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赤地区動乱編 悪の秩序、その胎動3

          3


 新境連邦(しんきょうれんぽう)非加盟国──犯罪都市ラディウム。

 かつては鉱山都市だったが、鉱山枯渇後に経済破綻。治安崩壊が起こり、ならず者たちの楽園となった国。新境連邦の管理外にある崩壊文明の名残地帯。法的影響が及ばない非承認領域。

 この国の悪には、色がついている。

 赤、黄、青。

 三つの色が覇権を争っている犯罪都市──そんな噂を耳にして、凰乃(おうだい)はやってきた。

 ラディウムに足を踏み入れてすぐに目にしたのは、路地に転がる死体や、真昼間から路上で殴り合う光景だった。

 何が原因かわからないが、両者ともに怒号をあげ、容赦なく拳を振るう。

 この街ではお馴染みなのか、取り囲んで歓声やヤジを飛ばす野次馬がいたり、それを避けるでもなく横を通り過ぎていく人々がいる。

 路地を覗き込み、ピクリとも動かない死体を眺めながら、凰乃は三日前にいた国を思い出して肩をすくめた。


「前の国では不良がカツアゲしてた場所に、ここでは当たり前のように死体が放置されてるんだね。……うん、悪が呼吸してる。私の野望にはぴったりの場所だ」


 凰乃は路地から視線を外し、野次馬に混ざって喧嘩を眺めたあと、何事もなかったかのように街を歩き始めた。

 鉱山都市として栄えていた名残か、木造住宅がずらりと並んでいた。二階建て以上の建物はなく、街の周囲には険しい山々が見える。深い渓谷に作られたこの都市の環境を見れば、昔の賑わいを容易く想像できた。

 今では目に見える建物は荒廃していて、人の数は多いのに、どこか寂しさを感じる街並みだった。

 とはいえ、


「それはこの地区だけらしいけど」


 犯罪都市ラディウムは他国でも有名だった。特徴は赤、青、黄で色分けされた三つのカラーギャングが鎬を削っていること。それぞれの派閥が色を持っているように、縄張りとしている地区の街並みは、象徴となる色で満ちているらしい。

 凰乃はラディウムまでの道中を思い出した。荒野を走る馬車から眺めたラディウムの全容は、赤、青、黄と鮮やかなエリアがあり、その中でぽっかりと色を失った灰色の区域があった。

 それが、凰乃がいるここ──灰地区と呼ばれる場所だった。


「街並みは寂れてるけど、妙に雑音だけは多いところだな」


 方向性のない騒がしさ。纏まりのない人間の音。統一された熱量はないが、絶望して沈んでいるわけでもない。

 灰地区の住人には、妥協と諦観と自由が混ざっているように感じた。

 街並みだけを見れば、これだけ多くの人が生活していることが不思議なくらいだ。

 建物は雨風によって痛んでいたり、争いの被害によるものか、適当な板で補修されている屋根や壁が至るところにある。道も舗装されておらず、草木など一本も生えていない。抉れた穴には水溜りがあって、避ける素振りもなく気にせず足を踏み入れては、跳ねた泥が別の通行人にかかり、口論になって殴り合いを始める。

 活気があるとは言い難い。

 笑い声はあがるが短く、怒鳴り声も長くは続かない。

 捨てられたと感じさせる街──だからこそ、誰もが好き勝手に生きていた。


「三色の噂ばかり聞いてたからね。こういう場所があるのは意外だった。……いや、だからこそなのかな? 三色にはそれぞれ特色があるみたいだし、それらに順応できなかったり、そもそも受け付けなかったり──まぁ、合わなかった人間が集まればこうなるか」


 面白いね、と凰乃は楽しげに巡り歩く。

 通りには用途だけを示す店が並んでいた。『修理』と書かれた板切れの下では、義肢と銃の部品が同じ台に置かれている。その隣には看板のない店。壁に刻まれた歪な印──刃物で抉ったような記号を見た通行人は、視線を逸らして足早に去っていく。それだけで、ここがどんな場所かは察せられた。

 他にも『買取』『治療』『宿』と、用途だけを書いた看板が続く。

 どれも簡素で愛想がない。

 だが、人の出入りは確認できるから商売にはなっているのだろう。

 飯屋からは煮込みの匂いが漂ってきた。食材は不明だが、それでも空腹を満たすには十分らしい──と。そこで凰乃の腹が可愛らしい音を立てた。


「……お腹空いたな」


 窓から店内の覗いていた凰乃は、胃を宥めるように腹をさする。見るからに味の濃そうな煮込み料理に、これまた見るからに固そうなパン。正直、食べられれば特にこだわりなどないのだが、店内から漂う妙に甘ったるい匂いが受け付けず、他に何か手軽に食べられそうなモノはないかと辺りを見回した。


「……ふむ」


 何の肉かわからない串焼き、形が歪な蒸かし芋、鉄板で焼いた粉っぽいパンなど、ちょっと目を向けるだけで色々な食べ物があった──が、それ以上に凰乃が気になったのは視線の多さだった。

 まぁ今になって気付いたわけではない。ラディウムに着いて灰地区に足を踏み入れた瞬間から、ここの住人たちからの視線は幾度となく感じていた。

 敵意ではない。

 好意でもない。

 ただ探るような視線。

 白銀の髪に白い肌という凰乃の容姿は、この寂れた街ではどうしても浮く。自分が目立つ見た目をしていることは自覚していた。これまで多くの国を巡ってきたが、どこでも視線は向けられていた。その多くが興味や好奇といったものであり、声をかけられたことも両手の数じゃ足りないくらいだ。


「凄い見てくるのに声をかけてくる素振りもない」


 別に声をかけてほしいわけではないが、そんなに気になるなら話しかけてくればいいのに、と凰乃は肩をすくめた。

 近づいてくるわけじゃない。

 でも、完全に無視するわけでもない。

 灰地区らしい距離感だな、と凰乃は思った。


「初めて見る顔だな」


 不意に背後から声がした。振り返ると、すぐ近くの壁際に、膝を立てて地面に座っている男がいた。年の頃は四十代前半だろうか。派手さのない服装で、特定の色──赤、青、黄の三色を身につけていない。わざとらしいほどこの三色を避けているのも、ここ灰地区の特徴だろう。

 タバコの煙を吐き出し、禿頭を撫でながら凰乃を見上げる男。白銀の髪や白を基調とした服装。上から下に視線を滑らせる男は、凰乃の妖しげな輝きを放つ真っ黒な瞳を見て僅かに目を細めた。露骨に舐め回すような無礼さはない。ただ探るような視線。


「ついさっきこの街に来たんだ」

「ほう。観光か?」

「ふふっ、こんなところに?」


 凰乃の言葉に、男はにやりと笑った。

 地面にタバコを押し付け、ゆっくりと立ち上がると腰を抑えながら伸びをする。座っているときも思っていたが、立ち上がるとそのデカさがわかる。ガタイもよく、この街の住人にお似合いな背格好だった。ただ、いたたた、と顔を歪ませるその姿はおじさん臭くて、凰乃は冷めた表情で眺めていた。


「悪名轟く犯罪都市ラディウム。その中でもここ灰地区はルールのない無法地帯だ。まぁ三色に合わなかった連中の掃き溜めだから、皆が好き勝手に生きてる──だからこそだ」


 と男は凰乃を見下ろす。


「わざわざこの街に──それも灰地区にやってくるなんて、理由がないとあり得ねぇんだよ。他国から遊びに来るやつもいるが、そういう連中は大抵が黄地区の娯楽目当てだ。赤地区も色々遊べるが、別にこの街にしかないものじゃねぇ。境外域(きょうがいいき)の中でも辺境にあるラディウムに来る理由にしては弱い。……用件はなんだ?」


 威圧するわけでも、牽制するわけでもない。ただ、余所者である凰乃を見極めるような目つき。

 そこで凰乃は気付いた。

 この男はたまたま見かけたから声をかけてきたのではなく、ずっとこちらの動向を観察していたのだと。遠回しに探りを入れず、直接問い掛けてきた。その事実に、自分がかなり異質な存在に見られていることを悟る。

 凰乃は見下ろす男の瞳をジッと見返していた。


(心配してるわけじゃない。そんな素振りすらない──随分と警戒されてるな。まぁ私みたいな外様が当てもなくぶらぶらしてたら、嫌でも意識にちらつくか)


 互いに目を逸らさず、しばらく無言が行き交う。

 こちらが何か答えるまで、男は口を開かないつもりだろう。

 凰乃は薄く微笑み、


「噂が本当か、確かめに来た」


 と言った。

 その返答に眉根を寄せる男を見て、凰乃は笑みを深めた。目的をハッキリ言わず、あえて意味深な言葉で濁す。ちょっと意地悪してやろう、と思っての言葉選びだったが、男の表情を見るに効果はてきめんのようだった。

 禿頭を指で掻きながら、男は小さくため息を吐いた。一瞬だけ視線を逸らし、すぐに戻す。


「面倒事でも起こす気か?」

「悪いようにはならないと思うよ。少なくとも、自由は尊重される」


 凰乃は腕を組み、ウインクをしてみせた。

 整った容姿をしているから芝居掛かった仕草は妙に様になっているが、二回り近く年の離れた男からすれば、大人相手に背伸びしている子供にしか見えないだろう。凰乃が纏う雰囲気や言動、灰地区を無防備に歩き回る他所からの来訪者という要素に、警戒半分、純粋な興味半分で注意を向けていたが、年相応なその姿に男は毒気を抜かれた。

 そして、

 ──ぐぅ。

 という可愛らしくも間の抜けた音に呆れを浮かべた。


「……」

「……」


 互いに目を逸らさず、しばらく無言が行き交う。

 こちらが何か答えるまで、男は口を開かないつもりだろう──状況が変われば内容も変わる。さっきまでは凰乃が主導権を握っていたが、今は完全に優位性を失っていた。

 とはいえ、男も別に得意気なわけではない。

 呆れ顔ではあるが、腹を空かす凰乃を微笑ましく思っていたりする。

 気恥ずかしさや気まずさに耐えかねた凰乃は、握った拳を口元に当ててわざとらしく咳払いをした。


「……どうやら、面倒事が起こったようだ」

「腹が減ったと素直に言えよ」

「ふふっ、なるほど。これが腹を空かせるということか。では、私の胃が耳に心地よい音を奏でたのは、何か食べ物を催促しているということかな?」

「みっともない音の間違いだろう」

「ところで、見たところキミは年老いた大人のようだが──」

「年は取ってるが老いてはいねぇよ」

「どうやら目の前にお腹を空かせた美少女がいるようだよ。さて、年を取った大人はこういう時、どのように振舞うものなのかな?」

「……」


 どこかズレた言語感覚でベラベラと理屈っぽく捲し立てたことで調子が出てきたのか、凰乃は再度腕を組んでウインクをした。

 そんな凰乃を見て、呆れを通り越して可哀そうに思ったのだろう。凰乃に合わせるようにわざとらしく両手を挙げた。参った、と芝居掛かった仕草で嘆息する。


「悪い、俺の腹の虫が騒いじまったみたいだ」

「ふふっ、あの音はキミのだったのか。顔に似合わず可愛い音じゃないか」

「俺は飯を食ってくるからテメェも気を付けて灰地区を満喫しろよ」

「ちょっと待ちなよ」


 頬を引き攣らせながら踵を返す男の腕を掴み、凰乃は宥めるように優しい声を出す。


「顔に似合わずは嘘だよ。よく見れば顔も可愛いじゃないか」

「口説いてんのか」

「ふふっ、よければ一緒にご飯でもどうかな?」


 男は溜息を吐き、凰乃の手を払って言う。


「これも何かの縁だ。ご馳走してやるよ。俺は立派に年を取った大人だからな」

「あとは老いるだけだね」

「皆そうだろ」


 軽口を言い合いながら、凰乃は先を歩く男の隣に並ぶ。

 こちらの歩幅に合わせて歩いてくれている男に気づき、凰乃は一人呟いた。


「大人だね」


 その呟きが聞こえたのか、男の口元には小さく笑みが浮かんだ。

 しばらく無言で歩いていると、ふと路地の方に視線が引き寄せられた。


「また死体がある。ここの日常は物騒だね」

「死体?」


 男が眉根を寄せ、路地を覗く。転がる死体を見た後、まるで逃げるように歩き出した。


「どうしたんだい?」

「お前、死体を見て『また』って言ったな」


 頷く凰乃に男は続ける。


「灰地区でケンカは日常茶飯事だが、死体が出るような騒ぎは珍しい。俺も別の場所で死体を見た。腹に穴が開けられた惨いモノをな」

「何かが起きてるってことかな?」


 凰乃の声音に不安や恐怖はなく、それよりも好奇や興味の色が大きかった。

 それらを感じ取ったのか、男は顔を顰めながら言う。


「……ラディウムに来るだけあって、気味の悪いガキだな」


 凰乃は何も言わず、ただ微笑むだけだった。

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