十三
一瞬、何を言われたのかわからなかった。呆然とする私を見つめる貧乏神様は、くすくす笑っている。
「あれぇ? ユーリ、ユーリ。返事くれないの? ちょっと食べさせてよぅ」
鳥肌がぞわりと立った。無邪気な言葉に恐怖が浮かぶ。
「何を……」
何を言っているのだろう。どういう意味なのだろうか。理解できない私に向けて、貧乏神様は愛らしい笑顔を見せた。
「大丈夫、死んだりなんてしないよ?」
「それは……どういうことですか?」
混乱する私を余所に、貧乏神様は幸せそうに表情を緩めた。
「何も心配することなんてないよぅ。だから――」
泥状の相手に身体を押さえつけられて動けない私へと貧乏神様が手を伸ばす。避けることができないまま、近付いてくる小さな手が恐ろしい。
「いただきます」
贅沢で豪華な食事に向けて、感謝を捧げるように貧乏神様は声に出す。
飛び出しそうな悲鳴は、喉の奥に張り付いて途切れてしまう。硬直する私は、目を閉じることもできずに貧乏神様を見上げた。
何かが抜き取られていくような虚脱感を味わう私の視界に、緑色の光が駆けていく。真っ暗な地面から飛び出した蔓が鞭のように動いている。それは鋭さを持って、泥状の生物を勢いよく叩き、縛り上げた。
「わあ、驚いた」
次の標的として狙われた貧乏神様は、私の上から素早く飛び退いて、こてりと首を傾げる。
「ふふ、そっかぁ。彼女とこちらの縁は君なんだー?」
疑問のように問いかけながら、すでに答えなどわかっている様子で貧乏神様は言葉を紡いでいく。
「それなら、ちゃんとしなきゃだめなんじゃないかなぁ」
ぷくうっ、と可愛らしく頬を膨らませて文句を口にすると、貧乏神様が指を鳴らした。その途端、蔓に縛られている泥状の生物がぐじゅぐじゅと音を立てて溶けていく。
悲鳴を上げる相手から、具合が悪くなる匂いが漂ってくる。血の気が引く匂いに吐きそうだ。脱力して動けない私の側に駆け寄ってきた狐さんが頭を下げる。
「ユーリ、ユーリ。ごめん」
「き、つねさん?」
動物の姿をしたままの狐さんが私の額に手を置いた。緊張と混乱ばかりで疲れている私を落ち着かせるように、狐さんの掌から光が溢れてくる。ぷにぷにと柔らかい肉球が温かい。
「もう大丈夫だから」
きつねさんの柔らかな言葉を最後に、私の意識は緊張が解けてぷつりと暗闇の中に落下した。
意識が浮上してみれば、そこは布団の上だった。何があったのか、記憶を掘り起こしていると、どたばた走る音が聞こえてくる。少しだるさを感じつつ、起き上がった。
どこなのかわからずに考えていると、勢いよく襖が開いた。
「ユーリぃぃいいい!」
「ユーリが起きたー! 生きてるぅうううう!!」
私の名前を叫びながら、室内に雪崩れ込んだのは、眷属さんたちだ。タックルする勢いで突撃された私は「ふぐうっ」と女性らしくない声を上げてうずくまった。痛みで涙が出てくる。
「ユーリ、死なないで!」
誰のせいで、こんな痛みと格闘することになったのか、あわあわしている眷属さんたちに言いたい。まあ、口に出せずに呻いているだけなんだけれど。
貧乏神様に何か抜き取られた。食べられたともいえるものをされた時よりもきつい。変な汗が出てきた。
「お前ら、何やってるんだ」
コックーニさんの声がする。痛む場所を優しく撫でながら、ゆっくり顔を上げた。眷属さんたちを引き止めて欲しかった、と思いながら彼に視線を向ける。
「愛されてるな」
うむうむ、と頷くコックーニさんに言い返したくなった。
いくら仲良くしている相手だとしても、タックルはひどいと思う。これを眷属さんの愛だと言うのなら、私は受け止め切れない。無事であることを喜ぶのは嬉しいけれど、まずは人間である私にとって、一般的な感激の仕方を覚えて欲しいものだ。
でも、彼らの反応は心の中を温かくしてくれる。心配をかけたようで申し訳ないけれど、心配してくれたことが嬉しいのだ。
「あらあら。大丈夫、ユーリ?」
コックーニさんの後ろから現れたのは、優雅に微笑む雪神様である。
眷属さんやコックーニさんは、同じ職場に働く仲間だからここにいるのはおかしくない。けれど、お客様である彼女がいるのはなぜなのだろう。
疑問を浮かべつつ、目覚める前にあった出来事を思い出す。そういえば、あれからどうなったんだろう。もしかして、雪神様がここにいるのは、何か関係があるのだろうか。
「あのっ!」
抱き着いている眷属さんの塊を放置して、問いかけようと口を開く。
私が勢いよく声をかけたことで、雪神様やコックーニさんは驚いたようだけれど、何があったのか知りたくて仕方がない。
あの恐ろしい見た目の生物がなんなのか。お客様として、ちょこちょこお店に来ていた貧乏神様は何を考えていたのか。私は一体、何をされたのか。わからないことが多すぎて、思考するだけでくらりと目眩がする。
「無理しちゃ、だめだよ。ユーリ、疲れたでしょ?」
「寝なきゃだめだよ」
私の近くにいる眷属さんは、すぐさま体調を気遣ってわたわた動き出す。
「え、待って。私は聞きたいことがあって……」
確かにまだ疲労は取れていない。元気だとは言いにくい状況ではあるが、溢れてくる疑問を解消したかった。そんな私の気持ちに気付いているのか、雪神様がふわりと笑う。
「大丈夫。ユーリが知りたいことなら、いくらでも後で話せるわ」
「そうだ。まだ顔色が悪いぞ」
コックーニさんが顔をしかめて、眷属さんに指示を出すと彼らは私が眠りやすいように布団を整える。タックルされたり、抱き着かれたりしている間にぐちゃぐちゃになっていた布団が綺麗になった。
私が身体を起こしたまま、入り口にいる神様である二人を見ていると雪神様が扇子を取り出す。
「今は眠りなさいな。人間はとても脆いのだから、ゆっくり休んでから聞きなさい。上司とお馬鹿な黒幕が教えてくれるわ」
ゆらりゆらり、と揺らされる扇子に意識が薄らいでいく。まだ眠くないのに、という私の意識を無視して睡魔がどこからかやってくる。
まだ起きたばかりなのに、ひどい扱いだ。心配してくれているから、眠らせるのだろうけれど、もう少しこちらの意見を聞いて欲しかった。相手が神様だと思えば好き勝手されるのは仕方ないことかもしれないが。
「確かに顔色がもうちょっとマシになってからだな。起きたら、好きなもの作ってやるぞ」
強制的に眠らせる様子を考えれば、顔色が良くならないと何も答えてもらえなさそうだ。といっても、顔色が悪い自覚なんてないのだけれど。
ああ、なんにしてもコックーニさんの声が遠い。最後に聞こえた台詞に応えようと唇を動かしたが、果たして私はきちんと希望の食べ物をリクエストできたかわからない。起きたら、目の前に美味しいリクエストが置いてあると信じよう。




