(3)
巨大な城門の隣に小さな扉があった。その脇に垂れ下がっていた鐘を鳴らしてしばらく待つと、紺色のドレスを着た三十歳くらいの女性が出てきた。ルォはほっとした。幽霊が出てくるかもしれないと思ったからである。
「どちらさまでしょうか?」
クロゼ曰く、第一印象というものが肝心なのだという。ルォは背筋を伸ばして挨拶をした。
「は、はじめまして。アルシェの街から来ました、第四級魔法使い、が、“岩壁”の、ルォです」
ルォの頭からつま先までを確認すると、女性は胡散臭そうな顔をした。
「魔法使いなどという無頼の輩を呼んだ覚えはありませんが」
途端にルォは動揺した。
「お城の、お掃除に、きました。その、ノックスさんに、言われて」
「ノックス?」
「えっと。魔法局の、怖い人」
「魔法局?」
ルォはいそいそと、ノックスから渡された依頼書を差し出した。内容を確認すると、ようやく得心がいったという感じで女性は頷いた。
「確かにそういった要求は出していましたね。予算がつくのではなく、作業員が派遣されましたか。それならば、事前に連絡して然るべきでしょうに」
「ごめんなさい」
「あなたが謝ることではありません。今から寝室の準備を整え、食事の調整を行う手間が増えたということです。さあ、こちらへどうぞ」
雨足が強くなってきた。
敷地内に入ると、風の音は消え、代わりに植物の葉や石畳を叩く雨音がやけに大きく響いた。
この城は城壁だけでなく、内部も荒れていた。門扉へと繋がる道だけは掃除されているようだが、その他は樹木や雑草が伸び放題だ。兎や狐が出てきたとしても驚かないだろう。
敷地内には大きな建物がふたつと、小さな建物がひとつあった。ルォが案内されたのは小さな建物だった。客人が寝泊まりする場所だという。ロビーらしき場所に入ると、女性はレイザと名乗った。
「この城で、侍女として働いています」
「ア、アルシェの街から来ました、第四級魔法使い――」
「それは、先ほどお聞きしました」
緊張のあまり畏まるルォを見て、レイザは少しだけ表情を和らげた。
「魔法使いというのは、粗野で下品な者ばかりと聞いておりましたが、あなたのような子供もいるのですね。こちらの要件は、確かに満たしているようです」
レイザは勝手に納得すると、ルォに仕事の話をした。
この城は別荘として改築されてから、二百年ほど経過しているという。その間、一度も使われることはなかった。おかげでご覧の有り様である。屋内の生活空間はレイザが管理しているが、屋外まではとても手が回らない。
「ですから、予算を要求したのです。本当は親睦を兼ねてミドの村の住人にお願いする予定だったのですが、まさか魔法局が対応するとは。いったいどのような駆け引きがあったのか」
ぼけっと突っ立っているルォに、レイザは確認した。
「つまりあなたは魔法使いであり、掃除屋でもあるわけですね?」
「は、はい!」
「ようこそ、アッカレ城へ」
苦手なタイプの人だとルォは思った。雰囲気があのノックスに似ているような気がする。
レイザはルォに傘を渡すと、敷地内を案内した。
一番大きな建物が居館といって、レイザが住んでいる場所だという。居館からは高い塔が突き出ていた。
「わたくしの部屋は一階にありますので、何かあれば呼びに来てください。ただし、塔の中は立ち入り禁止です。おひいさまの部屋がございますので」
「おひいさま?」
「詮索は禁止です。魔法使いルォ」
「は、はい!」
居館の隣には水晶のような形をしたドーム型の建物があった。礼拝堂という場所らしいが、入り口の扉が開かないので中には入れないのだという。
「こちらが、庭園です」
少し開けた石畳の空間に、蔦や苔で覆われた花壇やベンチ、そして彫刻のようなものが配置されていた。石畳はひび割れ、捲れ上がり、木の根や雑草が顔を出している。これでは歩くこともままならないだろう。
「案内は、以上になります」
滞在期間は十日間。それほど大きくはない古城とはいえ、ひとりで掃除するのは大変そうだ。
その日はレイザが用意してくれた簡単な夕食を食べると、ルォはぐっすり眠った。
翌日も雨は降り続いていた。
さて、どうしようか。
これだけ荒れ放題だと、どこから手をつけたらよいか分からない。ルォは悩んだ。悩んでも答えが出てこなかったので、一番好きなところから始めることにした。
雨の中、城壁をよじ登っていく。
近くで観察して、ルォは感心した。どす黒い色をした蔦が城壁の隙間に入り込み、砕いている。植物は岩ほど硬くはないが、強い。そのことをルォは知っていた。大峡谷でも白松の根が岩壁を砕いて、幹や枝葉をしっかりと伸ばしていた。
複雑に絡み合った蔦は、まるで木の根のように頑丈だった。とても引き剥がせそうにない。
ルォは石壁を修復することにした。土や岩を再構築するルォの魔法は、素材に強い影響を受ける。アッカレ城の城壁は質のよい石を使っているようで、白い光沢を放つ美しい岩肌を取り戻していく。と同時に、絡みついていた蔦や表面を覆っていた苔が剥がれ落ちた。
修繕と掃除が一度で終わる。
これはいいとルォは思った。
掃除をする時には上の方から。母親から習った掃除のコツをルォは覚えていた。手足を滑らさないよう注意しながら壁を伝いつつ、魔法を行使していく。地面に落ちた蔦や苔は、手押し車に乗せて外に運び出す。睡眠と食事以外の時間の全てを、ルォはこれらの作業に当てた。
二日目も三日目も、雨は降り続いた。
そして四日目の朝、ようやく雨が上った。
雲ひとつない青空の下、朝日を浴びた白い城壁は、きらきらと輝いていた。
満足そうに眺めているルォの後ろに、いつの間にかレイザが立っていた。
「わたくしは」
城壁に目を向けたまま、レイザは呆然と呟いた。
「魔法使いに対する認識を、改めることにしました。これほどまでに見違えるとは」
それからレイザは、少し興奮したように顔を紅潮させ、ルォの両肩に手を置いた。
「魔法使いルォ。引き続き作業をお願いしますよ」
「はい!」
次に敷地内の作業に取りかかる。
まずは石畳の道から。ひび割れを直し、瓦礫を拾い集めては欠けている部分に継ぎ足していく。本当によい石だ。それがこんなに薄汚れて、もったいない。
いつしかルォは、仕事であることも忘れて作業に没頭するようになっていた。
庭園には様々な石の造形物があったが、どれもひどい状態だった。黒カビで覆われたベンチも、苔むした花壇も、ひび割れた石の彫像も、二百年前の状態を想像しながら、当時の状態に近づけていく。
「す、素晴らしいですわ。魔法使いルォ!」
感極まったように褒め称えるレイザに、ルォも喜びを隠せなかった。心の中に湧き起こった気持ちを、勇気を出して伝えてみる。
「レイザさんが喜んでくれて、僕も嬉しい」
「なんと!」
その日の夜から、なぜか食事が豪華になった。
作業は順調だったが、気になることもあった。
時おり、視線を感じるのである。
気になって確認すると、人影は慌てたようにカーテンに隠れてしまう。それは居館から突き出た塔の三階の部屋だった。
あまりびっくりさせては悪いだろう。そう考えて、ルォは自分の作業に集中することにした。
ルォは礼拝堂の壁に貼りついていた。
水晶のような形をしたドーム型の建物である。作業は城壁と同じ。魔法を使って石壁を再構築していく。ただひとつ違うところは、それぞれの面に、まるで絵画のような色ガラスの窓がはめ込まれていることだ。ガラスは高価なもの。慎重に作業をしなくてはならない。
一ヶ所だけガラスが割れている場所があった。ルォはそこから礼拝堂の内部を覗き込んだ。薄暗い闇の中に、鮮やかな色ガラスの窓が美しく輝いている。それぞれが物語の一場面を表しているようだ。
まるで絵本のようだとルォは思った。
一枚目、すぐ右手にある窓ガラスには、雲の上にそびえる城が描かれていた。雲のすぐ下には縦に黄色の筋が入っており、赤い髪をした男が逆さまになっている。雷に打たれて落下しているように見えた。
その隣、二枚目は、奇妙な生き物たちがごちゃごちゃと描かれていた。それらは獣や鳥や昆虫だった。目が紅いので、魔獣だろうとルォは思った。
三枚目は、多くの人々が空に向かって祈りを捧げている場面だ。雲の上には銀色の髪を持つ女性がいて、片手を前に突き出している。女性の手首のあたりから血のようなものが滴り落ち、地上にいる赤子に降り注いでいた。
四枚目、祭壇のような場所で、ひとりの子供が祈りを捧げている。祭壇の上には翼を持つ青色の獣がいて、大きな口を開けていた。
五枚目は、泉の絵。そのほとりに先ほどの子供が座っている。泉の中央部には浮島があり、そこに銀色の樹木がそびえていた。
そして六枚目は、ルォが入ってきた窓だった。何が描かれていたのかは分からない。
窓の縁にあった赤紫色のガラスの欠片が落下し、硬質な音を立てて砕けた。
礼拝堂の床にはたくさんの木製の椅子が並べられていたが、ほとんどが壊れ、木屑と化していた。足の踏み場もないくらいに荒れている。レイザの話では、入り口の扉は鍵がかかっていて、その鍵も失われたのだという。入り口の反対側の壁際は一段高くなっていて、片手を前に突き出した女性の像が立っていた。
内壁を伝って降りてみる。
ルォの紅く輝く目は暗闇を見通し、女性の像をはっきりと捉えた。
その姿形と仕草から、三枚目の色ガラスの絵にでてきた銀色の髪を持つ女性だろうと、ルォは見当をつけた。
しばらくの間、呆然と女性の像を見つめていたルォだったが、はっと我に返った。
いけない、今は仕事中だ。まだすべきことはたくさんある。ルォは割れた窓から外に出て、作業を再開した。
城壁で囲まれているとはいえ、建物の上の方は風が強い。集中しなくては危ないし、体力も消耗する。きりのよいところで作業を終えると、ルォはドーム型の屋根の上で休憩することにした。
また、視線を感じた。




