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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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朝廷の屈服

 外交会議の合意文書は、急使によって帝都に送られた。


 十日後。帝都の朝議で、皇帝・瑛承乾えいしょうけんが裁可を下した。


 麗華がその報せを受けたのは、鳳凰領に帰還する道中のことだった。


「裁可が下りました」


 春蘭が馬車の中で帳面を広げた。


「鳳家の自治権——治安と農政の自治を初年度に認める。段階的拡大は外交成果に応じて判断。名誉回復の手続きは開始。蘇家の不正調査は——保留のまま」


「保留か」


「趙文昌が反対したようです。蘇家の調査は朝廷内部の問題であり、外交とは切り離すべきだ、と」


(予想通りね。蘇家を調べられれば、趙文昌自身の密通も芋蔓式に出てくる。だから必死に止めている)


「しかし」


 春蘭が続けた。


「皇帝陛下は、裁可の際に趙文昌の反対を押し切ったそうです。外交協力の要請を自ら決断し、合意文書を認めた。——趙文昌の意見に従わなかった」


 麗華は馬車の窓から外を眺めた。冬枯れの野が広がり、遠くに鳳凰領の山並みが見えている。


(承乾が趙文昌の意見を退けた。小さな一歩だけれど——大きな変化よ)


「朝廷が条件を大筋で呑んだ。名誉回復の手続きが始まる」


「ええ。ただし——」


「手続きが始まるだけで、完了はまだ先。そして蘇家の調査は保留。つまり、あと一歩が足りない」


「その通りです」


 麗華は目を閉じた。


(外交で成果を出した。朝廷に条件を呑ませた。でも——これは始まりに過ぎない)


 馬車が鳳凰領の境界を越えたとき、道の両側に領民の姿が見えた。帰還を出迎えている。


「お帰りなさい、麗華様!」


「外交はうまくいったのですか!」


 麗華は馬車を止めさせ、降りた。領民たちに微笑みかける。


「うまくいきましたよ。北との不可侵、南の封鎖解除。——そして、鳳凰領の自治が認められました」


 歓声が上がった。領民が手を取り合い、涙ぐむ者もいる。


(この人たちのために外交をした。この笑顔が——成果の証)


 だが麗華の胸の奥には、宴席で感じた重さがまだ残っていた。


 鳳凰領の屋敷に戻ると、翠微すいびが門前で待っていた。


「お師匠様! お帰りなさい!」


「翠微。畑は?」


「大丈夫です。留守の間もきちんと地養を続けました。——少し疲れましたけど」


 翠微の顔は日に焼けて、手には土の跡がある。師の不在を守り通した弟子の顔だ。


「よくやりましたね」


「お師匠様こそ! 外交で朝廷を——」


「そうですね。でも——まだ終わっていません」


 屋敷の執務室に入ると、暁風がすでに待っていた。


「戻ったか」


「ただいま帰りました。——皇帝の裁可の件、聞きましたか」


「ああ。朝廷が条件を呑んだ。外交成果を出した者の条件を拒否すれば、国際的信用を失う——李明倫がそう上奏したらしい」


(李殿、本当に優秀ね。あの若さで正論を通せるのは、皇帝の後ろ盾があればこそだけれど)


「趙文昌は反対したが、押し切られた」


「ええ。ですが——反対した趙文昌が、このまま黙っているとは思えません」


 暁風が腕を組んだ。


「皇帝が自分の判断を選んだ。趙文昌にとっては——支配が崩れ始めている。追い詰められた獣は、牙を剥く」


「同感です。これから先——趙文昌はより危険な手を打ってくるでしょう」


 麗華は執務室の椅子に座り、長い息を吐いた。帰還の疲れが、今になって押し寄せてくる。


 春蘭が茶を持ってきた。麗華が好む銀針白毫ぎんしんはくごうだ。湯気が立ちのぼり、上品な甘みの香りが部屋に広がる。


「ありがとう、春蘭」


「お疲れでしょう。今夜は早くお休みください」


「ええ。そうしたいわ」


 茶を啜りながら、麗華は窓の外を見た。鳳凰領の畑が夕日に照らされている。冬の畑は色味が乏しいが、地養術で整えられた土は健やかな黒色をしていた。


(外交は勝った。けれど——食糧を外交に使ったことの意味を、まだ消化しきれていない)


 暁風が静かに言った。


「裁可の後、皇帝が茶を勧めたそうだ。李明倫にではなく——麗華殿に。書面での伝言だった」


「皇帝が?」


「『朕の好きな茶だ。飲んでくれ』——李明倫が持参した茶葉がある」


 暁風が布に包まれた小さな包みを差し出した。


 麗華はそれを受け取り、布を開いた。龍井ろんじん茶の茶葉だ。皇帝が好む高級茶。後宮にいた頃、承乾が好んで飲んでいた茶と同じものだ。


(承乾。——あなたは、こういうところだけ律儀ね)


 苦笑ともつかない表情が浮かんだ。


(これは謝罪でも和解でもない。ただ——対話の糸を切りたくない、という意思表示。皇帝なりの不器用な誠意)


「飲むのか」


 暁風が訊いた。声に微かな硬さがある。


「いつか。——今は春蘭が淹れてくれた茶で十分です」


 暁風の肩が、ほんの少しだけ下がった。


 麗華はそれに気づいて、微かに笑みが浮かんだ。


(安心したのかしら。——相変わらず、わかりやすい人ね)


「暁風殿。お疲れでしょう。今夜は——私が料理を作ります」


「いい。あんたこそ疲れている——」


「いいえ。作りたいのです。——帰ってきた人を、食事で迎えたいのよ」


 暁風が黙った。反論の言葉を飲み込んだらしい。


 麗華は厨房に立った。白飯を炊き、鶏と大根の煮物を作り、青菜を胡麻で和えた。外交会議の間は人に任せていた調理を、自分の手で行う。包丁を握り、鍋を揺する。手が覚えている動きだ。


 料理は瞑想に似ている。手を動かしている間、頭が整理される。


 膳を揃えて卓に並べた。暁風と二人きりの食卓。外交の喧騒も、弾劾の緊張も、ここにはない。


 暁風が飯を口に入れた。いつもの反応——箸が止まり、目を閉じ、咀嚼する。


「……旨い」


「ありがとうございます」


「帝都の飯は——味がなかった。粥を食っても、何を食っているのかわからなかった」


「鳳凰領の米は違いますから」


「米だけじゃない」


 暁風が箸を止めた。


「あんたが作るから、旨いんだ」


 麗華の手が、湯呑みの上で止まった。


(……今のは。お世辞を言えない人の、率直な感想ね。だから——困る)


「ありがとう。——お代わりはありますよ」


「もらう」


 二人は黙々と食事を続けた。鶏の煮物が柔らかく、大根が出汁を吸って甘い。青菜の胡麻和えは香ばしく、白飯が進む。


 食卓の上の会話は少なかったが——沈黙が苦にならなかった。


(帰ってきた。暁風殿が帰ってきた。——それだけで、この食卓が完成する)


 食事を終え、食器を片付けながら、麗華は窓の外を見た。


 鳳凰領の夜空に、星が広がっていた。帝都より、ずっと多い星だ。


「暁風殿」


「何だ」


「また——ここで、一緒に食事をしましょうね」


 暁風が麗華を見た。目が合い——暁風が小さく頷いた。


「ああ。——毎日でも」


 その一言が、麗華の胸に温かく落ちた。


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