第1章 承認
第1章 承認
あの日、俺が拾ったのは、『一匹の仔猫』だけじゃなかった。
ポケットの鈴が、雨音を消したんだ。
幼い俺は神社の軒下で、今にも消えそうな小さな灯火のような存在を見つけた。
親猫の姿はなく、弱々しく、まるで私に救いを求めているように聞こえる鳴く声。
気づけば私はその小さな体を抱きしめ、家へと走っていた。
「お母さん、これ……」
「涼介、どうしたの?」
台所で夕飯の準備をしていた母が手を止め、私の腕の中にある震える体を見つめる。
「涼介、その子抱えたまま車乗りなさい! 今すぐ!」
母は濡れた手をエプロンで吹きながら、車のキーを握りしめ戻ってきた。
連れて行かれたのは動物病院だった。
「……だいぶ、弱っとるね」
白髪の老医師が仔猫のまぶたを持ちあげ、瞳を覗き込む。
「……お願い、助けてあげて!」
そう言って老人にしがみつき、夢中で祈った。
しばらく預かると言われたが、私は毎日、動物病院の窓から中を覗き込んだ。
そんな日が続いたある雨の日、その命を拾った神社に行き、俺は手を合わせる。
今までは大人の真似をして頭を下げるだけだったが、その時は違った。
貯金箱に貯めたお小遣いをすべて賽銭箱に投げ入れる。
「あの命を、助けてください!」
俺は、生まれて初めて、神へ祈った。
その帰り、神社の境内で小さな鈴を見つける。
雨に濡れているはずなのに、その鈴だけは内側から光っているように見えた。
指で触れると、雨音をやさしく切り裂くような、純粋で透き通った音が響く。
……耳の奥ではなく、もっと深い場所に直接届くような音色。
世界から一瞬、雨音が消えたような錯覚に陥った。
気づけば、その鈴をポケットへしまい、そのまま動物病院へと向かった。
いつものように窓から中を覗くと、老医師が手招きをする。
『本日休診』の看板が掲げられた玄関へ回り、俺は中へ招き入れられた。
診察室のさらに奥へ通される。
そこで目にしたのは、あの今にも消えそうだった命がケージの中で元気よく鳴く姿だった。
「あとで、お母さんと迎えにおいで」
優しくそう言うと、老医師は私の頭を撫でてくれた。
雨の中を飛ぶように走り、ちょうど買い出しから戻ったばかりの母に報告する。
新しい家族が出来た日だった。
真っ黒な毛並みに透き通った緑の瞳、そして長いしっぽを持ったこの命に、俺は『ウズメ』と名付けた。
幼い頃から、祖母が話してくれる日本神話や地方の言い伝えばなしが好きだった。
雨の日に出会ったから、アメノウズメ。子どもらしい単純な連想だったが、その響きは不思議と彼女に馴染んでいた。
全身が黒だったので、目立つように赤い首輪をつけ、そこにあの神社で拾った鈴をつける。
チリン、と鳴ったその音が、宇宙のどこか遠く、ウズメの生存を承認された合図のように聞こえた。
きっと神様が願いを聞いてくれたのだと、あの時は信じていた。
家族も彼女のかわいい仕草や人懐っこい性格に癒やされ、寝るときは私に寄り添い、小さな寝息を立てる。
神社にも何度も足を運び、ウズメの命を救ってくれたことにお礼を言いに行ったものだ。
あの頃の俺は、あの鈴が本当に何だったのかなど、考えもせずに鈴の音は、いつもウズメと一緒にあった。




