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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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集い

 冬の始まり。


 鳳凰領の屋敷に、人が集まった。


 最初に来たのは翠微だった。


 東の果てまでの旅を終え、日に焼けて少し背が伸びた翠微が、門をくぐった瞬間に叫んだ。


「先生ーっ! ただいまです!」


「おかえりなさい、翠微。——大きくなったわね」


「えへへ。いっぱい歩いたので」


 翠微は半年前よりも背が伸び、顔つきが少し大人びていた。頬がこけていた面影はなく、日に焼けた肌は健康的に輝いている。だが笑うと——あの日の少女のままだった。翡翠の簪が旅の風雨に少し曇っているが、ちゃんと髪に挿してある。三つ編みは旅の途中で短く切ったらしく、以前より少しだけ短い。


 翠微が持ち帰ったのは、東の果ての新品種の穀物。潮風に強い麦の変種で、海沿いの荒地に適しているという。粒は普通の麦より小さいが、色が濃い。手に取ると、独特の磯の香りがかすかにする。


「先生。これ、すごいんです。塩気のある土地でも育つんです。海辺の荒地に蒔いたら——」


「素晴らしいわ。詳しく聞かせて」


「はい! あと、お土産もあります。干し魚と海藻と——あ、それからこれ。東の漁師さんに教えてもらった貝の塩辛。ご飯にのせると最高で——」


「食べ物ばかりね」


「食べ物は大事です! 先生がそう教えてくれたんですよ」


 麗華は笑った。確かにそうだ。食は命だと、何度も教えた。翠微はそれを——旅の中で体で覚えてきたのだ。食べることが大事だという教えを、翠微は最も忠実に守っている。


 翠微が土産を次々と卓に並べていく。干し魚は藁で束ねてあり、塩の結晶が表面に光っている。海藻は乾燥させて紙のように薄くなっていて、光に透かすと深い緑が透ける。貝の塩辛は小さな壺に入っていて、蓋を開けると潮の匂いが部屋に広がった。


 暁風が北辺の巡回から戻ったのは、翠微の到着の翌日だった。


 守将としての任務。北辺の防備点検と、霊脈ポイントの巡視を兼ねた旅だった。二週間の巡回で、馬と共に荒野を駆けてきた。


「ただいま」


「おかえりなさい。——寒かった?」


「北は寒い。だが草原が蘇り始めている。牧民たちが喜んでいた」


「よかった」


 暁風は日に焼け、頬が少し痩けていた。北辺の風は乾いていて冷たい。だが目に力がある。巡回の疲れはあるだろうが、それを見せない。暁風らしい。


 暁風が持ち帰ったのは、北辺の牧民から贈られた乾酪と馬乳酒。牧民が「鳳家の恩人に」と包んでくれたのだという。白い乾酪は、ほのかに草の香りがした。手に取ると硬く、噛むとじわりと乳の甘みが広がる。馬乳酒の壺は革袋に入っていて、揺すると中身が音を立てた。


 老太爺は寝室から出られなかったが、縁側の近くまで布団を移して、集まった者たちの声を聞いていた。窓を開け放つと、庭の向こうから声が聞こえてくる。翠微の甲高い笑い声。暁風の低い返事。春蘭の淡々とした指示。


 春蘭が老太爺のそばに座り、茶を注いでいる。


「皆さん、お集まりですよ、旦那様」


「ああ。——賑やかだな」


 老太爺が微笑んだ。痩せた顔に刻まれた皺が——全て笑みの形に寄っている。枕元には麗華が置いた花瓶がある。庭の椿が一輪、赤く咲いている。冬の花だ。冷たい空気の中でこそ美しく咲く花。


 承乾からは便りが届いていた。


 ——鳳凰領の食卓に加えてほしいものがある。帝都の菓子職人に作らせた胡桃の月餅だ。朕の好物であるが——お前の舌に合うかどうかは知らん。追伸。お前の作る茶菓子には遠く及ばないことは、承知している。だが——朕にできる精一杯だ。


 月餅の包みを開けると、胡桃の甘い香りが広がった。一つ一つ丁寧に包まれた月餅は、表面に細かい模様が刻まれている。帝都の職人の仕事だ。「福」の字が中央に配され、その周りに菊の花が彫られている。皮は薄く焼き色がつき、中には胡桃の餡がぎっしり詰まっているのが見える。


 麗華は月餅を手に取り、笑った。


「承乾が月餅を送ってきたわ」


「皇帝が菓子を?」


「あの人なりの——参加の仕方よ」


 そしてもう一つ。玉蘭からの荷物が届いた。


 中身は——蘇家の旧領で収穫された冬小麦の粉。小さな袋に、一通の手紙が添えてあった。


 ——鳳麗華様。蘇家の旧領で、初めての収穫がありました。量は僅かですが、ここに少し送ります。あなたの食卓に並べていただけたら——嬉しく思います。手はまだ荒れていますが、鍬には慣れました。隣の農家のおばあさんに教えてもらって、蕪も育てています。蘇玉蘭


 麗華は玉蘭の粉を手に取った。白い粉。だがそこに——百年の罪と一年の汗が詰まっている。指の間からさらさらとこぼれる粉に、かすかに土の匂いが混じっている。


「暁風。これを使って、何か作るわ」


「何を」


「蒸しパン。玉蘭の粉で、蒸しパンを作る」


 厨房に立った。


 翠微の新品種の穀物で粥を炊く。小さな粒を水に浸し、弱火でことこと煮込む。普通の麦粥とは違う、ほんのりと磯の香りがする粥。暁風が持ち帰った乾酪を薄く切って添える。草原の香りがする白い乾酪が、粥の温もりで柔らかく溶け始める。


 春蘭が淹れた鳳凰領の緑茶。いつもの品だが、今日は特別に丁寧に淹れてある。湯の温度は八十度。祖父の好みの淹れ方だ。


 承乾が送った胡桃の月餅。半分に割ると、中から胡桃の餡がこぼれ出る。濃厚な甘さと、胡桃の香ばしさが鼻に届く。


 玉蘭の粉で蒸したパン。酵母を混ぜ、生地を寝かせ、蒸籠に入れて蒸す。蒸気が立ち昇り、厨房が白い靄に包まれる。蒸し上がったパンは、ふっくらと膨らみ、表面がつるりと光っている。齧ると、小麦の甘みが口に広がった。


 食卓に——全員の存在が反映されていた。


 直接この場にいる者。翠微。暁風。春蘭。老太爺。


 間接的に繋がっている者。承乾の月餅。玉蘭の蒸しパン。


 それぞれの道を歩みながら——食卓で繋がっている。


「いただきます」


 翠微が真っ先に箸を取った。


「わあ! この粥、美味しい! 先生、何の穀物ですか」


「あなたが持ち帰った新品種よ」


「あたしの!? すごい、こんな味になるんだ。磯の香りがする。面白い!」


 暁風が蒸しパンを齧った。


「……これは」


「玉蘭の粉で作ったの」


「……そうか。——美味い」


 暁風はそれ以上何も言わなかったが、二つ目の蒸しパンに手を伸ばした。それが——暁風の最大の賛辞だ。


 春蘭が月餅を切り分けた。包丁が月餅の皮を断ち、中の餡が断面に現れる。胡桃が散らばった断面が、蝋燭の光を受けて金色に光っている。


「陛下からの品でございます。——お味見を」


「うわ、胡桃がぎっしり。承乾様、甘いもの好きなんですね」


「翠微、陛下に対してその口の利き方は——」


「いいのよ、春蘭。ここは宮廷ではないもの」


 笑い声が響いた。


 老太爺が縁側から声を出した。かすれた声だが、はっきりと聞こえた。


「……賑やかでいい。食卓は——賑やかなほうがいい」


 麗華は老太爺のほうを見た。祖父の顔に——百年分の安堵が浮かんでいる。食卓を囲む声を聞きながら、老太爺は穏やかに目を閉じている。


 食卓に、笑い声が響いた。


 かつて帝都を震え上がらせた女の食卓は——こんなにも、賑やかだ。


 翠微が乾酪を齧りながら「これ、粥に入れたらもっと美味しいかも」と言い、春蘭が「お行儀」と窘め、暁風が黙々と三杯目の粥をよそい、麗華が笑いながら新しい蒸しパンを蒸籠から出す。湯気が食卓に白く漂い、料理の香りが部屋中に満ちている。


 鳳凰領の食卓に——冬の夕暮れの温もりが宿っていた。


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