幕間1:守るための力
6月6日、大幅にブラッシュアップ(加筆・修正)いたしました。
キャラクターの心情や設定をより深く掘り下げていますので、初見の方も、再読の方も楽しんでいただければ幸いです!
ヤマトの地に渦巻いていたあの不浄な瘴気は完全に消え去り、魔王・織田信長との壮絶な死闘も、確かに幕を閉じたはずだった。
だが、美しく晴れ渡るはずの青空の向こうには、私の霊感覚にだけ感知できる、目に見えない奇妙な澱みが未だにねっとりと残っている。
「……妙だ」
私はわずかに眉をひそめる。
周囲の空気が重苦しいというわけではない。
世界の理のさらに奥底で、何かが喉に刺さった棘のように、どうしても引っかかり続けているような不穏な感覚。
「リーファス様、どうかされましたか……?」
すぐ隣に立つクリスが、不安げにこちらの顔を覗き込んできた。
その聲音はいつも通り穏やかで丁寧なものだったけれど、ほんの僅かに、本当に僅かにだけ、かすれて震えているように聞こえた。
「クリス、少し顔色が悪いようだ。無理をしたんじゃないか?」
「え……? いえ、気のせいです。少し、疲れが……」
クリスの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
まるで糸が突然切れてしまった人形のように、彼女の華奢な身体がその場に崩れ落ちていく。
「っ、クリス!」
咄嗟にその身体を抱きとめた瞬間、私の手のひらに走ったのは、思わず凍りつくような異常な冷たさと、それとは真逆に出し抜くように体内で激しく沸騰を始めた、おぞましい魔力の暴走波動だった。
「リーファス、さま……っ。怖い……です……身体が……っ」
常に冷静沈着で、誰よりも気丈だった私の愛弟子が、見たこともないほど怯えた声で助けを求めている。
その震える一言が、私の中にある「絶対に守るべきもの」を、激しく、猛烈に揺さぶった。
◇◇◇◇◇
私は即座に『魔霊反転』の術式を展開し、クリスの体内で暴走を続けるエネルギーの無効化を試みた。
だが、私の霊力が彼女の術式に触れたまさにその瞬間、激しい拒絶反応の火花が散った。
「なんだって……!? 喰えない……弾かれるのか」
これは単なる過度な魔力の暴走などではない。
ヤマトの戦いで激突したあの魔神の欠片、その悍ましい毒素がクリスの魂の深層にまで深く浸透し、彼女の自己防衛本能そのものを完全に狂わせてしまっている。
このままでは、彼女自身の強大な魔力の奔流によって、彼女の神経系そのものが内側から焼き切られてしまう。
(このままでは――)クリスが、完全に壊れてしまう。
「ふざけるな!こんなことで、また失うというのか。ようやく手に入れた大切なものを。これほどの力を持ちながら、何もできずに……! ――あの時と、同じように」
脳裏に鮮烈に過ったのは、8歳の時のあの痛烈な冬の記憶。
病床の中で、静かに冷たくなっていった母マリーの手。
霊力を爆発的に向上させ、最強の退魔師としての力を手に入れる事ができると思っていたのに…、あの時の私は、まだ、『英霊降臨』がおこなえず、最愛の母の命を繋ぎ止めることすらできなかった。
その時のあまりにも惨めな無力さが、今、目の前で苦しむクリスの暴走する魔力と、完全に重なり合う。
「あの時の私とは違う!二度も、同じことを繰り返すつもりはない!!」
あの時の無力な自分を、今ここで完全に叩き潰すように、私は強く拳を握りしめた。
「最強の武力なんて、今は必要ない。混沌の中から正しい秩序を切り分け、汚染されたすべてを浄化する絶対の意志だ!」
「――英霊降臨」
周囲の世界が、みしりと音を立てて軋んだ。そこは血が流れる戦場ではない。静謐でありながらも、一瞬の油断も許されない「命の最前線」がそこに忽然と出現した。
――英霊:『フローレンス・ナイチンゲール』――
近代看護の祖。その英霊としての本質は、生半可な慈愛などではない。死を絶対に許さないという、冷徹なまでの圧倒的な執念と、徹底された完璧な衛生管理。
彼女がその手に持つ『ランプ』は、暗闇を優しく照らす希望であると同時に、あらゆる不浄を暴き出して完全に滅ぼす、絶対聖域の象徴そのもの。母を救えなかったあの日の激しい後悔から生まれた私の「命を繋ぐ執念」が、今の私に彼女の力を呼び寄せたのだ。
私の手の中に、幻視のランプが美しく灯る。
その灯火は、暴走するクリスの魔力を「敵」としてではなく、ただちに排除すべき「病(細菌)」として明確に定義した。
「静かに。……治療の時間だよ」
私はナイチンゲールの神聖な力を通じ、クリスの体内に渦巻く狂暴な魔力の奔流を、一つ一つ信じられないほどの精密さで冷徹に仕分けていく。
手にしたランプの清らかな光が触れるたび、魔神の残滓という名の悪質な「細菌」がみるみる浄化され、暴徒と化していたエネルギーが、本来の優しく柔らかな輝きを取り戻していく。
「……リーファス、さま……」
「静かに…。君はただ、そこでじっとしていてほしい」
クリスの体内から逆流してくる侵食の激痛によって、私の手は僅かに震えていた。
だが、私の碧眼の視線は、一点の曇りもなくただひたすらにクリスの姿を見つめ続けていた。
やがて、彼女を苦しめていた黒い霧は完全に消散した。
激しかったクリスの呼吸はすっと安定し、やがていつもの安らかな寝息へと変わっていった。
「……はぁ、本当に。世話が焼ける」
私は荒くなっていた自身の呼吸を静かに整え、泥のように深く眠るクリスをそっと優しく抱き上げた。
ほんの一歩でも選択を誤っていれば、最悪の結末を迎えていたかもしれない。
その胸を締め付けるような恐怖は、これまでにどんな強大な魔王と対峙した時よりも重く、そして冷たかった。
「……守るための力、か。悪くない」
再び空を見上げれば、世界の歪みはまだ完全には消え去っていない。
むしろ、次なる巨大な嵐の到来を予感させるように、不気味に広がっている。
「次は、もっと面倒なことになりそうだ」
だが、今の私の瞳に迷いは一切ない。
敵を討つための武門の力、大切な人を癒やすための力、そして英霊たちが授けてくれる無限の知恵。そのすべてを使い倒してでも、私は自分の大切な愛弟子たちを、何があっても絶対に守り抜くと決めていた。
「全部、守ってみせる」
私の心は、戦う前よりも遥かに力強く、確固たる迷いなきものとなっていたのだった。
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