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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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素質

 翌日の午後、麗華は翠微を連れ出した。


「どこに行くんですか?」


 翠微は麗華の後ろを小走りについてきた。素足に草鞋わらじを引っかけ、三つ編みが走るたびに揺れる。昨日の不安は消え、好奇心が勝っている顔だった。


「少し見せたいものがあるの」


 麗華は鳳凰領の北東、山裾に向かって歩いた。春蘭は屋敷に残した。これは一対一で確かめるべきことだ。もし翠微に素質がなければ——それはそれで、静かに終わらせればいい。


 山道を二十分ほど登ると、岩場に出た。


 霊脈の露頭ろとうだ。


 地中深くを流れる霊脈が、地表に顔を出す場所。岩の表面が翡翠色にうっすらと光り、空気に微かな甘さが漂っている。木々の間から差し込む陽光が岩に当たると、光が複雑に屈折して虹色の影を落とす。普通の人間にはただの岩場にしか見えないが、地養術の素質者にはこの場所が特別であることが分かるはずだった。


「きれい……」


 翠微が岩を見上げた。目が大きく開き、口元が微かに開いている。


「この岩、なんだか光ってませんか? うっすら緑っぽく見えるんですけど」


 麗華の心臓が跳ねた。やはり見えている。普通の人間には見えない光が、この子には見える。


「ええ。光っているわ。あなたに見えるのね」


「はい。でも……これって変なことですか? あたし、昔から変なものが見えるって言われてて——」


「変ではない。特別なのよ」


 麗華の声に力がこもった。


「翠微。ここに手を当ててみて」


「手を?」


「ええ。岩の表面に、両手を。怖がらなくていい。何が起きても、わたくしが見ている」


 翠微は不思議そうな顔をしたが、素直に従った。両手を岩の表面に当てる。小さな手が冷たい石に触れ、指が岩のくぼみに収まる。


 一瞬の静寂。


 風が止まった。


 翠微が目を閉じた。


 そして——露頭が光った。


 淡かった翡翠色の光が一段強まり、岩の表面を波のように走った。翠微の手の周りが特に明るく、少女の指先から光が脈打つように広がっていく。岩全体が呼吸をするように明滅し、光の波紋が翠微の手を中心に広がっていった。


 麗華は息を呑んだ。


 自分が露頭に触れた時の反応とは、質が違う。麗華の場合、光は穏やかに滲み出す。翠微の場合は——呼応している。岩が翠微に応えている。


 翠微の唇が開いた。


「——聞こえる」


「何が聞こえる?」


「水の音……いえ、水じゃないです。もっと——大きい。大地の奥から、何か流れてる音が。ずうっと遠くから来てて、ここで地面の近くに出てきてる」


 翠微は目を閉じたまま、言葉を探すように続けた。眉を寄せ、唇を噛み、自分の感覚を言葉にしようともがいている。


「声? 声みたいなもの。怒ってるんじゃなくて……歌ってる? 大地が歌ってるみたいです。低い声で、ずうっと歌ってる。——ああ、温かい。手が温かいです」


 麗華は静かに翠微を観察していた。


 自分は霊脈を「感じる」。温かさ、冷たさ、脈動——触覚的な感知だ。だが翠微は「聞こえる」と言った。音として、声として知覚している。「歌」と表現した。


 感知の質が、根本的に違う。


 これは「育てる力」とは異なる素質かもしれない。麗華にはない種類の力。祖父にもない力。


「翠微。手を離して」


「あ、はい」


 翠微が手を離すと、露頭の光が元の淡さに戻った。名残惜しそうに、翠微は自分の手を見つめた。


「今の……何だったんですか」


「あなたには、霊脈を感じる力がある。この岩の下を流れている力——地養術の源になる力を、あなたは感じ取れる」


「地養術……お嬢様が使っている、あの光る技ですか?」


「ええ」


「あたしにも使えるんですか?」


 翠微の目が輝いた。好奇心と期待が混ざった目だ。だが次の瞬間、その輝きが不安に曇った。


「でも……あたし、鳳家の人間じゃないのに。地養術って鳳家の秘伝でしょう? 近所の人がそう言ってました。鳳家の血筋じゃないと使えないって」


「そう言われてきたわ。百年の間」


 麗華は翠微の茶色い瞳を見つめた。好奇心と不安が入り混じった瞳だ。


「でも、あなたには素質がある。それは確かよ」


「あたし……何か悪いことをしたんですか?」


「何も悪くない。何も悪くないわ」


 麗華は翠微の肩に手を置いた。小さな、痩せた肩だった。


「お前は——特別な力を持っている」


 帰り道。


 山道を降りながら、翠微が口を開いた。


「鳳家のお嬢様」


「麗華でいいわ。——いいえ、先生と呼びなさい。今日からそう呼んでもらうかもしれないから」


「先生?」


「ええ。——ただ、まだ決まったわけではないの。少し考える時間をちょうだい」


 翠微は麗華の横顔を見上げた。午後の木漏れ日が、二人の影を山道に落としている。


「あの。さっきの岩で聞こえた音のこと——母に言っていいですか?」


「もう少し待って。わたくしの方から、お母様にお話しするから」


「わかりました」


 翠微は懐から何かを取り出した。


「これ、よかったら。母が作った干し柿です。今年の出来がいいんです」


 小さな干し柿が二つ、翠微の手のひらに乗っていた。表面に白い粉が吹き、飴色の果肉が透けて見える。


 麗華は一つ受け取った。口に入れると、凝縮された柿の甘みがゆっくりと広がった。砂糖菓子のような派手な甘さではない。天日と風が作り出した、素朴な甘さだ。高価な菓子にはない、土と陽光の匂いがする甘さ。噛むと果肉がねっとりと歯にまとわりつき、甘みが長く舌に残る。


「……美味しいわ」


「母の干し柿は村一番なんです。あたしが畑で柿を育てて、母が皮を剥いて干すんです。父が元気だった頃は、三人で一緒にやってたんですけど——」


 翠微の声が一瞬だけ曇り、すぐに明るさを取り戻した。


「でも今年の出来は一番いいです。あたしが育てた柿が一番甘いって、母が言ってくれました」


 翠微が嬉しそうに笑った。飾りのない、真っ直ぐな笑顔だ。


 麗華は干し柿を噛みながら、翠微の背中を見つめた。


(この子に地養術を教えられるのか。教えて——いいのか)


 鳳家の秘伝を、鳳家の外の者に開く。百年の掟を破ることになる。祖父に何と言えばいいのか。秘伝書の「門外不出」の一文が、頭をよぎった。


 だが同時に、もう一つの考えが浮かんだ。


(地養術を使えるのがわたくし一人である限り——この領地は、わたくしの体ひとつに依存している。わたくしが倒れたら、すべてが終わる。祖父の言葉。「術が使えなくなったらどうする」。——答えが、この子なのかもしれない)


 翠微の後ろ姿が、山道の向こうに消えていく。三つ編みの少女の背中は小さかったが、その中に眠る力は——麗華が感じ取った限りでは、決して小さくなかった。


「先生。また明日、会えますか?」


 翠微が振り返って笑った。干し柿の甘い匂いが、風に乗って漂ってきた。


「ええ。——また明日」


 麗華は鳳凰領に戻りながら、空を見上げた。秋の空は高く、雲が薄く広がっている。


(この子に地養術を教えられるのか。教えて、いいのか)


 答えはまだ出ない。だが——翠微の干し柿の甘さが、まだ舌に残っていた。素朴で、温かくて、嘘のない甘さだった。


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