52. エルナトに立つ女王
セフォラは機織りの手を止め、織り上げた布に触れた。糸は太いが、薄く荒く織れた布は通気性が良く、感触は柔らかでさらりとしている。
「上手く織れたね」
モモの声がしたようで、セフォラは振り返った。
機織り小屋の中、他の者たちは作業を終え後片付けをしている。
「いるはずないのにね」と思う。
モモが「セフォラを守る」と言って出て行ってから三年が過ぎた。
セナ夫人がモモを呼び戻した詳しい理由は聞かされていない。モモにとって、エルナトにいるより戻った方が良いはずで、ロボットなのに、元気にしてるだろうかと思ってしまう。
セフォラが外に出ると、夕餉の匂いがした。
「もうすぐ夕食ですよ」とアイメが声をかける。
「ベノワは?」と聞くと、「ガスと一緒に、乾燥小屋を修理してます」と答える。
セフォラは、空を見上げた。
エルナトの空は晴れているが、周りは雲に覆われている。その雲の感じから、乾期が終わろうとしているのだと分かる。雲に包まれた惑星ラーウスでは、エルナトの上空の雲だけが昼間に消える。そして雨季に入ると、晴れの日は減り雨の日が増える。乾燥小屋は、薬草を乾燥させるのにも使うので、雨季になる前に修理しなければならない。
セフォラが岩のテラスに上がると、リルが寄ってきた。初めて会った時は小さな女の子だったのに、今は素敵な娘になろうとしている。
リルはセフォラが来るのを待っていたようで、さっそく麻袋を開いて中を見せた。
「蘇芳を取ってきたのね。今あなたのために織ってる布を染めたいの?」
リルが頷く。
「赤く染めるより、ピンク色にしましょうか」
するとリルは、はにかみながら笑顔で答える。
リルは無口な子だ。植物採取が得意で、取れた物をこうしてセフォラに見せにやって来る。
「ピンクなんか、リルに似合うもんか」とティボが後ろで言った。
リルはムッとする。そこにはキアラもいて、
「そんなこと言わないの。体を洗ってきなさい。泥だらけじゃないの」と叱る。
リルは麻袋を掴み、つんと顎を上げてティボの横を通り、温泉場へ向かった。
「お前は俺のお下がりを着てればいいんだ!」とティボが怒鳴る。
「あんたのお下がりはツギハギだらけでしょ。リルは女の子なのに」
「ふーんだ」ジョセはキアラを無視し、リルの後を追いかける。
「おい、風呂で潜りっこしようぜ」
「男湯なんかに入らないわよ!」とリルは言い返し足を速めた。
キアラはやれやれという顔をする。
「男の子って、どうして、こうくだらないことしか考えないのかしら」
セフォラがくすっと笑う。
「ティボは、ずっとリルを守ってきたんですもの。リルが娘らしくなって離れていきそうなのが腑に落ちないんでしょう」
すると、キアラと手を繋いでいた息子のケレブが口を開く。
「ボクは、ちゃんと、お母ちゃんとセフォラを守る」
ケレブは話せるようになっていた。
キアラは微笑み、セフォラはしゃがんでケレブに優しく話しかける。
「頼りにしてるわよ」
ケレブは嬉しそうにうなずいた。
始めは困難だったエルナトの暮らしも落ち着いてきた。バルナとの戦争を心配する者もいたが、アルバからの知らせはなく、ここでの生活に馴染んでいく内に関心は薄れていき、そのことを口にする者もいなくなった。
入植する時に持ってきた物資は少なくなっていたが、必要な物はここで賄えられている。特に布の需要は高く、セフォラが早めに織物小屋を建てたので、様々な生地を織れるようになっていた。
セフォラの豊富な植物の知識は、食料や薬草そして居住に至るまで、人々の暮らしを支えている。
エルナトに夕闇が迫るころ、湖の周りの家々にともり始めた黄色い灯りは、青く染まった湖と森に良く映えて美しい。セフォラは、一日の終わりに岩の突き出た所から見下ろし、人々がともす灯りを眺め、空を仰ぐのが好きだった。
「セフォラ、みんな、あなたがこうしているのを見て『今日もエルナトの女王が立ってる』って言うのよ」
そう言ったキアラにセフォラは驚く。
「私は女王様なんかじゃないわ。王族でも貴族でもないし、孤児として育てられたのよ」
「そうだけど、皆はあなたを頼りにしている。そしてあなたがここに立つと、自分たちは見守られているようで、安心するのよ」
セフォラは修道院を出て、世間を知るようになり、人々を恐れていた頃のことを思い出す。
恐れないように教えてくれたのはセナ夫人だった。また女王デルフィーヌからも多くのことを学んだ。そして何より、院長のレディ・エレイーズが、長い時間をかけて教えてくれたことに感謝している。知識だけでなく、院長の威厳と優しさが自分の中にあり、人々は自分を通してそれを感じているのかもしれない。
「あなたは、アルスランを待ってるのでしょう」とキアラが言った。
セフォラはキアラを見る。少し恥ずかしく思ったが、彼女には隠せない。
「ええ、戻って来るのに三年かかるって言ってたわ。とっくの昔に三年は過ぎてしまったし、もう無事かどうかも分からないけど」
「それでもあなたは、ここで待ち続けるのね」
そう言われ、セフォラは寂しそうに笑った。
ここにはアルバと通信できる機器は無い。球体から何かが分かるかもしれないと湖へ漕ぎ出し、湖底を覗いてみたが、以前にアルスランと見た球体を見つけることはできなかった。湖底に球体があるのは分かっている。エルナトの上空で、ぽっかりと穴が開いたように雲が消え、夜半に雲が戻ってくると雨を降らし、また次の日に雲は消えるからだ。
「キアラも以前はここで空を眺めていたわね。ロランのことを思ってたんでしょ?」とセフォラが言うと、キアラの口は、キュッと一文字になり、そして開いた。
「ええ、でも、彼はもう生きてないと思ってる」
「まだ分からないわ」
「そうだけど、三年経って誰もここへ来ないってことは、アルバが無くなってしまったってことよね。それでアルスランは、普通の航路を使って三年もかけてここへ戻ってくるんでしょう」
それはセフォラにも分かっていた。球体間の航路を使えば、数時間で来れるはずだった。
「それにロランはここに来ないって分かってる。彼は軍人だから。農民の出だけど、土と共に生きる人じゃない。私とケレブに会おうとしなかったのも、会えば後悔するからよ」
「後悔?」
「ええ、気持ちが乱れるから、会うんじゃなかったって思う。でもアルスランは違ってた」
「違ってた?」
キアラはフフッと笑った。
「ヒューゴが言ってたけど、アルスランは、初めからあなたのことが気になっていたらしいわよ」
それはセナ夫人からも言われたが、アルスランの態度からすると信じられなかった。
「素直になれなかったんじゃないかしら。あ、ティボと似てるかも」
「ディボと?」
二人は顔を見合わせてクスッと笑う。
「何も考えてないティボじゃないわよ。ジョセと比べて違うってとこ。ジョセは父親と同じ軍人になりたかったけど、ティボは違う。始めから妹を守ろうとしてた。ティボは家族の方が大事なのよ」
「家族ねぇ。私はロランもそうだと思ってたわ」
「そうね、ファシエの家を再興しようとしてたけど、それは軍人の家系を作るためよ。だからアルスランがミリタリーアカデミーを辞めた時に理解できなくて怒ったんだわ」
「あの時、ヒューゴは二人の間で困ってたわね」
「ヒューゴはどうしてるかしら」
「彼はロセウスに残ったはずだから。あそこから私たちを見守ってくれているんじゃないかしら」
その時、何かがキラリと光り、雲で閉じようとしているエルナトの空から、スーッと白い光の線が降りてきた。同時に湖の中央が青白く光る。
セフォラは震える手でキアラの腕を掴んだ。アルスランが戻ってきたのかもしれない。
降りてきた光は火の玉になり、湖に落ちて白い水しぶきを上げた。波が収まり、湖面にプカリと浮かんだのは壊れかけた宇宙船だった。湖畔から小舟が蟻塚を目指す蟻のように集まっていく。しばらくして小舟の集団が離れると、宇宙船は沈んでしまい、湖面の青白い光も消えていった。
「アルスラン!」セフォラが叫ぶ。
セフォラは腰まで水に浸かり、アルスランが横たわっている小舟の脇へ行くと、彼の胸に耳を当てた。
「生きている」
アルスランの心臓の音を聞いて、涙が溢れそうになった。少し痩せているようだが、鼓動はしっかりしている。
セフォラが頭を上げようとすると、アルスランの大きな手がセフォラの頭を掴んだ。セフォラはそのまま彼の鼓動を聞き続ける。鼓動は早くなっていく。
「生きていた」とアルスランは思った。
この三年間、エルナトへ戻るまで、彼らの生死を知る術はなかった。
兄のセイリオスは、アルバをバルナに渡すくらいなら敵を巻き込んで自爆し、エルナトへの攻撃を阻止するはずだと思っていたが、確証はなかった。あのケイザーが相手だからだ。
アルスランは、ここへ戻ろうと、一人でワープを繰り返し、調整し、休める時間はわずかしかなかった。それでもエルナトに戻る気持ちは衰えなかった。
幼い時に孤児になり、幼なじみを失い、故郷を失い、戦うことに嫌気がさしていた。そして諸国を巡り、エルナト以外に自分の生きる道はないと確信していた。
戦争の勝敗は知らない。バルナがどうなったのかも分からない。エルナトも攻め滅ぼされているかもしれない。それでもエルナトが持ち堪えるのであれば、そこで生きようと思っていた。
最後の球体はエルナトに残っている。千年かけて自分たちは再生していき、球体が望む民へと成長できるかもしれない。
「俺たちはここで生きていく」
アルスランが言った。その顔にポツリポツリと小雨が降ってきた。まだ暗くないが、雨季が近づいているので、夜の雨は早く降り始める。
「ええ、そうね」
セフォラは頭を持ち上げ、にっこりした。
そして言う。
「ここで、エルナトで、一緒に生きていきましょう」
「さあ、どこへ送ってもらいたい?」
何か聞こえたような気がした。
目を開けるとゴトンと音がして、ひっくり返る。真っ暗で、上と下がどっちなのか分からない。
そして女の人の声がした。
「セフォラ、何です、それは」
すると、小さな女の子の声。
「院長様にもらったの」
「それじゃあ壊れちゃいますよ。どれ」
「だめー!触らないで!院長様は、一人で開けなさいって」
今度は男性の声だ。
「それは、今日、セフォラに送られてきた箱だ」
「重そうですよ」
「いいじゃないか、好きにさせたら」
「ベノワは、いつもセフォラに甘いんだから」
「セフォラ、それを何処へ持って行くんだ?」
「薬草小屋、あそこだったら誰もいないから」
「分かりました。じゃあ鍵を開けてあげます」
「ありがとう、アイメ」
箱はズルズルと引きずられ、ドアがバタンと閉まる音がして、蓋がパカッと開いた。
「わぁっ!」という声と共に、女の子の笑顔が飛び込んでくる。
「あなた誰?子犬?」
何と答えたら良いのか分からない。
「名前は?」
「・・・」
「じゃあ」と女の子は箱に書かれている文字を読む。「モ、モ・・・」
どうやらこの女の子は、文字を良く知らないらしい。並べられた文字の「モ」しか読めないのだ。
女の子は、キャッキャッと笑った。
「モモ、名前はモモがいいわ」
「え・・・オイラ、男の子だと思うけど」
「お話できるの?」
「うん。君の名はセフォラ?」
「そう。あなたは私の弟ね」
「弟?オイラは人間じゃないよ」
「どこから来たの?」
「知らない。会ったのは君が始めてだ」
「ほんと⁉︎」
そしてセフォラはモモを抱き上げるが、箱が大きすぎて出せない。
「自分で出れる?お花を見せてあげるわ」
セフォラはそう言って、ドアの方へ走っていく。
「待ってー!」とモモは、慌てて箱から飛び出した。
開かれた薬草小屋のドア、その向こうに鮮やかな若葉色の庭がある。
そこへ女の子が駆けていく。
その子を追って、モモも駆けていった。
END




