祈りの問題
翌朝の会議は、条件三に集中した。
会議室の長テーブルに、朝の光が白く差している。リーリエ、カイン、レオンハルト、リュカが席につき、白紙の紙が真ん中に置かれている。条件一と条件二の計画書は脇に寄せられ、その白さが際立っている。三つのうち二つは埋まった。しかし最後の一枚が——最も重い。
「万人の祈り。分散型の炉を動かすには、世界中の人々が自発的に『この世界を維持したい』と願う必要がある。一人あたりの負担はごく小さい——しかし、自発的でなければ機能しない」
リーリエが条件を整理した。
「なんで強制じゃダメなんすか」
リュカが率直に聞いた。
「炉の構造が、そうなっているの。エルシェさんの設計では、分散型の燃料は『自発的な生命の脈動』でなければ受け付けない。恐怖や強制で生み出される力は、炉と波長が合わない」
「つまり——人々が自分の意志で、心から願わなきゃいけないってことか」
レオンハルトが腕を組んだ。
「そうよ。でも問題はそこではない。問題は——人々が何を願えばいいのかすら知らないこと」
リーリエは窓の外を見た。
「世界中の大多数の人々は、聖女制度の真実を知らない。結界が聖女の命で維持されていることも、聖女が命を削られ続けていることも。教会が五百年間それを隠してきたことも。知らない人々に、何を求められる?」
沈黙。
「……真実を知らせるしかないのでは」
レオンハルトが静かに言った。
「聖女制度の真実を、世界に公開する。一人の少女が命を削られて世界を支えている事実。教会がそれを隠し続けてきた事実。そして——聖女を犠牲にしない方法が存在するという事実」
リーリエは頷いた。
「そう。論理的な帰結として、そこに行き着くのよ」
「真実を知れば、人々は考え始める。自分たちの平和の代償が何だったのかを。そのとき初めて——自発的に『この世界を維持したい。でも、聖女を犠牲にしない形で』と願う人が現れるかもしれない」
「かもしれない——っすか」
リュカの声に、不安が滲んでいた。
「保証はないわ。真実を知っても、人々が『それでも聖女を犠牲にした方がいい』と思う可能性もある。大司教の声明が証明したように、『確実な方を選べ』という論理は強い」
重い空気が、会議室に満ちた。蝋燭の炎が一つ、音もなく揺れた。窓の外で鳥が鳴いたのが、妙に遠くに聞こえる。
リュカが頭を掻いた。
「つまりあれっすか。世界中の人に『あんたらの平和は、一人の女の子の命で成り立ってるんすよ』って教えて、それでも守りたいと思うかどうかを試すってことっすか」
「乱暴な言い方だけど——本質的には、そう」
「でもそれ、人々が『知らなかった。ごめん。じゃあ自分の力を分けます』ってなるとは限らないっすよね。逆に『知ったことか。俺の生活を守ってくれればいい』って反応もあり得るっすよ」
リュカの指摘は鋭かった。いつもの軽口ではない、現実的な懸念。
「ええ。だから、『真実を伝える方法』が重要になるの。ただ暴露するのではなく、人々の心に届く形で」
カインが口を開いた。
「真実を公開すれば——教会との決定的な対立になる」
「ええ。教会の権威は、聖女制度の秘匿の上に成り立っている。真実が明かされれば、教会は存在意義を問われる」
「世界に混乱をもたらす」
「間違いなく」
全員が黙った。
真実を公開することの重さ。教会との決定的な対立。世界の混乱。人々の動揺。
やるのか。やらないのか。
リュカが頭を掻いた。
「俺は難しいことはわかんないすけど——お嬢が犠牲にならなくて済む方法があるなら、やるしかないんじゃないすか。混乱しようが何だろうが」
単純だが、核心を突く言葉だった。
レオンハルトが頷いた。
「教会の中にも良心派がいる。真実が公開されれば、彼らも動きやすくなる。むしろ——いつまでも秘密にしておく方が、教会のためにならない」
カインが立ち上がった。
「真実の公開がいつ、どうやって行われるかは——次の段階で決める。まずは条件一と二の準備を完了させる。条件三は——」
「同時並行で考えるわ」
リーリエが言った。
「真実を公開するなら、方法とタイミングが重要になる。ただ暴露するだけでは混乱しか生まない。人々の心に届く形で、聖女制度の真実と第三の道の希望を同時に伝えなければ」
誰も即答できない沈黙が落ちた。
議論は堂々巡りに入りかけていた。全員が真実公開の必要性を理解しているが、その意味の重さに、決断を出せずにいる。
リーリエはテーブルの白紙を見つめた。条件三のための白紙。まだ何も書かれていない。
「……今日は、ここまでにしましょう」
リーリエが静かに言った。
「結論を急いでも、良い答えは出ない。少し時間を置いて、それぞれ考えましょう」
全員が頷いた。
会議の後。
リーリエは会議室に残り、白紙を見つめていた。
カインが戻ってきた。手に盆を持っている。
「腹が減っては何も考えられん」
盆の上に、食事が載っていた。パンと、温かいスープと、焼いた肉。それから果物。
「……カインさんが作ったの?」
「文句があるか」
「いいえ。ただ——意外と料理できるのね」
リーリエが皿を見つめた。盛り付けは不格好だが、味はちゃんとしていそうだ。
「馬鹿にするな。数百年も生きてりゃ嫌でも覚える」
「そう。じゃあ、いただきます」
リーリエがスープを一口飲んだ。
「……おいしい」
「当然だ」
「リュカさんの方が上手だけど」
「……」
カインが無言でパンを齧った。リーリエは小さく笑った。
重い議論の後の、束の間の穏やかさ。食事の温もりが、張り詰めた心を少しだけ解していく。
条件三の答えは、まだ見つからない。
しかし——答えは必ずある。エルシェが「万の灯火で」と書いたとき、その方法が存在することを信じていたはずだ。
リーリエもまた、信じる。
窓の外に見える月は、太陽の光を反射して輝いている。自分では光れなくても、光を受けて輝くことはできる。人の心も、きっと同じだ。
人の心に——きっと、灯は灯る。




