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閑話:激烈な記憶

 南原 汐里はアイドルである。


 それも、今日本で一番熱いと言われている、最高峰のアイドルだ。


 清楚な見た目に愛嬌のある性格、適切なファンサービスに可愛らしい仕草と、アイドルとして必要なものは十二分に備えていた。


 だが、彼女の本髄はそこではない。


 彼女の神髄は、その歌唱力にある。


 それは、可愛らしく歌えるとか、綺麗な歌声とか、そういうものではない。


 彼女の歌声は、感動を人々に伝えるのだ。


 そのおとなしそうな、お淑やかな見た目とは裏腹に、何処までも情熱的で、熱狂的で、激烈な感動が、音を通して人々の網膜に強烈で感動的な情景を焼き付ける。


 そのギャップが、人々を彼女の虜にさせる。


「今日もお疲れ様、最高のライブだったわ!」


「ありがとうマネージャー、ちょっと喉渇いちゃったから水飲んでもいい?」


「もちろんよ、はいどうぞ」


「ありがとう!」


 汐里はマネージャーから飲み物を受け取り、喉を鳴らして飲み干す。


 その際に額から流れる汗すら、彼女を飾り立てるアクセサリーにしかならない。


「相変わらずすごい歌声ね、颯爽と駆けつけたあなたの背中が目に浮かぶようだわ……」


「……だから、あれは私じゃなくて」


「わかってるって、愛しの王子様なんでしょう?」


「ち、違うって!? あの人は……」


 あの人は、少なくとも王子様って、ガラじゃない。ただの薄汚れた中年のおじさんだと、少なくとも外見だけ見たらそう思うだろうと、そう考える。


 彼の本当の凄さを知っているのは、私だけ。そんな優越感が、汐里の胸に広がる。






 汐里は、昔から人には見えないものが見えていた。


 その知られざる隣人は、常に陰から彼女を見守っていた。


 ……いや、付け狙っていたのかもしれない。


 はじめはその隣人に名を付け可愛がっていた彼女だが、ある日その隣人は暴れまわるようになり彼女は遠ざかることとなった。


 誰に言っても信じてもらえぬ隣人は、陰から彼女を脅かし、時折命をも脅かした。


 ある日彼女は隣人の相手をやめ、いないものとして扱うことにした。


 暫くの間は構ってもらおうと必死だった彼らも、やがて興味を失ったかのように彼女の目の前から消え失せた。


 そう、思っていた……


 やがて彼女は大きくなり、アイドルに夢中になりその追っかけ、いわゆる推し活を楽しむようになっていった。


 夢中になれるものを見つけて、かつての恐怖なんて忘れてしまっていた。


 いや、忘れられるほどのものを見つけることができたのだ。


 それはとても幸せな時間、大好きなものを追いかけ続ける、夢のような時間。




 だが、ある日かつての隣人に招かれてしまったのだ。


 恐怖の世界に、悍ましき『異界』に。




 『■■■■■』


 危険度 ★★★★☆




 それは狂気の空間。誰にも邪魔されない悍ましき夢の国。


 かつて彼女の近くにいた隣人が支配する、それのための世界。


 それは待っていたのだ、再び彼女と遊べる時を。


 ……いや、彼女で遊べる時を。


「ひっ、いやぁ!! いやぁ!?」


 彼女は必死に抵抗した、しかしおもちゃが持ち主から逃げられるわけもない。


 このまま彼女は、加減のわからぬ幼子に使われるおもちゃのようにボロボロになる運命にある。


 彼女は呪った、自分の運命を。そして嘆いた、己の運命を。


 かつての隣人は、彼女を遊び壊さんとする。


 その、直前に……






「……大丈夫か?」






 汐里は、彼に出会った。






 見た目は冴えない、いやお世辞にも清潔とも言えない見た目の中年男性だった。


 だが、彼女の目の前に颯爽と現れた彼の背中は、その勇ましさは、彼女の激烈な記憶として残っていた。


 手に持つ消火斧を振るい、彼女を背に守りながら一歩も引かずに、隣人と戦い、切り裂いた。


 訳が分からなかった。でも、その光景は彼女の心を揺さぶった。


 その圧倒的な強さに、頼もしさに、そして優しさに。


「何も聞くな、知るな、関わるな」


「お前は元の場所に戻れ。大丈夫だ、さすがにこんなところで一人にするほど人の心は捨ててない」


「じゃあな、もう二度と会わないことを祈っている」


 結局汐里は、一度も声を発することができなかった。


 その場所で起こったすべての経験は、彼女にとって劇薬だった。


 元の場所に戻れた彼女は、その感動を歌にして、人々と共有したくて唄った。あの人への応援歌を、あの人への恋文を。


 その歌声が、数多くの人々の心を揺さぶり、芸能の道へと招かれ、今に至る。


 絶望に締めくくられるはずだった物語は、たった一人の力で変わり、切り拓かれた。






「おーい、聞いてる汐里?」


「あっ、すいません!」


 かつて出会った彼のことを思い出してぼーっとしていた汐里は、マネージャーの声でハッとする。


「大丈夫なんだったらいいけどさ。それよりも、今一番大切な時期なんだから、スキャンダルとかやめてよ?」


「だ、大丈夫ですよ! あの人とはもう会えないし、それに……」


 真剣な表情で聞いてくるマネージャーに対して、顔を真っ赤にしながら否定する汐里。


 マネージャーはその様子を、胡乱気な表情で眺めていた。


「あっても伝えたいのはこの気持ちじゃなくて、あの時言えなかった感謝の言葉だけだから」


 南原 汐里、17歳。


 人気絶頂のアイドル、人々の心を揺さぶる天性の歌唱力を持つもの。


 彼女の存在は、彼らの物語には直接の関係はないだろう。


「おじさま……」


 ……だが、彼女の起こした行動は、決して無駄ではなかった。










「……ちっ、思った以上に相性が悪い。特にこの雨が厄介だな」


「それにしても、随分と付け狙ってくるな。何か嫌われるようなことをしただろうか?」


「……まぁ、十中八九あの坊主を逃がしたせいだろうな」


「大丈夫だ、少なくとも死ぬつもりはない。どっかのバカが、俺なんかのことを応援している限りはな」






『名称不明(仮称:おじさん)』


 HP■■■/■■■ MP■■■/■■■


 状態『歌姫の応援歌』 etc...


「ありがとうございます! 私は……」


「いったいどこだよここは?」


「ちょっと! 私が女だからって舐めないでよね!?」


「なんていうか、ゲームみたいな世界だね?」


「やった、出口だ……!!」


「まずは女子どもからだ」


「私、もうちょっとここにいたいです」


「どうやって彼を出し抜こうかな」


「大丈夫、俺がみんなを元の世界に返すから」


「やっと二人きりになれたね」




次回『赤い瞳に魅入られて/現代地下迷宮』


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