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教員に見つからないかという懸念を抱えながら廊下を駆けていき、校舎の正面玄関までたどり着く。ここを通って校庭を突っ切るのが、壁に備えつけられた扉までの最短ルートだ。
室内訓練場で卒業試験の準備が行われているので、警備が手薄な今が好機。とはいえ、いつまでも俺たちが訓練場に現れなければ怪しまれる。あまり悠長にはしていられない。
校舎の外に出たら、壁まで一気に走り抜ける。
そうすれば、夢にまで見た外の世界だ。
あともうちょっとで、自由が手に入る。
胸が高ぶる。興奮しているのがわかる。
床を踏みしめて駆け出す。
立ち止まることなく、校舎の扉まで走っていく。
だというのに、疾走していた足が止まった。ルリアとダインとヘーレスも立ち止まる。
正面を見据える。
ありえない。どうして?
全身から嫌な汗が噴き出す。
「――おまえたちがいるべきなのは、ここじゃないはずだぞ」
外に出ることを妨げるように、最大の障害であるその人は立ちふさがってきた。
「アシェル姉さん。……なんでここに?」
俺たちの卒業試験を監視するために、訓練場にいるはずだ。
そう思っていたのに……最悪の相手が行く手に立ちはだかる。
「学院長からの指示でな。万一のために、正面玄関を見張るように言いつけられていた。校舎内から壁の外に行くのなら、ここを通るのが最短だからな。もっとも、あのオバさんに命じられなくても、わたしはそうするつもりだったがな」
光のない暗い瞳で、姉さんは淡々と語りかけてくる。
その姿を目の当たりにして、ルリアとダインは痛ましげに顔をしかめていた。アシェル姉さんが変わってしまったことを、改めて実感している。
「ここまで警戒するってことは、結界が破壊されたっていうのは本当みたいだな」
「あぁ、学院に張り巡らされていた結界は既にない。どこぞの誰かさんが宝玉を破壊したからな」
姉さんは誤魔化すことなく事実を認めると、ヘーレスを横目で見やる。
「ひどいな、リオンくん。もしかして、まだ僕のことを信用してくれてなかったのかい? ちゃんと結界は壊れているよ」
ヘーレスはいやらしい笑みを浮かべながら不満を口にしてくる。信用しろというのが無理な話だ。
そして姉さんは、冷たい眼差しをヘーレスに向けてきた。
「アンタも反抗勢力の間者だな。他にも教員として潜り込んでいるヤツがいたが、先日の騒動の間に始末させてもらった」
「参ったね」
ヘーレスは同志たちの死を聞かされて、大仰に肩を竦める。
システィナに命じられて、姉さんもネズミ狩りに手を貸していたようだ。
「アシェルくん。キミは学生の頃から卓出していて、学院の歴史を振り返ってみても例を見ないほどの逸材だ。どうにか仲間に引き込めないかと模索していたんだけどね。学院長が目を光らせていたから、なかなか手を出すことができなかったよ」
どうやらこの男は、姉さんのことも勧誘しようと企んでいたらしい。
「どうだろう? 今からでも遅くない。僕らに協力してくれないかな? キミのかわいい後輩たちのためにもさ」
へーレスの図太さには、呆れるのを通りこして感心する。こんな状況にも関わらず、姉さんを仲間に引き込もうだなんてまともじゃない。しかも俺たちを交渉材料に利用してきた。
「…………」
姉さんは何も答えない。ヘーレスの言葉が聞こえていないかのように無表情のままだ。
「そうかい。残念だよ」
姉さんにその気がないことを知ると、ヘーレスは両手をあげて後ろに引き下がる。
「すまないね。説得は失敗みたいだ」
「あれで説得していたのかよ?」
悪びれることなく笑いかけてくるヘーレスを、ダインは怒気のこもった視線で睨む。
「アシェルお姉ちゃん、そこを通してはくれないの? わたし、お姉ちゃんとは戦いたくないよ」
「勇者候補として、おまえたちを見逃すわけにはいかない」
ルリアが必死に訴えかけても、姉さんの心が揺らぐことはない。勇者候補という在り方を貫いてくる。
目を伏せると、ルリアは拳を握って顔をあげる。強い意思を宿した眼差しで姉さんを見つめ返す。
「……引き下がらないよ。わたしはリオンと一緒に戦うって決めたから」
慕っていた姉さんと対峙するのは不本意なはずだ。それでもルリアは引き下がることなく、戦うことを選ぶ。
「俺にとって優先すべきは、ルリアと仲間の幸せだ。姉さんが相手でも手加減できないからな」
ダインも腹をくくっている。気圧されることなく、立ちはだかってくる姉さんを見据えていた。
二人の鋭い視線を浴びても、姉さんは泰然としている。俺たちでは相手にならないと、わかっているんだ。
「先日と違い、今は鎧の携帯を認められている。頼むから、わたしにクロノハオウを使わせるんじゃないぞ」
姉さんは腰を沈めて構えを取った。
必要でないかぎり、クロノハオウを使うつもりはないらしい。俺たちの相手は生身で十分というわけだ。
ヘーレスから二つのアオハガネを渡されているが、こっちが鎧を使えば姉さんも即座に鎧を装着してくる。不用意に鎧は使えない。
侮ってくれるぶんにはいい。鎧を使わずに生身でやりあえるほうが、いくらか勝算はある。
それでも、今回ばかりは勝てるイメージがまるで湧かない。姉さんがどれほど凄い人なのかを知っているから。三人で挑んだところで、まともに渡り合うことすら厳しい。そして学生時代よりも姉さんは遙かに成長しているはずだ。
だとしても、ここで引くことはできない。
全身から戦意をみなぎらせる。憧れていたあの人を、倒すべき敵として認識する。




