伝えた気持ちと伝える気持ち
俺は幼馴染の少女の前にいた。
そして、決して可憐だとは言えない身体能力を持つ彼女は、何も言わなかった。
いつも冷静で、いつも仄かに桃色を帯びた頬を見せる彼女の顔は、蒼ではなく紅くなっている。
そんな彼女の開口一番は・・・・
「・・・・ッんの・・・・バカぁあああぁぁああっっっ!!!」
・・・・おそらく、人生最大の音量であろう叫びだった。
「ああぁぁああぁぁ・・・・」
決して新しいとは言えない教室。木と金属で作られた机の上で、俺は頭を抱え、唸っていた。既に静寂に包まれて、俺以外には誰もいないはずの教室には、本当に、俺以外には誰もいない。
―― ガラスに映る、こいつを除いて。
『残念だったね』
「お前が『やれ』っつたんだろうがぁあ!」
『いやいや、拒否権が無いとまでは言っていないから、君の所為だと思うよ?』
インウィディア。彼女はどうやら、鏡のように、物を映す事が出来る物質であれば、何処にでも現れるようだった。水面や、理科室に展示された黒曜石、電源を切った超次世代型携帯端末ECTの画面。とにかく何処にでも現れる事が出来るらしい。夕方なので、ガラスに映る彼女の色はかなり薄いが。
ただこの少女、俺以外には見えないようで、クラスメイトや担任の教師も、授業中ずっと、俺に一方的に話しかけていたこいつに、誰も気付いていなかった。
先程『残念だったね』と言った彼女の顔は、どう見ても笑いを堪えている人間のそれと同じ顔。顔の所々が歪み、いかにもからかっているような態度に、俺は無性に腹が立っている。
・・・・いや、腹を立てているのはそこじゃない。俺の不甲斐無さだ。告白一つやりこなせないなんて、男として、友人として、そもそも人間として、不甲斐無いことこの上ない。大切な人を泣かせる奴は、なおさら不甲斐無い。と、思う。
萩徒 彩芽。俺の幼馴染であり、クラスメイトであり、俺が・・・・一番好きな奴。あいつと2人きりになった放課後の教室は、まるで意図的にそうされたかのように、部活で飛び交うはずの声すら響かず、いつもなら聞こえるはずの外の喧騒すらも届かなくて。
俺はガラスから聞こえてきた声に答えるように、言ってしまった。
―― 好きだ!
死ぬほど恥ずかしい。
『人払い完璧だったし彼女以外には聞かれていないからOKでしょ。告白っていうものは、全部そんなものだと思うよ? でしょ?』
知らん。
『もぉ~、そんなものだって! じゃああれかな? 今からあの子の家まで行って、冗談ではないが気にするなとでも伝えに行くわけ? あー、そりゃな』
「それだ」
そうだよ。上手く誤魔化せば、少なくとも、今悩むことは少なくなる。
『いやいや、それはかなり格好悪いと思うよ?』
「元々俺、格好良くはないし、そもそも格好悪くて良いし」
『・・・・開き直っちゃったよ、この子』
インウィディアはやれやれ、といったポーズを取って、教室から出る俺を見送る。と言っても、こいつは鏡のように物を映す物質がある場所であれば何処にでもいつにでも現れるような奴だから、一緒に来ているかも知れないな。出会ったのは昨日の昼だが、それが分かるぐらいには色々試している。
―― 『私は、愛のキューピッドだよ♪』
あの言葉を信じたわけではないが、先程、こいつの『今だ!』という声に合わせてあんなことを叫んでしまったのは事実。
そして、今、あいつ・・・・彩芽は、俺の事しか頭に無いはずだ。そういう意味では、こいつの言葉は正しいと思う。恋をすると、そいつの事が頭から離れないと言うし、その状態に近いとは言える。まぁ、恋をしていると言うにはちょっと違う部分があるので、まだ俺は片思いの真っ最中な訳だが。
ともかく、あいつにどうにか返事をもらわなければ。先程言ったとおり俺は格好悪くて良い。振られたとしても、当然か、と割り切る事ができそうなほど、俺は落ち着いているのだから大丈夫だ。
だが肝心の彩芽が今何処にいるのか分からなければ元も子もない。俺は急いで、彩芽の家に向かう。彩芽は女子の中でも飛びぬけた足の速さを持っているから、既に帰っていて、そのままベッドの中でうずくまっている、というのは十二分にありえる。
例のポストの前を通り過ぎ、緑、黄色、赤、白、青、二回目の緑の屋根がある家を通り過ぎたところで、他よりも大きいように思える、赤い屋根の家が見えてきた。あれが彩芽の家だ。
僅かに上がった息を整えて、俺はインターフォンに手をかけた。
『・・・・はい。あ、那由他君だ。どうかしたの? あっ、待って待って。今開けるから』
カメラを通して俺が見えたらしく、聞き覚えのある声が、咳混じりに耳に響く。
ガチャッ、と音を立てて、何故かむせながら、未だに制服のまま緑色のエプロンをした彩芽の双子の兄、錬夏が現れた。相変わらず、どんな状態でもキラキラオーラが見える奴だ。
「えほっ、けほっ、あー・・・・どしたの?」
「や、お前がどうした?! そんな咳き込んで、風邪じゃないよな?」
「あぁ・・・・けほっ。いや、な、何でも・・・・げほっ、な、ないよ」
「へぇ・・・・?」
錬夏をまじまじと眺める。頭から足先まで所々に白い粉が付着し、錬夏が咳を出す度にその粉が風に運ばれていくのが見える。小麦粉? いや、ちょっとした甘い香り。砂糖か。
それにしても砂糖を零す(かぶる?)なんて、錬夏らしくないミスをしたものだ。こいつはめったに転ばないし、家事全般が得意で、いつも朝早くから夜遅くまで働いている両親の代わりに、彩芽と交代しながら掃除や料理の準備を請け負っているそうだ。もっとも、料理はもっぱら錬夏の仕事だが。
それにしても・・・・。
「・・・・」
「・・・・」
その場に重い空気がのしかかる。バレバレの嘘をキラキラオーラ全開モードのまま、平然と笑顔で言った為か、次に放つべき言葉が見つからない為か。
どちらにしろ、早く脱したい。だから思い切って、こちらから声を出す。
「・・・・嘘をつくなら、それなりの状態でつけよ」
だが出てきたのは、錬夏に対する非難の言葉。本当ならここで、フォローの一言でも良いし、むしろ別の話に切り替えておけば良かった。
「・・・・ごめん」
未だに咳き込みながら、錬夏は謝ってきた。いや、この場合謝るのは俺の方だろう、などと言って、また錬夏が謝って、また・・・・となるのは嫌なので、俺は黙ったまま、錬夏の次の言葉を待つ。
こいつは、気まずい空気になった時、しばらく黙り込んでしまうタイプの人間だ。ただ、こちらが黙ったままでいれば、その間に空気を変える策を考える、そういうタイプの人間でもある。というわけで、俺は、錬夏が空気を換えてくれるのを静かに待つことにした。
「・・・・えぇっと、とりあえず、中、入る?」
お、今回は早いな。まだ1分しか経っていない! 前は3分だったからな。という嬉しいニュースと共に知らされた、悲しい知らせ。錬夏がこうも簡単に人を家に入れる、という事は――
―― おそらく、この家に彩芽はいない。
だが、ここで既にドアへ向けて走っている錬夏に謝罪を言っても、もう遅い。ドアを開けた途端に、俺が「ごめん、いいわ」などと言ってみろ。
錬夏に泣かれる。
「どしたの、那由他君。おぅい、こっちだよ?」
外にいるうちに砂糖を払いながら、錬夏は笑顔で手を振ってくる。やれやれ。こいつはいつまで経っても子供で困る。泣き虫だし、夢見がちだし。そしていつも、悲しそうな表情で空を見つめている。毎日飽きもせずに。
あぁ、いや、それは語弊があるのか。どうにも萩徒姓の人間は変なところが必ず1つ、存在するらしく、その変というのは、精神的、もしくは肉体的なもので、目立つ特徴が必ず一つ以上あるという事でもある。錬夏の場合、それは頭だ。
頭がおかしい、という事ではなく、脳に障害を持っているという事。その記憶が、たった1日しかもたないということ。まぁ、最近は色々な治療を試して、何とか5日間ぐらいの記憶はもてるようになったとか。つい3年前まで、実の妹である彩芽を忘れていたと言うのだから驚きだ。
不思議なことに、俺の事は3年以上前から覚えていたらしい。・・・・何で家族でもない俺より彩芽を覚えられなかったのだろうか。不思議な事だ。
「那由他君、入らないの?」
「あ、いや、入る。うん」
「? いらっしゃい」
無邪気な笑顔を浮かべて、錬夏は俺を迎えた。




