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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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地養術の限界

 麗華は被害農地の中心に立った。


 冬の風が枯れかけた穂を揺らし、乾いた音が耳に届く。本来なら黄金の穂波が広がっているはずの農区に、灰色の染みが点々と散っていた。空気までも病んでいるかのような、重い金属臭が鼻を刺す。


 膝をつき、両手を地面に当てる。冷たい土の感触が掌に伝わった。目を閉じ、意識を大地の奥へ沈める。


 地養術の基本は「霊脈に触れ、その力を導くこと」だ。鳳家の秘伝として代々受け継がれてきた、霊脈を操る技。祖父の手から麗華の手へ、口伝と実践で伝えられた術式。


 麗華の指先が淡い翡翠色に光った。光は指から地面へ、そして霊脈の流れに沿って大地の奥へと浸透していく。普段なら温かく脈打つ霊気が指先を迎えるはずだった。


 霊脈に触れた瞬間——異質な冷たさが指先を刺した。


(これが……霊毒)


 通常の霊気は温かく、ゆるやかに脈動する。生きている大地の鼓動だ。しかし今、霊脈を流れるものの中に——刃のような冷気が混じっている。霊気を蝕み、汚染し、大地の力を奪っていく異物。まるで血管の中に氷の破片を流し込まれたような、鋭い痛みが腕を伝って肩まで走った。


 麗華は歯を食いしばり、地養術の力を集中させた。霊毒を包み込み、霊脈の外へ押し出す。一カ所ずつ、丁寧に。毒と霊気を選り分ける繊細な作業は、砂の中から米粒を一つずつ拾い上げるようなものだった。


 汗が額を伝った。冬の寒さなど、とうに感じなくなっている。


 一つ目の汚染核を浄化するのに——一刻いっときかかった。


 顔を上げると、周囲の穀物の色がわずかに戻っている。灰色がかった黄色が、薄い黄緑色に。完全には回復していないが、死から遠ざかった。だがその変化はあまりに小さく、あまりに遅い。


「先生、ここの毒は薄くなりました。でも——」


 翠微が三十歩ほど離れた場所から叫んだ。声に切迫した色が滲んでいる。


「向こう側は、もっとひどくなっています!」


 麗華は立ち上がった。膝が一瞬ふらつくのを意志で抑え、翠微が指さす方角を見る。確かに——浄化した場所の向こうでは、穀物がさらに変色している。毒が流れ続けているのだ。一カ所を浄化しても、霊脈を通じて新たな毒が流れ込んでくる。


(川の一箇所だけ水を汲み出しても、上流から水が流れ続けるのと同じだ)


 麗華は駆け足で次の汚染核に向かった。膝をつき、手を当て、地養術を発動する。


 二つ目。霊毒の核は拳ほどの大きさに凝縮されていた。


 三つ目。ここは浅い場所にあり、比較的早く浄化できた。


 四つ目。核が深く、霊脈の分岐点に食い込んでいた。引き剥がすのに倍の力がいる。


 浄化するたびに体力が削られていく。地養術は術者の体力を代価にする。通常の農作業程度なら問題ないが、霊毒の浄化は——桁が違う。毒に抗い、押し返し、霊脈の外へ排出する作業は、全力で重い荷を運び続けるようなものだった。腕が重い。指先の光が弱まりかけるたびに、気力で押し返す。


 五つ目の汚染核を浄化した時、麗華の膝が折れた。


 地面に手をついた。息が荒い。視界が霞む。指先の翡翠色の光が、弱々しく明滅している。


「先生!」


 翠微が駆け寄った。小さな手が麗華の肩を支える。


「一人では——追いつかない」


 麗華は呟いた。唇が乾いている。


 一人で全てを制御してきた。後宮の政治も、食糧戦略も、領地経営も。全て麗華が考え、麗華が動かし、麗華が完結させてきた。


 だが今——一人の力では、大地の毒を追い切れない。浄化した先から新しい毒が流れ込み、追いかけても追いかけても追いつかない。まるで荒野で砂を掴もうとするように、手の中からこぼれ落ちていく。


「先生。あたしにも何かできませんか」


 翠微が麗華の前にしゃがみ込んだ。明るい茶色の瞳が真っ直ぐに麗華を見ている。その瞳の奥に、緑色の光がかすかに揺れていた。大地の声を聞く少女の、素質の証。


 麗華は翠微を見上げた。


(この子の力が——必要だ)


「翠微。あなたの耳が必要です」


「耳?」


「あなたは大地の声を聞ける。私にはできないことです。私が浄化する場所を——あなたが指示してください。どこに毒の核があるか。どちらに流れているか。あなたの耳で追って、私を導いて」


 翠微の目が見開かれた。


「あたしが——先生を導く?」


「ええ。私一人では、闇雲に浄化するしかない。でもあなたがいれば——的確に核を狙える。無駄な消耗を減らせます」


 翠微は一瞬迷い、それから力強く頷いた。小さな拳を握りしめ、声に力を込める。


「やります。あたしの耳で——毒を追います」


 翠微が大地に手を当てた。目を閉じる。瞳の奥の緑色の光が強まった。風が止み、農地が静まり返る。翠微の呼吸が深く整い、指先が土に溶け込むように沈む。


「……こっちです。先生、ここから二十歩南に——大きな核があります。毒がそこから三方向に枝分かれしている」


 麗華は立ち上がった。膝が笑っている。だが翠微が方角を示してくれるなら——闇雲に走り回るよりはるかに効率的だ。


「案内しなさい」


「はい!」


 翠微が走り出した。麗華がその後を追う。


 師弟が並んで走る農地の向こうで、穀物が灰色に枯れていく。時間との戦いだった。


 翠微が指した場所に膝をつき、地養術を発動する。確かに——ここには大きな汚染核があった。翠微の感知は正確だ。核の位置も大きさも、事前に分かっているだけで浄化の手際が全く違う。


 浄化に全力を注ぐ。体力が削られる。視界が狭まる。


 だが——一人で探していた時より、はるかに速い。


「先生、次はあっちです。東に十五歩。前のよりちょっと小さいけど、深いです」


「分かりました」


 翠微の声に導かれ、麗華は次の核に向かった。


 日が傾き始めた頃、麗華は七つの汚染核を浄化した。独力で五つ浄化した午前中より、翠微と組んだ午後の方が遥かに成果が上がっている。


 だが——まだ足りない。翠微は「あと十以上の核がある」と告げた。毒は今も霊脈を流れ続けている。


 麗華が再び膝をつこうとした時、翠微が腕を掴んだ。小さな手だが、握る力は強かった。


「先生、止まってください」


「まだ——」


「先生が倒れたら、誰が浄化するんですか。あたしはまだ浄化はできない。先生しかいないんです。だから——食べてください」


 翠微が懐から布包みを取り出した。中には白湯の入った竹筒と、乾パンが二つ。布に包まれて、まだほのかに温かい。


「春蘭姐さんが持たせてくれました。『先生には無理をさせるなって』」


 麗華は乾パンを見つめた。素朴な焼き色の表面に、小さなひびが入っている。そして——小さく笑った。


「あなたに叱られるとは思いませんでしたね」


「叱ってるんじゃないです。お願いしてるんです。食べてください」


 麗華は乾パンを受け取り、一口齧った。素朴な味だ。小麦と塩と水だけ。だがひどく——温かく感じた。疲弊した体に、小麦の素朴な甘みがじんわりと沁みていく。


 白湯を啜る。乾いた喉を潤す。ただの白湯なのに、こんなに旨いと思ったことはなかった。


「……ありがとう、翠微」


「当たり前です。先生が食べないでどうするんですか。食は命——先生が言ったことでしょう」


 麗華は目を閉じた。


(そうだ。食は命だ。自分が食べなければ、食を守ることもできない)


 弟子に教えられた。一人で抱え込む限界を——翠微が、小さな手で突きつけている。


 乾パンを食べ終え、麗華は立ち上がった。膝の震えが少しだけ収まっている。小麦の力が体に回り始めたのだ。


「続けましょう。翠微、次の核は」


「東に。——でも先生、今度はゆっくりでいいです。あたしが先に走って、位置を正確に出しておきます」


 翠微の声に、もう迷いはなかった。弟子が師のために動く。師弟が互いの力を補い合う。


「頼みます」


「はい!」


 師弟が再び農地を走り始めた。


 一人では追いつかない。だが二人なら——少しずつ、大地を取り戻せる。


 西に傾いた日差しが二人の影を長く引き、灰色の農地にわずかな黄金色を落とした。


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