(2)
「いい、ルォ君。馬車に酔ったら窓から外の景色を眺めるのよ。旅籠屋の部屋の扉は、きちんと鍵をかけて。あ、それから、仕事先ではまずご挨拶を――」
「お客さん、もう出発ですよ!」
アルシェの街の南門前。多くの旅行馬車が停留している馬車駅で、クロゼがルォに注意事項を伝えていた。見送りはクロゼの他に、運搬隊のベキオス、チャラ、ボン、トトムと、腑分け担当のスミ、ヌラ、モリン。計八名の大所帯である。
「こりゃ」
呆れたように、チャラがクロゼを嗜めた。
「昨日から何回説明しておるんじゃ。もう出発の時間ぞ」
やれやれという感じで、トトムが首を振る。
「ほんにのぅ。クロ坊は心配のしすぎじゃ。半月くらい、あっという間じゃろうて」
だが腑分け担当の老婆たちはクロゼの味方だった。すかさずヌラが反論する。
「あなたはいつもぼーっとしているから、あっという間かもしれませんけど。老人と子供では時の感じ方が違うのです」
モリンが加勢した。
「そうですとも。ルォちゃんは、頼る者のない土地で、ひとりで働くんですよ。備えあって憂いなしだわ」
ルォが背負っているはち切れんばかりに膨らんだリュックを見て、ベキオスとボンが苦言を呈した。
「しかし、いくら何でも荷物を詰め込み過ぎではないか?」
「さよう、旅は身軽な方が――って、おいスミよ。何を渡しておるんじゃ」
お腹が空いたら食べるんだよと言って、スミはルォに干し芋の入った袋を渡していた。
「お客さん、みなさんお待ちになっていらっしゃいますので」
「ルォ君」
「なに?」
分かっているのかいないのか、いまいちよく分からないルォの顔を、クロゼはじっと見つめた。
心配性の彼女は、いっそのこと自分もついていこうとしたのだが、父親と母親に反対されてしまった。さすがに半月以上も家を空けるわけにはいかないし、交通費や宿泊費を負担する余裕もなかったのである。
「お仕事から帰ってきたら、すぐに“星守”に来てね。今度こそ絶対に契約を結ぶんだから」
「うん。いってきます」
「いってらっしゃい。あ、それからリュックの中のお薬だけど、赤色の瓶が熱冷ましの薬、青色の瓶がお腹の薬、そして黄色の瓶が――」
「お、客、さ、ん!」
とうとう御者に怒られてしまった。
盛大なお見送りをされて、ルォを乗せた旅行馬車はアルシェの街を出発した。
王都や地方の主要都市をつなぐ街道はしっかりと整備されていて、多くの人や荷馬車が行き来している。中でも目立つのは、ルォの乗る大型の旅行馬車だ。四頭立ての八人乗り。座席や車輪には弾力のある魔獣の皮が使われていて、乗り心地は悪くなかったが、馬車という閉鎖された空間が、ルォは苦手だった。名前も顔も知らない他人と同乗しているという状況が落ち着かない。外の景色を眺めながら、ルォは大人しく座っていた。
旅籠屋で二泊して、ロッカの町に到着する。アルシェの街と同じように外壁で囲まれているが、その規模は十分の一もないだろう。もちろん故郷の村とは比べ物にならないほど大きな町なのだが、慣れとは恐ろしいもので、ルォは小さい町だと感じた。
旅行馬車から降りると、ルォは馬車駅の係員がいる窓口でクロゼが用件を書き記した紙を渡した。
「ミドの村? 坊やが、ひとりで行くのかい?」
「うん。“おーふく”で」
帰りの日を伝えて前金を渡す。親切な係員は安い宿屋の場所を教えてくれた。
翌朝、今度は小型の馬車でロッカの町を出発した。
岩と灌木ばかりだった景色は、少しずつその装いを変えていた。草木が増え、清らかな水が流れる小川とぶつかる。目的地は上流にあるようだ。ルォを乗せた馬車は旅籠屋で一泊して、昼過ぎにミドの村に到着した。
そこは森や小川そして美しい畑に囲まれた、風光明媚な農村だった。
村の外れに大きな建物の影が見える。
あれが、目的地であるお城だろうか。
「この村は何にもないけれど、景色だけはいいからね。時おりふらりとお客さんがお見えになるんだ。でも、こんなに小さな坊やがひとりってのは、珍しいわね」
そう言いつつも部屋を用意してくれたのは、村で唯一の宿屋を営んでいる女将だった。
ルォは自己紹介をした。
「へぇ、魔法使い!」
ミドの村は平和で、魔獣など出ないのだという。だから魔法使いになる者もいない。偏見よりも好奇心が勝ったのか、宿屋の女将はルォによくしてくれた。もっと大きくならないといけないよと、食べきれないくらいの夕食を出してくる。
「やっぱりあれかい? 魔法使いってのは、魔法を使って魔獣なんかを倒すのかい?」
どうやら魔獣狩りと勘違いしているようだ。ルォが見張り番の話をすると、がっかりされてしまった。
「それで、うちの村には何しに来たんだい?」
「お城のお掃除、です」
「あの、幽霊城!」
村の東に古い廃城がある。元々は砦だったものを、十代くらい前の国王が改築し、別荘に仕立て上げたのだと女将は教えてくれた。
「あたしも子供の頃にね、一度だけ行ったことがあるんだよ。幼馴染といっしょにお城を探検したのさ。その幼馴染っていうのが、今の亭主でね。怯えるあたしを強引に連れ出して。イヤだよこの子は、何を言わせるんだい!」
そこは荒れ果てた無人の城だったという。城門は固く閉ざされており、中に入ることはできなかった。
「だからこの村では、幽霊城って呼ばれているのさ。ただね、ちょっと前に誰かが越して来たみたいなんだ。時おり荷物も運び込まれているし。そうかい、あの城のお掃除にねぇ。魔法使いってのは、何でもするんだねぇ」
翌日はあいにくの曇り空だった。雨のことを心配しながら、ルォは城に向って徒歩で出発した。
道らしきものに残っている轍の跡をたどって歩いていく。やがて、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。ルォはコートのフードを被ると、先を急いだ。
分厚く立ち込める灰色の空の中に、その古城はそびえていた。
ずいぶん背の高い城だ。城壁はひび割れ、黒々とした蔦が覆い尽くしている。錆びついた鉄の城門は、まるで来訪者を拒むかのように固く閉ざされていた。
周囲に人影はない。雨音だけが寂しく響いている。
それは、不気味さと風格を兼ね備えた、まさに幽霊城と呼ぶにふさわしい佇まいだった。




