表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王は死にたがりの聖女を拾い、今日も溺愛で生かしにかかる  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

246/287

もうひとつの研究

 魔王城の書庫は、紙で溢れていた。


 長机の上に広げられた設計図の写し。その横に積み上げられた歴代聖女の研究記録。五百年分の羊皮紙と紙束が、書庫の空気を古い紙の匂いで満たしている。蝋燭が三本、机の角に立てられ、紙の表面を橙色に照らしていた。


 リーリエは机に向かい、エルシェの設計図と歴代聖女の記録を並べていた。


「第七代聖女アネリーゼの記録。炉の燃料供給路の観察日誌——彼女は十年間、炉との繋がりを通じて燃料の流れを記録し続けていたの」


 リーリエが記録の束を広げると、細かい文字がぎっしりと並んでいた。日付、紋章の状態、体感した力の流れの方向と強さ。十年分の膨大なデータ。文字は整然としているが、後半になるにつれて筆圧が弱くなっていく。命が削られていった証だった。


「第十二代聖女マリーカの理論ノート。アネリーゼのデータを基に、炉の構造の一部を数理的に解析している。この人は数学に強かったのね」


 リーリエの指が紙の上を滑る。数式と図形の連なり。聖女でありながら、学者のような知性を発揮した女性の記録。ノートの余白に小さな花の落書きがあった。それだけが、この記録の主が計算機ではなく、一人の少女であったことを示している。


 歴代聖女たち。一人ひとりが、命を削られながら炉の構造を研究し、わずかな知見を次の世代に遺していた。教会に管理された聖女たちが、密かに——教会の目を盗んで。


 なんとかしたい、という願い。同じ運命を繰り返させたくない、という祈り。


 エルシェが最初に遺した種が、五百年の間に少しずつ芽を出し、枝を伸ばしていた。


「すごいわ……」


 リーリエは呟いた。一人では完成しなかった理論が、世代を超えた共同研究として繋がっていく。パズルのピースが、一枚、また一枚と嵌まっていく。


 カインが向かいの椅子に座り、リーリエの作業を見守っていた。歴代聖女の記録を分類し、年代順に並べる補助作業をしている。


「この記録の一部は、俺が集めたものだ」


「え?」


「五百年間、各地を放浪する中で、聖女の痕跡を追った。教会が処分しきれなかった記録を、古書市場や廃修道院から回収した」


 リーリエはカインを見つめた。五百年間。たった一人で。聖女を救う方法を求めて、世界中を歩き続けた男。


「……カインさんが集めてくれたから、今、ここにあるのね」


「偶然だ。たまたま見つけただけだ」


「五百年分の偶然を、たまたまとは言わないわ」


 カインが目を逸らした。


 窓の外はとうに暗くなっていた。蝋燭の光が書庫を橙色に照らしている。三本のうち一本は芯が短くなり、溶けた蝋が受け皿に溢れかけていた。


 リーリエは作業に戻った。エルシェの設計図の空白部分に、歴代聖女の研究データを当てはめていく。燃料供給路の観察データが、設計図の流路の図形と一致する。数理解析が、構造の強度と限界値を裏付ける。


「ここ——第七代の観察データと、エルシェさんの設計図の分岐点が合致するわ。燃料供給路は、炉の中核から六本の主幹に分かれて、そこからさらに枝分かれしている」


「六本の主幹か。結界の六方位に対応しているのかもしれん」


「そう。世界の六方位——東西南北と天地。六本の幹が結界の骨格を成している」


 二人の会話が、静かな書庫に反響する。蝋燭の芯が時折爆ぜる音。紙をめくる音。炭筆が紙の上を走る音。


 深夜。作業は続く。


 カインが席を立ち、書庫の奥に消えた。しばらくして戻ってきたとき、手に二つの茶碗を持っていた。湯気が立っている。


「飲め」


「……ありがとう」


 リーリエは茶碗を受け取った。温かい薬草茶。リュカが城に常備しているもので、リーリエの好みに合わせた配合だ。しかし今日、リュカは城の防衛に残っている。この茶は、カインが淹れたものだ。


 一口飲んで、リーリエは小さく笑った。


「少し濃いわね」


「……文句があるなら飲むな」


「文句じゃないわ。温かいから、いいの」


 カインが黙って自分の茶碗に口をつけた。照れているのがわかる。茶碗を持つ手が妙にぎこちない。


 リーリエは茶碗を両手で包み、書庫の天井を見上げた。煤けた石の天井。この城の、この書庫で、何度こうして夜を過ごしただろう。


「ねえ、カインさん」


「なんだ」


「歴代聖女たちは……教会に命を奪われながら、それでも記録を遺していた。自分が救われなくても、次の世代のために」


「……ああ」


「この聖女、アネリーゼさん。十年間、毎日欠かさず観察日誌を書いていた。炉に命を吸われ続けながら、来る日も来る日も。最後の頁の字は……とても弱くなっているの。書く力すら残っていなかったのに、それでも書き続けた」


 リーリエの声が微かに震えた。アネリーゼの最後の頁を思い出していた。文字というより、紙に引っ掻いたような線。それでも判読できるように、懸命に形を保とうとした筆跡。


「彼女たちの想いを、無駄にしたくない」


 カインが立ち上がり、リーリエの隣に回った。何も言わず、リーリエの肩にそっと手を置いた。


 大きな手の温もりが、肩を通じてリーリエの全身に広がっていく。


「無駄にはしない」


 カインの低い声。


「お前が、繋ぐんだ。あいつらの研究を」


 リーリエは頷いた。


「ええ。繋ぐわ」


 茶碗を置き、作業に戻る。


 蝋燭が短くなっていく。夜が深まる。しかし二人の手は止まらなかった。


 空が白み始めた頃、リーリエの目が輝いた。


「七割……七割の構造が判明したわ」


 机の上に広げた紙に、炉の構造図が描かれていた。まだ空白の部分はあるが、全体の七割が埋まっている。一点集中型の燃料供給の仕組み——その骨格が見えてきた。


「明日——いえ、今日か。残りの三割を埋めましょう」


「お前はまず寝ろ」


「もう少しだけ——」


「寝ろ」


 カインの声に有無を言わさぬ響きがあった。しかし目は優しい。


 リーリエは小さくため息をつき、椅子の背にもたれた。


「……意地を張るなって、いつも言うのね」


「お前が意地を張るからだ」


 リーリエの目が閉じかけた。作業の興奮が収まると、一気に疲労が押し寄せてくる。紋章が微かに脈打っている。弱い光。命を削り続ける鈍い痛み。


 カインが毛布を取りに行き、戻ってきて、椅子に座ったままのリーリエにかけた。


「……温かい」


 リーリエが呟いた。もう半分眠っている。


 カインは書庫の椅子に座ったまま、蝋燭の残りの光の中で、リーリエの寝顔を見守った。


 銀灰色の髪が肩にかかり、白い肌が蝋燭の光に照らされている。華奢な肩が、毛布の中で微かに上下する。穏やかな寝息。


 五百年前も、こうして——エルシェの寝顔を見守っていた。


 しかし今は、違う。


 あのときは、守れなかった。間に合わなかった。


 今度は——間に合わせる。


 カインは書庫の窓から差し込む朝焼けの光を見つめた。


 設計図の統合は、あと少しで完成する。第三の道の姿が、日に日に輪郭を帯びていく。


 しかし時間は——残り少ない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ