6. 冤罪が晴れるとき
その日のエトウたちの朝食には、めずらしい人物の姿があった。
「この野菜の汁はうまいな。なに? コハクが作ったのか。入っている肉は、オーク肉か。絶品だ。おお! この魚の煮付けはソラノが作ったものではないか? やはりな。うまい! さすが我が妹だ」
朝から騒がしいのはソラノの兄サニーだった。
昨晩、エルフの里からベールに到着し、エトウたちの拠点で一夜を過ごしたのである。
事前にサニーがやって来ることは分かっていたため、余っていた二階の一室で寝てもらった。
中古のベッドを購入して運び込んだだけだが、身内相手ならば十分だろう。
「サニー、少し落ち着いて食べて」
ソラノが言った。
「落ち着いているとも! だがな、いよいよ今日、妹の冤罪が晴れると思うと、うれしくてな」
サニーは晴れやかな笑顔を向けた。
王都で捕縛された奴隷商人カブスの証言で、誘拐事件の全貌が明らかになった。
そして、前領主代理であったリーゼンボルトや元上級裁判官テレーロの取り調べによって、証言の一つ一つに裏付けが取れたのである。
そこにはソラノが犯罪奴隷に落とされた事件も含まれていた。
今日、ソラノは裁判を受けて無罪を言い渡されることになっている。
数日前に故郷に事情を説明した手紙を送ると、サニーが自分も立ち会うと返信をよこしたのだ。
サニーがやって来ることをエトウたちに告げたソラノは照れているようだったが、同時にうれしそうでもあった。
裁判所はベール大聖堂や冒険者ギルドがある町の中央付近にあった。指定された時間に裁判所に入ると、ソラノだけ別の入口に案内される。
「ソラノをどこに連れていく!」
サニーが声を荒らげたので、エトウは裁判の当事者であるソラノと、それを見学する我々では入口が違うと説明した。
サニーはすぐに納得してくれたが、弓や剣を家に置いてきてよかったとエトウは思った。
今朝、家を出るとき、サニーは当たり前のように完全装備で裁判所に向かおうとしていたのだ。
「サニーさん、裁判官と戦争するつもり?」
コハクに呆れ顔でそう言われて、サニーは渋々武器を部屋に置いてきたのだった。
裁判の見学者は二階に上がるように係の者に言われたので、階段を上がってすぐの扉を押し開いた。
中二階のようなところにイスが並べられており、座ったまま階下の一室が見渡せるような造りになっている。
イスに腰掛けて待っていると、裾の長い黒衣をまとった老年の男性が、それよりも少し若い男女一人ずつを連れて階下の部屋に入ってきた。
男女二人も似たような黒い服を身に着けている。
彼らが裁判官なのだろう。一人が責任者で、あとの二人が補助だろうか。
裁判を見るのが初めてのエトウには分からなかった。
三人が着席すると、まずソラノがあらわれて、本人であることの確認が行われた。
その後、武装した騎士に後ろ手を持たれながら、やせた茶髪の男が連れてこられた。力なくうなだれたその男こそが、元上級裁判官のテレーロだという。
テレーロは裁判官の命令を受けて、ソラノを犯罪奴隷にした経緯を話し始めた。
「リーゼンボルト様のご命令で、百一名の者たちを犯罪奴隷にしました。そのエルフを加えると百二名になります」
高齢の裁判官はうなずき、ソラノを犯罪奴隷にしたときのことを詳しく述べるように命じた。
「奴隷商人のカブスがそのエルフを連れてきたのです。カブスの義理の息子が殺されたというので、殺人犯として犯罪奴隷に落としました」
裁判官は、ソラノが誘拐されそうになったエルフの子供を助けるために、奴隷商人に対して攻撃を加えたことを告げた。
「現場から逃げ帰った奴隷商人もその事実を認めています。テレーロさん、あなたは事実確認を行わずに、彼女を犯罪奴隷にしたのですか?」
「……」
「テレーロさん、お答えください」
「……はい、そのとおりです」
エトウのすぐ隣で空気が張り詰めたことが分かった。
サニーが射殺すような視線でテレーロをにらんでいる。
エトウがなにかを言う前に、後ろからアモーの大きな手がサニーの肩にのせられた。
サニーは不愉快そうにアモーの方を振り向く。
「自分たちも同じ気持ちだ」
アモーはそれだけを言った。
サニーは左手で目を覆うと大きく深呼吸した。
「すまん。取り乱した」
「いや、無理もない」
エトウは階下を見つめながらサニーに声をかけた。
「サニーさん、ソラノを見てください。立派な態度ですよ」
ソラノは指定された席に座って、テレーロの話に耳を傾けていた。
もっと怒ったり、悔しがったりしても当然なのに、ソラノはどこまでも冷静な態度を保っていた。
「今のソラノは、こんなことぐらいで気持ちを乱さないのでしょうね。サニーさん、これでもソラノはまだ子供ですか?」
サニーは「うーむ」とうなっただけでなにも答えなかったが、もはやテレーロのことなど気にしている様子はなくなった。
しっかりと記憶に残そうとするように、ソラノの姿をじっと見つめていた。
午前中に始められた裁判は一旦休憩をはさみ、午後から再開された。
そのときにはテレーロは呼ばれず、裁判官の方からソラノが受けた有罪判決の無効が宣言された。
その瞬間、エトウたちから歓声があがる。
事件の再調査からここまで、期間は数ヶ月間だが紆余曲折があった。それを経て、やっとソラノの無実が認められたのである。
サニーは両手を上に振り上げて叫び声をあげていた。
階下のソラノも安心したように笑っている。
「静粛に!」
裁判官の声が鋭い声が室内に響く。
エトウたちはお互いの顔を見合わせてから、その声に従って席に着いた。
裁判所からはソラノの奴隷契約を無効にする証明書が発行され、閉廷後には別室で奴隷紋の解除も行われた。今回の事件にかぎり特別な措置のようだった。
裁判所が手配した奴隷商人によって、ソラノの奴隷紋はきれいに消えた。
ソラノに対する賠償などは、他の誘拐被害者の審議と合わせてこれから話し合われるそうだ。
「思ったより、あっけなかった」
裁判所からエトウたちと出てきたソラノはそうつぶやいた。
その横ではサニーが声をあげて泣いている。
「そんなもんだよ」
コハクが言った。
「そうか。コハクはウチの先輩になるんだ」
コハクは王都で一足先に奴隷契約の解除を行っていた。そのときの反応はソラノとよく似ていたことをエトウは思い出していた。
「よし、予約までは少し早いけど、店は開いていると思うからすぐに向かうか? 昼ご飯があまり食べられなくて腹が減ってるだろ。サニーさんも一緒に行きましょう。この辺りの名物料理が食べられる店なんですよ」
エトウの言葉にうなずきながらも、サニーの涙はなかなか止まりそうになかった。
ソラノはそんな兄の背中に手を置いて「行こう」と言うと、二人並んで歩き始めた。




