」
小さな御者窓が開き、不機嫌そうなバッツが声をかけてきた。ガキんちょとは自分のことらしい。
「よろしくお願いします。バッツさま」
当たり前のように礼を述べたトゥエニを見て、バッツは不思議そうな顔をした。
「そら、飛ばすぜ!」
これまで経験したことのないスピードと、ひどい乗り心地だった。食料やワイン樽が乱雑に積まれた馬車の中で、トゥエニは悲鳴を押し殺しながら耐えるしかなかった。
「休憩だ」
ふらふらになりながら馬車を出る。
広く枝を広げた巨木の下で、オズマを含めた四人の勇者隊は、思い思いの体勢で休んでいた。
ふたり足りないような気がする。
確か、テンクという男性の魔法使いと、タバシカという女性の魔法使いがいない。
「クソがっ! あのアマ、裏切りやがって」
バッツが街道脇の倒木を蹴りつけた。それから懐から手紙のようなものを取り出すと、細切れに破って地面に叩きつけた。
「バッツぅ」
のんびりした口調で、オズマが咎めた。
「君も悪いんだよ。二人のことを知っていたなら、上司である私に報告しなくちゃ。そうすれば、あんな作戦を無理強いすることもなかったんだから」
「ちっ」
「しかし、タバシカちゃんがねぇ」
感慨深そうに口にしたのは、派手な化粧をした男、パウルンである。男性だと思うのだが、話し方は女性に近い。
「ま、気持ちは分からないでもないけれど」
バッツがパウルンを睨みつけた。
「仲間を裏切ったんだぞ?」
「それよ、それ」
「あん?」
「アタシたち魔法使いは、世間の爪弾き者。居場所がないから、仕方がなくつるんでいるだけ」
「だから、何だよ」
「他にまっとうな場所があることを知って、舞い上がっちゃったんでしょうね。身分の差という壁も、逆に燃え上がる要素になった。冷めた娘だと思っていたのに、実は乙女だったというわけ」
「はぁ? 任務を放棄した上に、男と駆け落ちしたんだぞ。どこがまっとうなんだよ」
「バッツちゃんも、もう少し年をとったら分かるわよ。ねぇ、フウリ?」
「聞くな」
フウリは地面の上であぐらをかき、両腕を組みながらぴくりとも動かない。
察するに、メンバーのひとりであるタバシカという女魔法使いが、恋人と駆け落ちしたらしい。
物語の中の話として、トゥエニは知っていた。
道ならぬ恋は実らない。恋人たちも周囲の人たちも不幸になるからだ。
「まあ、去った人のことを嘆いても仕方がない」
部下たちのやりとりを眺めながら、オズマが言った。
「一応、最後の務めは果たしてくれたわけだし。タバシカの件は、この旅が終わってから考えようか。様々な困難を承知の上で、ふたりは一緒に旅立ったんだ。応援できる立場じゃないけれど、せめて元気でいてくれるといいね」
パウルンがため息をついた。
「隊長は、ゆるすぎよ」
「そうかい?」
上空から羽ばたきの音が聞こえた。猛スピードで降下して地面に着地したのは、両腕に猛禽類の翼、両足に鉤爪を生やした異形の男、テンクだった。お披露目の式典で見た姿だったので、トゥエニは驚かなかった。
ご苦労さんと、オズマが労いの言葉をかけた。
「それで、あっちの方は?」
テンクはちらりとトゥエニの方を見た。
「うまく嵌まりやしたぜ。雷針蜂は攻撃的な魔獣です。しかも今は気が立っていて、侵入者をどこまでも追いかける。生き残るのは無理でしょう」
「これで、我々も旅に集中できるわけだ」
勇者隊はオズマが広げた地図の周りに集まって、相談を始めた。
その間、トゥエニは放置されていたが、彼女は気にしなかった。もともとそういう存在として生きてきたからである。
馬車の中で消耗した気力と体力を回復するために、地面の上に座る。そして周囲の景色を見渡した。
トゥエニは草木が、小さな動物が、それらを育む自然が好きだった。アッカレ城でも荒れ果てた中庭を眺めて過ごしていたが、王都では窓のない部屋に閉じ込められてしまった。
だから危険な旅とはいえ、こうして風の流れを頬に受け、木の葉がそよぐ音を聞いているだけで気分がよかった。
「おい、ガキんちょ。休憩は終わりだ。出発するぞ」
相変わらず不機嫌そうなバッツの声に、トゥエニは微笑を浮かべながら答える。
「はい。よろしくお願いします」
なぜか、バッツは渋面になった。
◇
こまめに休憩をとりながら、少しずつ北の方角へと進んでいく。トゥエニの体調を気遣ってのことではなく、慎重に進行方向を定めているためであった。
テンクが上空から魔獣の位置を確認し、地図をもとにオズマが経路を定める。そうして少し進むと、またテンクが戻ってきて、次の経路を検討するのだ。
しかし、馬車が通ることができる道には限りがある。どうしても避けられない戦いもあった。
「おい、ガキんちょ。この先に突牙狼がいるってよ。お前、知ってるか?」
御者窓が開いて、バッツが聞いてきた。
魔獣図鑑で見たことがあった。ひどい揺れと馬車酔いを堪えながら、トゥエニは答えた。
「狼の姿をした、魔獣です。上顎の牙は剣のように鋭く、ひと噛みで獲物をしとめる」
「詳しいじゃねぇか。見たことあんのか?」
「あ、ありません」
「じゃあ見せてやるよ。実物ってやつをなぁ!」
馬車がスピードを上げた。
外から誰かの叫び声が聞こえた。トゥエニは車窓から確認した。オズマ、パウルン、フウリの馬を、トゥエニの乗る馬車が次々と追い抜いていく。器用なことにテンクはフウリの後ろに立っており、こちらを指さしながら怒鳴っていた。
「バッツ、テメェ。護衛対象を前に出してどうすんだ!」
馬車はさらに加速し、やや角度を変えて一気に止まった。車体が横向きになり、窓から進行方向の先が見渡せるようになった。
道路の先で待ち構えているのは、三体の巨大な狼。
ぼんやりと紅く、目が光っている。
魔獣だと、トゥエニは思った。
魔獣は獣とは別種の生き物だ。体が大きく、例外なく目が紅く光り、特殊な能力を持っている。
獣は空腹を満たすため、あるいは縄張りや家族を守るために人を襲うが、魔獣は理由なく人を襲う。それが魔獣の本能なのだと、魔獣図鑑の冒頭に記載されていた。
馬車の御者席から、バッツが飛び降りた。
「見てろよ、ガキんちょ。オレは力を手に入れた。もう、何も心配することはねぇんだ!」
魔獣の大きさは成人男性の体長で換算されるという。目算で、人二倍から三倍だとトゥエニは思った。魔獣の中では小さい方なのかもしれないが、馬ほどもある大きな狼だ。その上顎からは鋭利な牙が突き出ていた。
相手を挑発するかのように、バッツはひらひらと片手を振った。
「ほら、こいよ。犬っころ」
三体の突牙狼は低い唸り声を上げて警戒していたが、やや重心を低くすると、一斉に襲いかかってきた。まるで地を駆ける風のようだった。ほんのひと呼吸で間合いを詰められる。
バッツは片足を上げると、強く地面を踏みしめた。
「貫け、“土針”!」
虹色の光の筋が地面を走る。次の瞬間、地表から無数の棘のようなものが飛び出した。まるで水晶のように尖った棘は、三体の狼の腹部を様々な角度から貫いた。血反吐を吐きながら、突牙狼は甲高い鳴き声を上げた。
「ぎゃっはっは! どうだ、苦しいだろ。すぐには死ねねぇぜ。たっぷり苦しんでから、あの世にいきな!」
馬車の中で、トゥエニは震えていた。
彼女は魔法を、人を感動させることができる素敵なものだと思っていた。だが元々は魔獣が持っていたもの。その本質が破壊の力であることを、まざまざと見せつけられたのである。
トゥエニにとって、旅は引越しという認識だった。侍女と二人で旅行馬車に乗り、新たな町や村へと向かう。小さなトラブルはつきものだったが、命の危険を感じたことはなかった。
だが今回の旅は、勝手が違った。
北に進むに連れて、まるで待ち構えていたように、多くの困難が降りかかってきた。
ある時には魔獣に襲われ、またある時には別の理由で立ち往生することもあった。
激しく降りしきる雨の中、山間を走る曲がりくねった崖道である。地面はぬかるみ、土砂崩れによるものと思われる巨大な岩石が行く手を塞いでいた。
「もっとマシな道はなかったのかよ」
バッツの文句に、テンクが苛立たしそうに言い返す。
「無理言うない。他の道は魔獣どもがうようよしてんだ」
フウリが道を塞いでいる岩石の前に歩み寄った。鉄製と思われる杖を岩の表面に当てて、気合を入れる。
「“爆砕”」
耳鳴りのような音とともに岩石が震える。次の瞬間、巨大な岩石が音を立てて崩れ落ちた。
「お見事。だけど、これじゃあ馬車は通れないね」
オズマが周囲を観察した。道の半分ほどが崩れ落ちている。片側は崖。もし車輪を取られでもしたら転落するだろう。
「パウルン、君の出番だよ」
「やあねぇ。服が汚れちゃうじゃない、もう」
オズマの指示を受けて、パウルンもまた魔法の力を行使した。全身に力を込め、野太い声で叫ぶ。
「ふんがぁああ、“金剛力”ぃいいっ!」
肌が赤銅色に変わり、身体が膨れ上がっていく。布を巻きつけたような服が緩み、首に下げていた大きな輪っかが首輪となった。
テンクは両腕を翼に変えられるが、パウルンは全身が巨大化するようだ。そのために服の形や首輪の大きさが調整されていたのだろう。
角と牙を生やし異形となったパウルンは、トゥエニの乗る馬車を軽々と持ち上げると、崩れかけた崖道を難なく渡り切った。
旅の途中、魔獣の襲撃にあったとおぼしき集落に立ち寄った。主要街道から外れた小さな村だったが、外壁や柵、建物などはすべて崩れ落ち、人の姿はなかった。いたる所に残された巨大な爪痕や足跡が、破壊の凄まじさを物語っていた。
この光景は衝撃的だった。
トゥエニはようやく、この国を襲おうとしている “厄災”が本物であることを実感した。
「誰もいないね。村人たちは逃げたか、それとも」
その先は口には出さず、オズマは食料や水を探すよう指示を出した。
偵察要員であるテンクの報告によれば、北に進むにつれ大型の魔獣が増えているのだという。比較的小型で足の速い魔獣たちが先行し、大型の魔獣が後を追うように南下しているのではないかとのことだった。




