三つの条件
翌朝、魔王城の会議室に全員が集まった。
長い楕円形のテーブル。上座にカイン、その隣にリーリエ。向かいにレオンハルト。テーブルの端にリュカが腕を組んで座り、その後ろに数人の従者が控えている。窓から朝の光が差し込み、テーブルの木目を白く照らしていた。
リーリエの前に、昨日完成した炉の構造図が広げられていた。
「結論から言います」
リーリエは全員の顔を見渡し、静かに、しかし明確に言った。声は小さいが、部屋の隅まで届く。教会時代に身についた、祈りの声の通し方だった。
「第三の道の実行には、三つの条件が必要です」
テーブルの上に広げられた構造図が、蝋燭の光を受けて微かに影を揺らしていた。五百年分の知恵の結晶——それが、三つの条件に集約される。
沈黙が落ちた。全員の目がリーリエに集中している。朝の光に照らされた構造図の上を、埃が一粒、ゆっくりと横切っていった。部屋の空気が張り詰め、誰かが息を止めた気配がした。
「条件一。炉の再設計」
リーリエは構造図の中核部分を指した。
「聖なる炉の燃料供給を、一点集中型から分散型に変更すること。一人の聖女の命ではなく、万人の小さな生命力で炉を動かす構造にする。設計図は揃っているから、理論的な道筋は見えています」
レオンハルトが頷いた。「理論的には、ということは……」
「実行には、炉に直接アクセスして構造を書き換える必要があるわ。それが条件二に繋がるの」
リーリエは構造図の中央——心炎の位置を指した。
「条件二。聖女の媒介」
会議室の温度が、微かに下がったように感じた。窓から差す光が、構造図の上で揺れている。
「炉の構造を変更するには、炉の中核——心炎に直接触れ、構造を書き換える『橋渡し』が必要になる。それができるのは、炉と繋がっている存在——つまり、聖女だけ」
「リーリエ殿が、自ら炉の中核に入るということか」
レオンハルトの声が硬い。琥珀色の瞳が真っ直ぐにリーリエを見つめている。嘘がつけないこの騎士の目に、はっきりと不安の色が浮かんでいた。
「ええ。私が炉の中核で、一点集中型から分散型への切り替えを行う。その間——」
リーリエは淡々と続けた。自分の命のことを語る声が、他人事のように穏やかなのは——かつて死を望んでいた頃の名残ではない。覚悟を決めた者の静けさだった。
「私の命は、極度の危険にさらされます。炉の中核は、聖女の生命力を最も激しく消費する場所。構造の書き換え中は、通常の数十倍の速度で命が削られると推定されるわ」
沈黙。
カインの表情が、石のように硬くなっていた。深紅の瞳が炉の構造図を睨みつけている。拳がテーブルの下で握り締められている。白くなった指の関節が、感情の激しさを物語っていた。
「条件三」
リーリエは声のトーンを変えずに続けた。
「万人の祈り」
「祈り?」
リュカが首を傾げた。いつものお気楽な表情が消え、真剣な目をしている。
「分散型の燃料は、万人の自発的な生命力——つまり、人々が『この世界を維持したい』と願う気持ちそのもの。強制では機能しないの。一人ひとりが、自分の意志で、ほんの少しの力を分け与える。それが集まって、炉を灯す」
「自発的に……って、そんなの、どうやって集めるんすか」
リュカの問いに、リーリエは小さく微笑んだ。しかし微笑みの奥に、途方もなさが滲んでいる。
「それが、最大の問題よ」
三つの条件が、テーブルの上に並べられた。
条件一——炉の再設計。設計図がある。理論はできている。困難だが、道筋は見えている。
条件二——聖女の媒介。リーリエの命を賭けた、危険な作業。方法は概ね判明しているが、成功の保証はない。
条件三——万人の祈り。理論でも技術でも解決できない。人の心の問題。
レオンハルトが腕を組んだ。右頬の古い刀傷が、顎の力みで微かに引きつっている。
「条件一と二は、我々の努力で何とかできる。だが条件三は……」
「世界中の人々に、自発的に力を分けてもらう必要がある。しかも聖女制度の真実を知らない人々に」
リーリエの言葉に、再び沈黙が落ちた。
カインが、ようやく口を開いた。
「条件二について」
低い声。感情を押し殺しているのがわかる。
「お前が危険にさらされる方法しかないのか」
「他に方法があれば、とっくに見つかっているわ」
リーリエの声は穏やかだった。
「炉と繋がっているのは私だけ。橋渡しができるのも私だけ。それは変えられない事実よ」
カインの拳が、テーブルの下で軋んだ。
「……必ず守る」
「知ってるわ」
リーリエが微笑んだ。目尻が下がった、温かい笑み。カインの深紅の瞳が、一瞬揺れた。
重い沈黙が会議室を満たした。三つの条件。どれも容易ではない。しかし不可能でもない。エルシェが五百年前に蒔いた種は、確かに芽を出している。あとはその芽を育てる力が、あるかどうか。
会議は一通りの整理を終え、散会となった。
レオンハルトが地図を広げて次の作戦を考え始め、リュカが従者たちに指示を出している。
リーリエが会議室を出ようとしたとき、カインが後を追ってきた。
「リーリエ」
廊下で呼び止められた。振り返ると、カインが手を伸ばしてきた。
額に手が当てられた。大きな掌が、リーリエの額を覆う。温かい手のひら。リーリエの額は少し冷えていて、その温度差が心地よかった。
「……熱はないな」
「毎回そうやって確認するのね」
リーリエは苦笑した。しかし頬が微かに赤くなっている。カインの掌は乾いて温かく、額に触れた瞬間、会議で張り詰めていた肩の力がふっと抜けた。
「毎回確認するに決まっている。お前は自分の体調を報告しない」
「大丈夫よ。紋章の状態も安定しているわ」
「紋章の話じゃない。お前自身の話だ。今日の会議、三時間以上立ちっぱなしだっただろう。足は痛くないのか」
「痛くないわ」
「本当か」
「……少しだけ」
「ほら見ろ」
カインが呆れたような、しかし安堵したような息を吐いた。
「信用していない」
「ひどい」
カインの手が、額からゆっくりと離れた。指先がリーリエの銀灰色の前髪を掠める。
「……条件二の件。俺は——」
「カインさん」
リーリエが遮った。
「私は、覚悟しているわ。怖くないと言ったら嘘になるけれど——でも、あなたがそばにいてくれるなら、大丈夫」
カインが黙った。言いたいことが山ほどあるのだろう。しかし、リーリエの穏やかな瞳を見つめて、その言葉を飲み込んだ。
「……俺がそばにいる。何があっても」
「ええ。だから、大丈夫」
廊下の窓から午後の光が差し込み、二人の影を床に落としている。光の中で、小さな埃が金色に舞っていた。
三つの条件。設計図は揃いつつある。聖女の覚悟はある。
残された問題は——人の心。
そしてリーリエの身体に、新たな異変の兆しが近づいていた。




