十ニ
暗闇を手探りで走る私は、御守りの光だけが救いだ。見えた明かりに駆け寄れば、罠だとわかっているから、ただひたすら暗い道を走る。
呼吸が辛くて、脇腹の近くが痛くなった。
私を追いかけるあれは、きっと疲れることはないんだろうな。羨ましく思いながら、足を動かしていると、ぐにゃりと地面が沈んだ。
「えっ!?」
走っていた私は思いっきり転けた。咄嗟に出した手が地面に擦れて痛い。転けた瞬間に打ち付けた膝も痛くて、じんじんと熱を訴える。
触れる地面はどうやっても凹まない。なのに、つい先ほどは唐突に地面が柔らかくなった。気のせいではなく、足がもつれてバランスを崩すほど歪んだのだ。
ずりっ、ずりずりっ。
鬼ごっこは終わりだというように、音が近付いてくる。逃げないといけない。本能が訴えてくるけれど、走り続けた体は疲労を蓄積し、息は整わない。
どうして、私がこんな目に遭っているのだろう。何が悪かったというのだろうか。
気力を振り絞って立ち上がろうとした私は、気付けば地面に引き倒されていた。右足に絡む何かにぞっと寒気が走る。
「は、はっ」
荒い息を吐きながら、私を守る薄い光の膜に相手の距離を実感した。近いなんてものじゃなく、もうすぐ側にいるのだ。腕を自在に伸ばす恐ろしい相手が、掴んだ力を緩めることなく距離を詰めてくる。
ずりずりずり。
私を引っ張らない理由はわからない。相手が近付くたびに感じるのは、避けようもない絶望の足音。ここで築いたすべてを破壊されるカウントダウンに思えた。
ぬうっと姿を現したそれに悲鳴が零れそうになる。私が頼りにしていた御守りの光が照らす姿は、ただひたすら恐ろしい。
泥の塊みたいに形はしっかりしていないし、滴り落ちたものから強烈な悪臭が漂っている。ますます近付く距離に、ぞわりと産毛が逆立ち、鳥肌ができた。
御守りは、微力な薄い膜で包んでくれているけれど、頼りなく感じてしまう。転けた時にできた傷口が痛む。滲む血に触れようとしたのか、何かをしようとした瞬間、柏手の音が響き渡った。
助けが来たのかもしれない。そう思えたら、緊張が解けていく。これで大丈夫だとほっと安心感を感じた。
「だーめだよ」
耳に入ったその声は聞き覚えがある。こんな不思議世界で、知り合った相手といえば基本的に人外の方々ばかりだ。なら、この声の主は誰なんだろう。その答えはすぐにわかった。
「食べたらだめだよぅ。君たちはちょっと触れるだけ」
ふわりと姿を現したのは、ショタっ子貧乏神様だ。抹茶プリンが好物の可愛らしい神様は、ずびしっと泥状の相手を指差した。
「び、ん乏神様……?」
戦闘なんてできそうにない貧乏神様がどうしてこんな危ない相手がいる場所に来ているのだろう。腕力もなさそうな神様は、早く逃げないと危険だ。
「逃げてください」
目の前にいる泥状のものに対して、拭いきれない嫌悪感を抱きながら、私は必死に訴えた。
いくら神様だとしても、貧乏神様は強いようには見えない。巨大な相手に一飲みされてしまう。恐ろしい未来を想像して、ぞっと悪寒が走った。
「ここは、危ないですから」
できれば、逃げて誰か助けを読んで欲しい。望みを抱きながら、私は無事に貧乏神様が得体の知れない相手から逃げれることを願った。
「ふふふ、ユーリは優しいねぇ」
けれど、幼い見た目の愛くるしい神様は楽しそうに笑う。
「僕なら平気だよぅ。ほら、言うことを聞いて止まっているでしょ?」
「え……?」
一瞬、言われた意味が理解できなかった。貧乏神様は、くすくす笑って歌うように言葉を紡ぐ。
「どうしてこうなったのか。なんでこんな場所にいるのか。ユーリはまだなーんにも知らないんだねぇ」
くるりくるりとステップを踏んだ貧乏神様は、私の側に近付いてくる。
「ここがどんなところなのか。まだまだ知らないことがいっぱいだねー。てんちょーさんもしっかりしないとだめだねぇ?」
私にのしかかったまま動きを止めた泥状のものをつつき、貧乏神様は淡い光を眩しげに見つめる。
「逃げないなんてびっくりしたよぅ。本気で願えば救われるのに、何か理由があって御守りが力を発揮できていないんだね?」
問いかけながらも、断定しているような言葉にドキリとする。まさに言われた通りの状況なのだ。
逃げたいという願いはあるけれど、この場所を忘れるきっかけを作りたくない。離れる理由を作り出したくはなかった。だから、守るための力を持つ御守りは本来よりもきっと力を発揮できていない。必要最低限の守りしかしていないのだ。
泥状の相手をつつくのを止めた貧乏神様に、私は助けを求めるべきか迷う。どんな理由かわからないが、貧乏神様は相手の動きを制限している。貧乏神様の小さな身体は強いようには見えないけれど、相手が言葉に従っているのだ。
願えるのなら、私の上から退いて欲しい。むしろ、側に来ないでもらいたい。いっそのこと、貧乏神様と手を取り合ってこの場所から逃走したいくらいだ。
「ねー、ユーリ」
なんて言えばいいのか迷っている私の顔を覗き込んだ貧乏神様は楽しげに笑っている。こてん、と首を傾げた幼い見た目の神様は無垢な瞳を輝かせた。
「えへへ、ちょっと食べさせて?」




