霧の都の歓迎と、嗤う影
――ブリタニア王宮(バッキンガム宮殿)の地下深く。
王族のみが立ち入りを許される隠し部屋で、豪奢な金髪を持つ見目麗しい青年――ブリタニア王国第二王子、リチャードは、苛立たしげにワイングラスを壁に投げつけた。
「使えない連中だ。我が直属の『鴉』が、揃いも揃って捕縛されただと? しかも、身元の知れぬガキ共にだと!」
「ククク……お怒りのようですな、リチャード殿下」
割れたグラスの破片が散らばる暗がりから、声が響いた。
影が物理的な質量を持ち、人の形を成していく。
山羊の角に、蝙蝠のような歪な翼。
濃密な瘴気を纏うその姿は、お伽話ではなく、現実に存在する厄災――『上級魔族』であった。
「笑い事ではないぞ、ゼノ。奴らはパリ支部長の親書と『鴉』の身柄を持って、このロンドンに向かっている。王室がスタンピードを画策したなどと知れ渡れば、私の王位継承権に致命傷だ」
「ならば、衛兵に命じて反逆罪で捕らえればよろしいでしょう?」
「馬鹿を言え。奴らの中には『絶剣』のディードリットがいるのだぞ」
リチャードは忌々しげに爪を噛む。
「Sランク探索者は、バチカンが認めた『一代限りの子爵』だ。完全なる外交特権を持ち、他国の法では裁けん。下手に王宮の騎士団を動かせば、それこそ国際問題だ」
「なるほど。表の権力が使えぬからこそ、我ら『闇』の出番というわけですな」
魔族のゼノは、裂けた口を三日月のように歪めた。
「承知いたしました。ロンドン支部ごと、連中を『悲惨な魔物の襲撃事故』として処理してご覧に入れましょう。この私自らの手で」
「頼んだぞ。この国の次期王座は、私のものだ。そのためなら、魔族と手を結ぶことも厭わん」
――同刻。探索者ギルド・ロンドン支部。
産業革命の象徴である巨大な蒸気機関のパイプが這う、煉瓦造りの巨大なギルド本部。
その一階ロビーに、リーファスたちは足を踏み入れていた。
「流石は本国ですね。パリ支部よりもさらに堅牢な造りです」
ディードリットが周囲を見渡しながら言う。手には厳重に封印された親書が握られていた。
「だが、出迎えの態度は最悪みたいだぞ?」
リーファスが軽く顎でしゃくると、ギルド内の様子がおかしいことに気づく。
受付嬢たちは気を失って倒れており、ロビーにいた数十人の屈強な探索者たちも、黒い靄のようなものに巻かれて苦悶の表情を浮かべていた。
『――ククク、よくぞおいでなすった、バチカンの貴族殿。そして目障りな小蠅共』
頭上から、空間を劈くような声が響く。
吹き抜けになった二階のバルコニーから、巨大な漆黒の塊が飛び降りてきた。
大理石の床が蜘蛛の巣状に砕け、濃密な魔の瘴気が室内に爆発的に広がる。
上級魔族、ゼノの降臨だった。
「魔族……!? なぜ、ロンドンの中枢にこんな上位の存在が!」
ディードリットが翡翠の瞳を見開き、瞬時に腰のレイピアを抜いた。
「死人に答える口は持たぬ! 灰燼に帰せ!!」
ゼノが六本腕を掲げると、空中に無数の「黒炎の槍」が出現する。
触れれば骨まで灰になる極大の闇魔術。それが、三人めがけて雨霰と降り注いだ。
「――『絶剣』・風華閃!!」
ディードリットが一歩前に出る。Sランクの真骨頂。
風の魔力を纏った不可視の刺突が、音速を超えて放たれる。
次々と撃ち落とされる黒炎の槍。
しかし、魔族の無尽蔵の魔力による飽和攻撃に、彼女の額に汗が滲む。
「チィッ、なんて魔力……! リーファス様、下がって! 私が隙を作――」
「いや、俺の出番(専門)だ」
ディードリットの前に、銀髪のポニーテールを揺らしてリーファスが歩み出た。
軍服風のロングコートのポケットに両手を突っ込んだまま、降り注ぐ極大の黒炎を見上げる。
「馬鹿な真似を! 魔力を持たないあなたが前に出ても――」
「エルフのお嬢さん。魔術師の天敵が何なのか、見せてやろう」
リーファスは口角を上げ、右手を天に翳した。
「――『魔霊反転術』」
直後、ディードリットの目を疑う光景が広がった。
リーファスに直撃するはずだった死の黒炎が、彼に触れる寸前で「清らかな白い光(霊力)」へと反転し、滝のように彼の体内へと吸い込まれていくのだ。
敵の最強の攻撃が、そのままリーファスの無尽蔵のエネルギーへと変換されていく。
「な、なんだと……!? 我が魔力が、喰われている……!?」
驚愕に目を見開く魔族ゼノ。
「ご馳走様。おかげで腹一杯だ。――お返しと行こうか」
リーファスは、溢れんばかりの霊力を用いて、静かに印を結んだ。悪魔祓いには、それに相応しい専門家がいる。
「英霊降臨:ガブリエーレ・アモルト。――部分召喚『聖別されしロザリオと聖水』」
前世の地球における、現代最強の「公式エクソシスト」の概念。
リーファスの左手に銀のロザリオが、右手にはガラス瓶が握られる。
「悪霊退散。……まあ、ここは西洋風にこう言うべきか」
リーファスが小瓶の聖水を指で弾き、霊力を込めてゼノに向けて放つ。
たった一滴の雫。それが魔族の瘴気に触れた瞬間、爆発的な浄化の光を放った。
「ギャアアアアアアアアアッ!?」
「主の御名において命じる。失せろ(アーメン)」
浄化の光で瘴気の防御を完全に引っ剥がされたゼノの懐に、リーファスは瞬動で入り込む。
腰の刀――祖父の形見『和泉守藤原兼重』が一閃。
霊力を極限まで纏った白銀の刃が、上級魔族の硬質な胴体を、豆腐のように斜めに両断した。
「ば、ばかな……殿下……」
断末魔と共に、上級魔族の肉体が塵となって崩れ去っていく。
ギルドに、静寂が戻った。
「……ふう。少しは換気できたか?」
刀をカチンと鞘に納め、何事もなかったかのようにネクタイを直すリーファス。
「信じられません……上級魔族を、一刀のもとに……。しかも、あのふざけた魔力吸収は……」
レイピアを下げたまま、ディードリットは呆然と呟いた。もはや彼が「魔力なしの子供」だなどと、微塵も思えなかった。
その横で、クリスが腕を組み、ふんす、と鼻息を荒くして三度目の**『ドヤ顔』**を披露している。
「だから言ったでしょう? リーファス様にとって、魔族などただの『栄養ドリンク』に過ぎないのです!」
「お前が威張るな、クリス」
リーファスは苦笑しながらクリスの頭を撫でると、魔族が最後に遺した言葉を反芻した。
「……殿下、か。どうやらこの国の王室は、よっぽど俺たちを歓迎したくないらしい」
薄暗いロンドンの空の下、現代陰陽師の目は、すでにこの事件の黒幕へと真っ直ぐに向けられていた。
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