嫉妬の悪魔
「あぁ~・・・・もぅ、黙れよお前!」
大きな声でそう叫ぶと、俺は蒲団の中に潜り込んだ。
耳を塞いでも、こうして蒲団を被っても、要するに、何をしても『その声』が消える事など無い。ただ俺だけが無意味な行動を繰り返す。
「――・・・・」
分かっている。これは幻聴なのだ。きっと、風邪を引いて熱が出ているから聞こえている、幻聴なのだ。いや、幻聴が聞こえている時点でかなりヤバイ風邪だという事で母を呼んだ方が良いかも知れないが、男としてそれは、嫌だ。
鏡の向こうから聞こえてくるような、声。何故か聞き覚えのある男声が、脳内に直接語りかけてくるような、そんな声。その内容は、言えたものじゃない。
自分の部屋で大声を出してまで対応に迫られるような、そんな私的、プライベートな事をサラリといえるものではないのだ。
そういえば、朝の7時に目が覚めて、今14時だが、何も食べないというのはさすがにまずいだろうか。珍しく風邪を引いて対応の仕方が分からず、とりあえず風邪薬を飲んで学校に向かおうとしたところ、幼馴染に止められて今があるわけだが。
『・・・・~~~・・・・~~』
・・・・頭が痛い。またあの声だ。
耳障りな雑音と共に囁いてくるそれは、皮肉にもよく知っている『あの人』の声で。
―― 『あの人』は、もうこの世にいないのに。
俺―桃野江 那由他―は、生まれてこの方幻聴が聞こえるほどの高熱にうなされた事も、そもそも風邪なんて引いた事の無い超が付くほどの健康体だった。近所に住んでいる幼馴染の『あの人』の妹もまるっきりの健康体で、どちらが先に病気になるか、と張り合った事もある。
「うぐ・・・・」
その幼馴染の事を考える度に、何故か頭の中で声が響く。気を逸らせば声は小さくなるのだが、俺は何故か目を逸らさない。そして、一緒に聞こえてくるガラスを引っ掻いたような雑音が耳障りでならない。
『・・・・~~・・・・~?』
耳を塞いでも、部屋にある、何故かドンと置かれたあの鏡からの声は消えない。憶測の域は超えないが、少なくとも、あの鏡を見れば何かが変わるかもしれない。そう思った。
拷問を続けられて思考が麻痺した状態にも似たような自分の行動を、鼻で笑いながら、俺はフラフラと、ベッドから足を下ろした。カーテンを閉め切っている所為で薄暗い部屋の中、静かに立ち上がり、俺の身長が162cmに対して120cmほどの背を持つ姿見のような鏡の前に座り込む。
幻聴の消去を半ば諦めて、俺は胡坐をかいて、頭を支える右手の頬杖付きの姿勢だった。
鏡の中の『そいつ』は、崩した正座に、手を膝の上に置いて、首を左へ傾けている姿勢の少女だった。
「――ッ?!」
『・・・・あぁもぅ。やっと気付いてくれた♪ 全然見ようとしてくれないものだから、もう、発狂するかもって思っちゃったよ♪』
俺は頬杖から頭を離す。初対面の俺の前でニッコリとした笑みを恥ずかしげも無く浮かべる、少し長めでクリーム色の髪を揺らす少女。鏡の中に映っているのが俺ではない事に、呆然とした。
口調が、俺のよく知る2つ年上の―時貞 藤黄―さんにそっくりだ(まぁ藤黄さんは普通よりも若干遅いペースで喋るけど)。
・・・・じゃ無くて! そもそも何で鏡の中にいるのが俺じゃなくてこんな少女なんだ? さっきまで聞こえていたのは男声のはず。じゃあ、こいつは一体何だ?!
『あのさぁ、その遠くを見るような目で見つめるのはやめてくれないかな、ワトソン君。あ、君はワトソンという柄じゃあないか。スポーツマンだし、成績は・・・・』
ワトソンって、あのシャーロックホームズに出てくるワトソンの事だろうか。幼馴染の少女と同じで腕白そうなイメージがあるが、意外に古典的なネタを持っているものだ。
目前の少女はニコニコと笑っていて、全く表情が変わらない。熱がある所為かまったく脳の回転スピードは上がらないし、この奇妙な感覚の正体なんて、こんな事が起こっている間に分かるかどうか分からない。そもそも何気にこの状況を受け止めている俺って何だろう・・・・。
・・・・ふと、少女から目を離した瞬間の事だった。俺は無意識に、目に力を入れていた。
『あっ、気付いた? やっと気付いてくれた? そうそう、私の後ろ、やっと見てくれた。焦点だけは私に合わせているから、いつ見てくれるかなぁって思っていたの! いやぁ、長かったね。君は脳の回転スピードが遅いから、全く今の状況に気付けなかったというやつかな!』
確かに、今俺はこの少女の後ろを見て驚いた。
驚いた・・・・が、少女の長ったらしい台詞で、その驚きは薄まり、俺はまた、ただ遠くを見るような感じでそれを見つめているのだろう。
黒い
黒い背景を、細くて白い線で区切っただけの、色味が全く無い背景。黒と白以外は何も無い。影という影が存在しない、平面的な世界。小さな頃から使っていた部屋の細かな傷が白く浮かび、完全に、左右対称で色違いにしただけの《俺の部屋》だ。
元々この部屋が薄暗くて気付かなかったが、本来、鏡というのはこちらの世界を左右反対にして映す物。なのに、この鏡は自分の仕事を放棄して、全く別の風景を映し出していた。・・・・いや、全く別というわけでもない。左右対称であるという部分は、放棄していないか。
そんな背景の中で、目前の少女だけが色を持って座っている。
肌は俺と同じ黄色人種の色だし、頬は少々赤みを帯びている。太股を半分ほど覆うミニスカートは白く、所々に紅い水玉がプリントされている。
さっき言ったとおり、髪はクリーム色。目は青いし、同じ国の人間とは思えない。
そして紛れも無く、彼女はその世界では異質な存在だ。
『ふふっ、驚いた? 驚いたなら早速質問。那由他君さぁ、好きな人とかって、いるの?』
「はぁ?」
再び、驚きそうになる。なっただけで、心が平静を奪い返した。こいつ・・・・驚かせようとしているのか、俺をからかおうとしているだけなのか、イマイチ行動理由が分からないな。
『ねぇ、いるの? いないの? いるよねぇ? いないとおかしいよねぇ?』
それは俺の年を見て言っているのだろうか。確かに今年で中学2年生で、年齢イコール彼女いない歴なのは間違い無い。だが、俺はもっぱらスポーツやら勉強やらに頭を(まぁ成績が良いわけじゃないが)使ってしまっているから、好きな人すらいないのは、事実。だから、俺は「NO」と言おうとした。
―― そいつの、最後の一言が無ければ。
『いないとおかしいよねぇ? 君の隣にいつもいる、あの女の子♪』
「・・・・え」
「NO」と平然に言えば済む話だった。なのに、俺は少女の言葉に、言葉を詰まらせてしまったのだ。ここで何の反応もしていなければ・・・・。
『わぁあ。やっぱり! 知っているよ、いつも君が『あの子』を見ているの!』
「ぅえ?」
いやに間抜けな声を出してしまった俺は、不意に後ろを向く。見えたのは、青いフトンのあるベッド、その横にある勉強机、そのまま視線を横にずらす。鏡の右は昔使っていた玩具とか、パズルとか、その他諸々が置かれている棚。左には、表紙を見るだけで頭の痛くなる参考書の置かれた本棚。
視線をもう一度後ろへずらす。意味の無い行動をして気恥ずかしさが残るが、勉強机の上に飾られた写真を眺め見た。
そこには、俺がよく知る近所の幼馴染の少女と、その少女の双子の兄が、俺と一緒に写っている写真があった。近くの公園、その入口で撮った写真だ。何故か、他の場所にある物よりも紅く見えるポストを囲んでの写真。3人とも満面の笑みでピースしている。
何故か真ん中に俺が。そして左右に、同じ髪型、違う髪色、同じ顔付き、違う性別の双子が並んでいる。茶色がかった髪で、一部だけ長くなった髪を紅い鈴の付いた蒼い紐リボンでまとめているのが俺のよく知る幼馴染―萩徒 彩芽―だ。
一方、漆黒の髪、その一部だけ長い髪を蒼い鈴の付いた紅い紐リボンでまとめているのが、彩芽の双子の兄―萩徒 錬夏―である。
この双子はある意味異常だった。兄の方の錬夏は小さい頃から、何でも知ろうとしているクセに一日経つと全て、綺麗サッパリ忘れてしまう脳障害の持ち主だし、彩芽は彩芽で、大人を一日に一度は必ず、何かで驚かすような奴だし。
錬夏の方は理由がハッキリしていたから良かったものの、彩芽の方の悪戯は、目に余るところがあった。彩芽は何故か、相手の考えている事が分かるようだったから、人を驚かすなんて、朝飯前なのだ。
悲しい事や嬉しい事、苦しい事や楽しい事。たとえ初対面であっても、彩芽は対峙した人間の考えを目や態度から読み取ってしまう、そんな癖のように使ってしまう力があった。俺も最初、その変な力を知った時は驚いたが、今では当時の俺を恥じるほどに慣れてしまった。
要は、素直な態度で向き合えば良いのだ。嘘をつかなければ良いのだ。本当に知られたくない事があれば無心になれば良いのだ。
その素直でしか対峙できない彩芽が、何故か、今、目に焼き付いた。写真の中の彩芽はまだ小さくて、まだ、7、8歳の姿で。ただの昔の写真だというのに。
『ね、ね。その子、好きでしょ』
「い、イキナリ何を言うんだ、お前は」
『お前、じゃないよ。私にもちゃんと、名前はあるよ? 《インウィディア》っていう、ね』
インウィディア? 確かラテン語で『嫉妬』という意味だった気がする。いかにも偽名という感じの名前だが、まさか本当に本当の名前というわけじゃないよな?
『むむ。その顔は信用していないね? 残念でした、これが本名だよぉー、だ』
そう、インウィディアは舌を出し、右手で右目をムリヤリ開かせた。体を乗り出してはいるが、こちらに来るという事は、さすがに、無いようだ。
こんな不思議な事が起こっているというのに、やけに落ち着いた俺の心。あまりにも信じがたい事だが、俺はどうやらこういう事に関して、関心があまり持てない人間のようだ。
これ以上、何かに驚く事や揺れる事も無いと思いたい。いや、無いままでいてほしい。さすがに目眩がしてきた。というか、もうベッドに戻りたいのだけれども。
『むぅー・・・・辛そうだから要点だけをまとめて、何故私が此処にきたのかを言っておこうか?』
むしろそれが本題なのだろう。早くしてほしい。本当に。
『あのね、私は――』
自分でも『長いなこの話」って思います。




