14話「シャルロット・デボワ(前編)」
――どうだ、レイチェル・アラベスク。
これが……君の選んだ道なんだぞ?
「…………」
レイチェルが信じられないものを見る目で、僕の顔を見つめている。
その瞳が、なにを訴えようとしているのか。
彼女の真意は僕にはわからない。
神には人間の心を読む能力がないからだ。
だって、本来ならそんなまどろっこしいことをする必要がないから。
被造物でしかない人間に問題が生じたならば、それを操ったり、消してしまえばいいのだ。
彼ら彼女らがなにを考えているかなんて、神が知る必要はない。
神と人間は相容れない。否、交わることすら本来ならば有り得ない関係なのだ。
もちろん、それは神と神も同じだ。
この世には「神のネットワーク」と呼ばれるモノが実際は存在している。数多の神がそれぞれサロンに集まって、自らが管理している「世界」について語り合うのだ。
他の世界は発展具合がどうだとか、文明がどうだとか、こんな偉人が生まれただとか、外的生物に侵略を受けただとか――他社と比べて、自分の世界はどうなんだ、とか。
そういう会話にのめり込む神は、以外と多いと聞く。あくまで噂で聞いたにすぎないが。
まぁ……僕には関係のない話だ。
僕には神の友達なんて一人もいない。 僕は、僕の世界にしか興味がない。
他と比べてどうだとか、他の奴らがどんな運営をしているかなんてクソほどどうでもいいんだ。
僕は、僕の世界のためだけに行動する。
僕の世界を守るために。
そのためならば、なんだってする。
自身の「最高傑作/失敗作」に、自らの手で瑕を付けることだって――厭わない。
「気付いていたはずだよ、レイチェル。誰もが君を愛し、誰も君を妬まず、誰もが君を賛美する。そんなの普通じゃない――ってね。ようやく君は普通になった。17年目の人生で、初めて他の人間と同じ目線に立てたんだよ」
生まれる前、レイチェルに授けた加護を取り払う――
まさか、こんなことが可能だとは思わなかった。
でも「仁愛」の加護はレイチェル自身が発揮する能力というよりは「この世界」とレイチェルが呼応することで初めて効果を持つ。主体がレイチェルではなく世界側にあるのだ。
そして一時的に、レイチェルはこの世界から追放された。
この消失が、本来ならば取り消し不可の加護に綻びを生み出したのである。
結果として、レイチェルに与えた……まぁ数百、数千はある「翼」のうち、かなり存在感の高い一翼をもぎ取ることに僕は成功したというわけだ。
本当は、こんなことしたくなかったんだけどね……。
目の上のたんこぶになってるとはいえ、なんで自分の最高傑作をわざわざ貶めなければならないんだ……はぁ。
「……神さまが私にお与えくださっていた加護を、取り外した、ですか」
「お――」
ここでようやくレイチェルが言葉を返した。
自らの全能に瑕が付いたことを、ようやく理解し始めたということだろう。
僕は満足げに頷いて、
「ふふん……ああ、そうさ! これが以前、君が勝手に言っていた『愛』とやらの正体だよ。実際、僕は君に数多の祝福や加護を与えている。それらがあるからこそ、君はそんなにも優秀なんだ――絶望したかい?」
「…………恐ろしくは、あります」
「!!」
あまりに素直な告白に僕は思わず息を呑んだ。
恐ろしい!
レイチェルは精神的な強さも当然のように底上げしてある。その内の一つが「勇気」の加護だ。
レイチェルは怯えない。「恐怖」というモノに対する根源的な耐性があるんだ。
そんな彼女が、自身の口から恐怖を語るなんて……!
――これは、想像以上に効果的だったんじゃないか!?
「(ほら見ろ、ガブリエル。僕に意見しやがって……! 言ったとおりになったじゃないか!)」
思わず口元がニヤつきそうになるのを必死に押し留めながら、僕は数刻前のやり取りを思い出す。
『今更、仁愛の加護を取り外しても、レイチェル・アラベスクには大して効果はないんじゃないですか?』
これがガブリエルの奴が不躾にも言い放った愚かにも程がある意見である。
ちなみに僕がこうしてレイチェル・アラベスクの前に降臨すること、そして「仁愛」の加護を取り外し、レイチェルに絶望を叩きつける計画を話してやったとき、執務官であるガブリエルはそれに全力で反対した。
しかも奴が否定的だったのは、僕がレイチェルの前に姿を現すこと自体ではなく、彼女を「誰からも愛される存在ではなくすコト」の是非だった。
しかもガブリエルの主張はまだ続いていて――
『ずっと天空にいる神さまにはわからないでしょうけど、私は長年しっかり地上で人間を見てきましたからね。誰からも愛されたいなんて……人間は全く思わない気がします。狂った王には、たまに全部欲しがるタイプがいますけどね。レイチェル・アラベスクも、みんなから好かれ過ぎることを逆に気持ち悪いと思っていたタイプじゃないでしょうか?』
などという的外れな意見を僕にぶつけてくる始末だった!
そんなわけあるか、この大マヌケめ!
レイチェルの精神性の根底には「愛」がある。
それは誰からも愛され、大事にされ、幸せな環境によって形作られてきた。
だからレイチェルは他人から嫌われることが、恐ろしくて堪らないはずなんだ。
だって、彼女は生まれてから一度も、他人の敵意や嫉妬の眼差しに晒されたことがないのだから。
レイチェルは本の虫だ。名作と呼ばれる物語は正の感情よりも負の感情が牽引するモノが大半を占める。
だから、そういう負の感情が存在することは、知っている。
その「知識」が彼女の恐怖を増大させている! 「勇気」の加護によって強い心を与えられているはずのレイチェルを萎縮させるほどに!
だからこそ、レイチェルは今――「恐ろしい」と口にしたんだ!
それが一番の証拠だろうがっ!
「(ガブリエルめ……知った顔をしやがって。僕以上にレイチェルのことを知っている存在はいないのに、下らない推察をしやがって……やっぱり降格させるか。次の執務官はウリエルにするか、それともミカエルか……?)」
このタイミングで背後を振り返れないのが口惜しい(ガブリエルは僕の真後ろに控えているからだ)。
きっと、奴は苦々しい表情をしていることだろう。
ならば、ここはレイチェルに追撃を掛ける!
僕の決断が間違っていなかったことを愚かな天使にも知らしめてやろう!
「……レイチェル・アラベスク。君の言う『恐ろしい』とは、どんな感情だい?」
僕は訊いた。
レイチェルは少し躊躇い混じりの口調で答える。
「そう、ですね。私は誰からも愛されて、生きて来ました。それが当然だとは……思わないように、心掛けてきたつもりです。だって、例えばこれが姫物語の世界ならば……私のように女だてらに様々な功績を立てる人物が、快く思われることはありませんから。
加護がなくなったということは……これから私は様々な敵意に晒されることになるのでしょう。ですが――それ自体は私にも覚えがあります。だから、敵意自体は、そこまで怖くはありません」
「…………ん?」
経験がある、だって?
そんなバカな。レイチェルはこれまで仁愛の加護に守られて、誰かも愛され続けていたはずで――
「……どういうことだ? 君を嫌う人間なんて今まで一人もいなかっただろう?」
「あ、いいえ。神さまに飛ばされた世界は違いました。あちらには私を嫌う方も、私を利用しようとする方もたくさんいましたので。最初は戸惑うことも多かったですが……この一年で、少しは強くなれた気がします」
「!!!!」
そ、そうだった……。
僕は衝撃を受ける。
そうだった。レイチェルの人間関係は、僕の世界に影響を及ぼす「仁愛」の加護がベースになっている。
つまり、神なき世界に追放されていたとき、レイチェルは実質的に「仁愛」の加護を受けず、素のままの姿で一年間を過ごしたことになるのだ!
「だから『恐ろしい』と言ったのは――私自身の弱い心です」
レイチェルがわずかに視線を落とした。
そして、そっと胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「神さまは先ほどシャルの話題を出されましたよね。加護がなくなったことによって、彼女は私と全然違う態度で接してくる、と。
神さまにそう言われたとき、少しだけ……私の心が揺らぎました。今、シャルに会いに行ったら、あの子が私のことを友人扱いしてくれないかもしれない――ほんの一瞬だけ、そんなことを考えてしまったんです。
そんなこと…………あるはずがないのに」
「神さま。私は……私とシャルが過ごした10年以上の時間は、決して神さまが授けて下さった加護がなければ破綻してしまっていたような、儚いモノではないと信じています。
私はシャルのことを本当の友達だと思っています。友達だと……思わせてください。たとえ傲慢だと思われても構いません。でも、私は誰からも愛される存在でなくなっても構わないんです。それ以上に、私が大切だと思う相手に、しっかり自分も大切だと思われることのほうが……その何倍も嬉しいですから」
「っ……!!」
「すいません、神さま。実際にどうなのかを確かめたくなってきました。今日はこの辺りでお暇させていただきます」
そう言って、レイチェルは近くに置いてあった書類の束を戸棚に手早く戻していく。
が、すぐに何かを思い出した様子で、僕に視線を向けると、
「そうだ。せっかくなので、私からもお願いしたいことがあります。私がいない一年で、この世界にたくさんの『エラー』が生まれてしまったようです。私が今まで関わった物事の処置が曖昧になっております。このままではどこで事故や事件が起こるかわかりません。
ですから、もしよろしければ神さまに、その『エラー』を処理していただきたいのです。おそらく神さまにしかできないことだと思います。私ではなく、この世界のためと思って……よろしくお願いします」
作業を終えたレイチェルは手早く僕に用事を伝えて、深々と頭を下げる。
「…………殴らせろとは言わないんだな」
苦し紛れに呟くと、レイチェルがすぐさま固めた拳を口元に掲げ、答える。
「殴ってもいいのでしたら、殴りますが」
「いいわけあるか! これは、その……ただの確認だよっ!!」
「そうでしたか。私は神さまの機嫌を損なってしまったようなので、たぶん無理だろうなと思って言いませんでした」
スッと拳を下げて、レイチェルがもう一度、僕に一礼した。
「それでは……失礼します、神さま」
「ぐっ……!」
「すいません。そちらの方も……神さまのお知り合いでしょうか? 退いていただけると助かるのですが――」
「ああ、これは失礼。私はガブリエルと申します。神さまの執務官の一人です。レイチェル様、以後お見知りおきを……」
「ガブリエルさんですか。はい。こちらこそ、よろしくお願いします。」
彼女は資料室の入り口に立っていたガブリエルと二言三言、言葉を交わした。
そして最後に、こう行って彼女は出て行った。
「神さまには、これから何度もお会いすることになると思いますので」
至上の「神」である僕との会話もそぞろに、友達などという軟弱な関係性でしかない――「人間」なんかと会うために。
絶望したのは、僕の方だった。
レイチェルにとって、僕はただの神にすぎない。
神は人間と交わらない。
もちろん、人間も――神とは交わらない。
NEXT 15話「シャルロット・デボワ(後編)」




