表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

248/289

三つの条件

 翌朝、魔王城の会議室に全員が集まった。


 長い楕円形のテーブル。上座にカイン、その隣にリーリエ。向かいにレオンハルト。テーブルの端にリュカが腕を組んで座り、その後ろに数人の従者が控えている。窓から朝の光が差し込み、テーブルの木目を白く照らしていた。


 リーリエの前に、昨日完成した炉の構造図が広げられていた。


「結論から言います」


 リーリエは全員の顔を見渡し、静かに、しかし明確に言った。声は小さいが、部屋の隅まで届く。教会時代に身についた、祈りの声の通し方だった。


「第三の道の実行には、三つの条件が必要です」


 テーブルの上に広げられた構造図が、蝋燭の光を受けて微かに影を揺らしていた。五百年分の知恵の結晶——それが、三つの条件に集約される。


 沈黙が落ちた。全員の目がリーリエに集中している。朝の光に照らされた構造図の上を、埃が一粒、ゆっくりと横切っていった。部屋の空気が張り詰め、誰かが息を止めた気配がした。


「条件一。炉の再設計」


 リーリエは構造図の中核部分を指した。


「聖なる炉の燃料供給を、一点集中型から分散型に変更すること。一人の聖女の命ではなく、万人の小さな生命力で炉を動かす構造にする。設計図は揃っているから、理論的な道筋は見えています」


 レオンハルトが頷いた。「理論的には、ということは……」


「実行には、炉に直接アクセスして構造を書き換える必要があるわ。それが条件二に繋がるの」


 リーリエは構造図の中央——心炎の位置を指した。


「条件二。聖女の媒介」


 会議室の温度が、微かに下がったように感じた。窓から差す光が、構造図の上で揺れている。


「炉の構造を変更するには、炉の中核——心炎(しんえん)に直接触れ、構造を書き換える『橋渡し』が必要になる。それができるのは、炉と繋がっている存在——つまり、聖女だけ」


「リーリエ殿が、自ら炉の中核に入るということか」


 レオンハルトの声が硬い。琥珀色の瞳が真っ直ぐにリーリエを見つめている。嘘がつけないこの騎士の目に、はっきりと不安の色が浮かんでいた。


「ええ。私が炉の中核で、一点集中型から分散型への切り替えを行う。その間——」


 リーリエは淡々と続けた。自分の命のことを語る声が、他人事のように穏やかなのは——かつて死を望んでいた頃の名残ではない。覚悟を決めた者の静けさだった。


「私の命は、極度の危険にさらされます。炉の中核は、聖女の生命力を最も激しく消費する場所。構造の書き換え中は、通常の数十倍の速度で命が削られると推定されるわ」


 沈黙。


 カインの表情が、石のように硬くなっていた。深紅の瞳が炉の構造図を睨みつけている。拳がテーブルの下で握り締められている。白くなった指の関節が、感情の激しさを物語っていた。


「条件三」


 リーリエは声のトーンを変えずに続けた。


「万人の祈り」


「祈り?」


 リュカが首を傾げた。いつものお気楽な表情が消え、真剣な目をしている。


「分散型の燃料は、万人の自発的な生命力——つまり、人々が『この世界を維持したい』と願う気持ちそのもの。強制では機能しないの。一人ひとりが、自分の意志で、ほんの少しの力を分け与える。それが集まって、炉を灯す」


「自発的に……って、そんなの、どうやって集めるんすか」


 リュカの問いに、リーリエは小さく微笑んだ。しかし微笑みの奥に、途方もなさが滲んでいる。


「それが、最大の問題よ」


 三つの条件が、テーブルの上に並べられた。


 条件一——炉の再設計。設計図がある。理論はできている。困難だが、道筋は見えている。


 条件二——聖女の媒介。リーリエの命を賭けた、危険な作業。方法は概ね判明しているが、成功の保証はない。


 条件三——万人の祈り。理論でも技術でも解決できない。人の心の問題。


 レオンハルトが腕を組んだ。右頬の古い刀傷が、顎の力みで微かに引きつっている。


「条件一と二は、我々の努力で何とかできる。だが条件三は……」


「世界中の人々に、自発的に力を分けてもらう必要がある。しかも聖女制度の真実を知らない人々に」


 リーリエの言葉に、再び沈黙が落ちた。


 カインが、ようやく口を開いた。


「条件二について」


 低い声。感情を押し殺しているのがわかる。


「お前が危険にさらされる方法しかないのか」


「他に方法があれば、とっくに見つかっているわ」


 リーリエの声は穏やかだった。


「炉と繋がっているのは私だけ。橋渡しができるのも私だけ。それは変えられない事実よ」


 カインの拳が、テーブルの下で軋んだ。


「……必ず守る」


「知ってるわ」


 リーリエが微笑んだ。目尻が下がった、温かい笑み。カインの深紅の瞳が、一瞬揺れた。


 重い沈黙が会議室を満たした。三つの条件。どれも容易ではない。しかし不可能でもない。エルシェが五百年前に蒔いた種は、確かに芽を出している。あとはその芽を育てる力が、あるかどうか。


 会議は一通りの整理を終え、散会となった。


 レオンハルトが地図を広げて次の作戦を考え始め、リュカが従者たちに指示を出している。


 リーリエが会議室を出ようとしたとき、カインが後を追ってきた。


「リーリエ」


 廊下で呼び止められた。振り返ると、カインが手を伸ばしてきた。


 額に手が当てられた。大きな掌が、リーリエの額を覆う。温かい手のひら。リーリエの額は少し冷えていて、その温度差が心地よかった。


「……熱はないな」


「毎回そうやって確認するのね」


 リーリエは苦笑した。しかし頬が微かに赤くなっている。カインの掌は乾いて温かく、額に触れた瞬間、会議で張り詰めていた肩の力がふっと抜けた。


「毎回確認するに決まっている。お前は自分の体調を報告しない」


「大丈夫よ。紋章の状態も安定しているわ」


「紋章の話じゃない。お前自身の話だ。今日の会議、三時間以上立ちっぱなしだっただろう。足は痛くないのか」


「痛くないわ」


「本当か」


「……少しだけ」


「ほら見ろ」


 カインが呆れたような、しかし安堵したような息を吐いた。


「信用していない」


「ひどい」


 カインの手が、額からゆっくりと離れた。指先がリーリエの銀灰色の前髪を掠める。


「……条件二の件。俺は——」


「カインさん」


 リーリエが遮った。


「私は、覚悟しているわ。怖くないと言ったら嘘になるけれど——でも、あなたがそばにいてくれるなら、大丈夫」


 カインが黙った。言いたいことが山ほどあるのだろう。しかし、リーリエの穏やかな瞳を見つめて、その言葉を飲み込んだ。


「……俺がそばにいる。何があっても」


「ええ。だから、大丈夫」


 廊下の窓から午後の光が差し込み、二人の影を床に落としている。光の中で、小さな埃が金色に舞っていた。


 三つの条件。設計図は揃いつつある。聖女の覚悟はある。


 残された問題は——人の心。


 そしてリーリエの身体に、新たな異変の兆しが近づいていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ