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閑話・黒髪の乙女と絶剣の秘密の休日

5月30日、大幅にブラッシュアップ(加筆・修正)いたしました。

キャラクターの心情や設定をより深く掘り下げていますので、初見の方も、再読の方も楽しんでいただければ幸いです!

実家であるフランスのスミス家を追放された、あの極寒の夜から――もうすぐ一年が経とうとしていた。


世界探索者ギルドの総本山たるバチカン教皇庁のすぐ近く、白亜の建物が立ち並ぶ美しい石畳の街並み。

 その一角にある、陽光に照らされたオープンテラスの瀟洒なカフェで、クリスはストローを小さく咥えたまま、深く、深ーくため息をついた。


「はぁぁぁ……。どうしましょう、ディードリット様。私、もう夜も眠れなくて……」


今日の彼女は、いつものミニスカメイド服ではなく、街歩き用に新調したシックなネイビーのワンピースに身を包んでいる。艶やかな黒髪はハーフアップの三つ編みに可愛らしくまとめられ、柔らかな光を浴びてキラキラと輝いていた。かつて実家で忌み嫌われていたその黒髪も、今や最高位の特権外交官たる『リーファスの相棒』の象徴として、街を行き交う人々から憧れと畏敬の念の視線を集めている。


「そんなに眉間にシワを寄せないの。せっかくの気持ちいい休日でしょ、クリス」


向かいの席で優雅にダージリンの紅茶を傾けているのは、同じくSランクの特権階級たる『絶剣』ディードリットだ。

 エルフの彼女は変装用の伊達メガネとつば広の帽子を深く被っているが、それでも隠しきれない金髪碧眼の圧倒的な美貌に、通りを歩く男たちが次々と振り返ってはため息をついていく。


「だって、重大なんてレベルじゃないんです! 来週は……あのリーファス様の、16歳のお誕生日なんですから!」

「ぶふっ!?」


ディードリットは思わず紅茶を吹き出しそうになり、信じられないものを見るような目でクリスを凝視した。慌てて口元をレースのハンカチで押さえる。


「あなたねぇ……。あのいつも一歩先を見据えた落ち着き払った態度に、何が起きても眉一つ動かさない冷徹な眼差し、それにあのバチカン大聖堂での理不尽なまでの無双っぷりよ? どれほどの修羅場を潜り抜ければあんな怪物になれるのかと思ってたけど……。あれでまだ、16歳になるっていうの……?」

「はい! 私の、たった三つ年下の、世界で一番格好よくて自慢の旦那様……じゃなくて、主様です!」

「あーはいはい、ごちそうさま。で、その規格外の16歳に何を贈るかで悩んでるわけね。いっそのこと、クリス自身を真っ赤なリボンで可愛く巻いて『私をプレゼントです』ってベッドに突撃すれば、あの過保護なリーファスなら完璧に理性飛ばして喜ぶんじゃない?」

「なっ、ななななっ!? そ、そんな破廉恥なこと、私には絶対に無理ですぅぅ……っ!」


湯気が出そうなほど顔を真っ赤にして両手で顔を覆うクリスを見て、ディードリットは悪戯っぽくクスクスと肩を揺らした。最愛の妹アリスの命を救ってもらった恩義がある彼女にとって、今やクリスは本当の妹のように愛おしい存在なのだ。


「冗談よ。……でも、確かにあの少年に贈り物は難しいわね。武器や防具の類いは、あの『英霊降臨』で呼び出す神話級の名刀や聖旗があるから一切不要でしょ。強力な魔術アイテムも、相手の魔力をそのまま吸い上げて反転させる彼にとっては、ただの無用の長物だし」

「そうなんです。お洋服も、普段はあのネクタイをきっちり締めた軍服風のロングコートしかお召しになりませんし……」


クリスはしょんぼりと子犬のように肩を落とした。

 リーファスには俗っぽい物欲が驚くほどなく、ただ静かに美味しいお茶を淹れ、クリスが隣にいればそれだけで心底満足してしまうような、どこか達観した高潔な趣味をしているのだ。


「……なら、とことん実用性と『クリスにしか作れないもの』を掛け合わせてみるのはどう?」

「私にしか、作れないもの……ですか?」


ディードリットは少しだけ身を乗り出し、秘密の作戦を伝えるように声を潜めた。

「リーファスって、己の濃密な霊力を常に効率よく循環させるために、あの綺麗な銀髪を高い位置でポニーテールに結んでるでしょ? あの髪を束ねる『組紐』や『髪留め』なら、肌身離さず毎日身につけてもらえるんじゃない?」

「髪留め……! 確かに、リーファス様は毎朝欠かさず髪のお手入れをされています!」


「そこに、クリスの一番得意な『闇魔術(空間魔法)』を、あなた自身の愛を込めて編み込むの。ほんの小さな、手のひらサイズの空間収納機能を持たせてね。その中に、彼が一番気に入っている特級の茶葉や、クリスが夜な夜な練習して作った焼き菓子を忍ばせておくのよ」


クリスの黒曜石のような美しい瞳が、パァァッと弾けるように輝いた。


「それです……! リーファス様、過酷なダンジョン探索の最中も、『ふぅ、こんな時、静かにお茶の一服でもできれば最高なんだが…』って、本当によく仰っています! 私の空間魔法と、リーファス様の銀髪……これ以上ない最高の実用性です!」

「ふふっ、決まりね。じゃあ、まずはその髪留めのベースになる、とびきり職人の腕がいい銀細工のパーツを探しに行きましょう。バチカン裏の職人街なら、最高の掘り出し物があるはずよ」

「はいっ! ありがとうございます、ディードリット様!」


勢いよく立ち上がったクリスは、さっきまでの重いため息が嘘のような、ひまわりが咲いたかのような満面の笑みを浮かべた。

 ディードリットは、ウキウキと嬉しそうに前を歩く黒髪の少女の、弾むような後ろ姿を見つめながら、こっそりと唇を綻ばせる。


(……それにしても。あの冷徹で世界を恐怖させる男が、あの少女が紡いだ小さな髪留め一つで、どれだけ甘々に目尻を下げるのかしらね。男って、本当に単純で愛らしい生き物だわ)


バチカンの柔らかな木漏れ日の下、二人の少女の秘密のショッピングは、街が美しい夕暮れに染まるまで賑やかに続くのだった。


◇◇◇◇◇


バチカン教皇庁からほど近い一等地。Sランク探索者専用に国から用意された、大理石造りの豪奢な邸宅。

 その静寂に包まれたリビングで、私は淹れたての極上の茶をゆっくりとすすり、深く息を吐き出していた。


「……ふむ。やはり、朝の茶の一服に勝る贅沢はないな」


お茶を愛する底知れぬ静けさを好む私にとって、この一切の雑音がない朝のひとときは最高の癒やしだ。ちょうど今日という日は、私がこの世界に転生し、『リーファス・カモ』として生を受けてから、ちょうど16年目の節目を迎える日でもあった。


「り、リーファス様……! あのっ……その……っ!」


背後から、ひどく緊張で裏返った愛らしい声が響いた。

 振り返ると、いつもの純白のエプロンドレスに身を包んだクリスが、顔を茹でダコのように真っ赤にしてモジモジと佇んでいる。その華奢な背中には、何か小さな四角い箱を必死に隠し持っていた。


「どうしたんだい、クリス。そんなに全身を強張らせて」

「あ、あの……本日は、16歳のお誕生日、心からおめでとうございます……っ!」


クリスは小動物のように勢いよく頭を下げ、背後に隠していた上質な小箱を、震える両手で私の前へ恭しく差し出してきた。黒曜石のような瞳が、千切れんばかりの不安と期待で潤んでいる。


「……私への、誕生日プレゼントかい?」

「は、はい……! ディードリット様にもたくさんご相談して、私なりにリーファス様のことを一生懸命考えて作ったのですが……もし、お気に召さなかったらすぐに作り直しますので――」

「ありがとう。とても嬉しいよ。早速、開けてもいいかい?」


私が優しく微笑みかけると、クリスはパァッと暗雲が晴れたような笑顔を浮かべて何度も深く頷いた。


箱の蓋をそっと開けると、最高級の黒ベルベットの布の上に、細密な銀細工の彫刻があしらわれた、漆黒と白銀のコントラストが美しい『組紐』が綺麗に収められていた。霊力を常に循環させるため、私がいつも高い位置で結んでいるポニーテール――そのための、真新しい髪留めだ。


「……美しい細工だ。質感も素晴らしい。だが、これはただの組紐ではないね? ……微かに、高密度の空間魔法の術式が、糸の内部にまで極めて精密に編み込まれているのを感じるが」


「す、すごいです、一目でそこまで見抜いてしまうなんて……! はい、その組紐には、私の『闇魔術(空間魔法)』の全力を付与してあります!」


クリスはどこか照れくさそうに細い指先を合わせながら、その秘密を誇らしげに語ってくれた。

「その小さな銀細工の内部の空間収納には、私が世界中から厳選した最高品質の茶葉と、毎朝焼いたお菓子、それに持ち運び用の特注の小さな茶器セットが密封格納されています。……リーファス様が、たとえどんなに過酷で汚れたダンジョンの最深部にいても、いつでも完璧に温かいお茶で『一服』できるように、と思って……」


「…………ほう」


私は思わず、心からの感嘆の吐息を漏らした。

 神話級の武具でも、強力な魔導具でもない。主の性質と、実用性と、そして何より私の我が儘な嗜好をこれほどまでに完璧に満たしてくれる逸品が、他に存在するだろうか。いや、断じてない。


「……クリス」

「ひゃ、ひゃいっ!」


私は静かに椅子から立ち上がると、今までの古い紐を指先で解き、腰まで届く長い銀髪をふわりと下ろした。

「せっかくの、世界に一つだけの贈り物だ。……今、お前のその手で、私の髪を結んでくれないかい?」

「えっ……あ、はいっ! 喜んで、喜んでお結びします……!」


クリスは嬉しさに瞳を潤ませながら組紐を受け取ると、私の背後に回り、そっと私の銀髪を細い指先で梳いた。彼女の温かく繊細な指先がうなじに触れるたび、魂の奥底まで心地よい安らぎが広がっていく。

 丁寧に、優しく愛おしむように髪を束ね終えた彼女は、ふぅっと張り詰めていた安堵の息を漏らした。


「……結べました。とっても、本当によくお似合いです、リーファス様」

「ああ、完璧だよ。霊力の馴染みもこれ以上ないほど申し分ない。……最高のプレゼントだ。ありがとう、私の可愛い相棒」


私が振り返り、彼女の小さな頭を優しくポンポンと撫でると、クリスは一瞬で顔を真っ赤に染め、ふにゃりと幸せそうにだらしない笑顔を浮かべた。

「えへへ……リーファス様にそこまで褒められちゃいました……私、この手、一生洗いません……」

「何を物騒なことを言っているんだい、お前は」


そんな、どこまでも微笑ましく温かい朝の空気にリビングが包まれていた、まさにその時だった。


「――朝からご馳走様って言いたいトコだけど、冗談抜きで緊急事態よ、リーファス」


バンッッ!!! と激しい音を立ててリビングの重厚な扉が開き、明確な焦燥を顔に浮かべたディードリットが飛び込んできた。彼女の細い手には、世界探索者ギルドの最高機密を示す、禍々しい『真紅の封筒』が握りしめられている。


「ディード。……その封の色彩、総長からの直接の特命依頼だね?」


私が一瞬で甘い日常の顔から、冷徹なる『Sランク探索者』の顔つきへと戻り、碧の目を鋭く細めて問いかけると、彼女は重々しく首を縦に振った。


「ええ。バチカンから北東に数百キロ……かつて古代ローマ帝国がその総力を挙げて封印したとされる、最古の地下遺跡の跡地に、規格外の『魔力溜まり』が突如として発生したわ」


ディードリットがテーブルの上に勢いよく広げた羊皮紙の地図には、まるで世界が腐食していくかのような、禍々しい黒の染みが急速に広がっていく様が描かれていた。


「ただの自然発生的なダンジョンじゃない。周辺の草木は一瞬で枯れ果て、狂暴な下級の魔物たちですら、恐怖のあまり悲鳴を上げて逃げ出しているそうよ。……観測された固有魔力波長は、間違いなく最悪の指標たる『特級』。ギルド総本山は、これを国境を越えた未曾有のスタンピードの予兆と認定したわ」


「特級、か……。こちらの世界で言うところの、災厄級の魔物モンスターの類いだね」


私は手元に残っていた冷めた茶をぐいっと一息に飲み干し、口元に傲慢かつ好戦的な笑みを浮かべた。

「しかも、その異常な魔力溜まりの最深部から、神話にしか登場しないような強大な『悪魔』の明確な個体気配が確認されたらしいの。すでに調査に赴いた、近隣の精鋭Aランクパーティーが二組、一瞬で消息を絶っているわ」


「なるほどね。私の『魔霊反転』の格好の餌食、というわけだ。……私の16歳の誕生日当日に、随分と骨のある贅沢な余興を用意してくれたものだね、エルドリン総長も」


私はクリスに今結んでもらったばかりの、銀の美しい組紐を軽く指先でパチンと弾き、漆黒の愛用ロングコートを翻して羽織った。


「行くよ、クリス、ディード。私がSランクに昇格して、これが最初の公の仕事だ。……この世界に蔓延る浅ましい『魔』とやらに、我々術士の本当の恐ろしさを、その身の破滅を以て改めて教えてあげよう」


「はいっ……! どこまでも、地の果てまでリーファス様にお供いたします!」

「やれやれ、誕生日の主役が一番やる気満々じゃない。……あなたは存分に暴れなさい。しっかりその綺麗な背中は、私が守ってあげるわよ、最強の陰陽師さん?」


真新しい黒銀の髪留めに、甘い焼き菓子と二人の確かな絆を忍ばせ、私たちは特級の厄災が牙を剥く、暗黒の古代遺跡へと堂々と足を踏み出すのだった。

本日もお読みいただきありがとうございます!

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