旅立ち
薄暗い、四畳ほどの小さな部屋。
私物はほとんどなし、あるのはカチカチのせんべい布団に無いよりマシ程度の薄い掛布団。
そしてハンガーにかかっているスーツ一式。
しっかりと乾かしておいたスーツをハンガーから外し、身に纏う。
「……よし」
最後に黄色いレインコートを羽織って、腕に『蝸牛の盾』を装着し、ビジネスバッグを背中のリュックの中にいれ、『雨宿り』を持って部屋を出る。
「今までお世話になりました」
「……行ってきます」
もうここに来るのも最後だろう。
今までずっとこの場所と使わせてくれた見えないコンビニ店員にお礼を言って、この場所を後にする。
短い間ではあったが、いろんな思い出が詰まった場所だった。
アタルはルルとの楽しかった思い出を振り返ろうとして、泣きそうになったからやめた。
少なくともこの場所で泣くのはもうやめたのだ。
きっとこの町ではルルが見てくれている。
だから、泣かずに最後は笑顔でサヨナラしようと、決めていた。
「この町も、最後まで変わらなかったなぁ」
「……いや、ちょっと賑やかになったかな?」
相変わらずの小雨の降る、少し古めの建物が並び立つ不思議な町。
人通りはなく、所々に車が放置されているものの車が走っているところはついぞ見ることはなかった。
そこら辺を歩道も道路も関係なく我が物顔で跳びはねる『人面瘡蛙』たち。
横断歩道を楽し気にわたりながら音楽を奏でる『雨唄音楽隊』たち。
呪いを祓ったからか、或いはアタルを認めたからか、見かけても襲ってこずにむしろ親し気に近づいてくる『濡れ羽鴉』たち。
相変わらず『ヤマイマイ』を捕食する『ヤマイマイカブリ』に、アタルが出した半透明の傘の下で雨宿りをする『失せ物たち』や『濡れ犬』たち。
アタルがこの町に来た時からは想像もつかないほど、賑やかな風景だ。
不思議な存在、『怪異』たちのいる光景を目に焼き付けながら、ゆっくりと歩いていく。
この光景を流し見するのはもったいないと思い、水の上を滑るのはやめておいた。
いろんなことがあったが、こうして町中にあふれる彼らにも、愛着を持ってしまったのだ。
「まっ、焦らずに、ゆっくりのんびり行きますか」
目的地までは遠い。
だが焦らずに歩いていく。
油断してはならない場所ではあるが、せっかくの最後なのだ。のんびりと見納めをしておきたい。
大きな交差点に出た。
ここでは『雨切大鴉』と死闘を行ったし、初めてあの人たちと出会い、巨大なワニに襲われ、おじさんと出会った場所でもある。
あの時の傘もいまだに残っている。
その下では『ヤマイマイ』が雨宿りをしており、周囲で悔し気にしている『ヤマイマイカブリ』に向かってあっかんべーをしている。
その光景に苦笑しながらもアタルは、『ヤマイマイカブリ』の手助けをしてやろうかと考え、思いとどまる。
そもそもこの『ヤマイマイ』たちが人間に危害を与えるかはわからないし、周囲に『ヤマイマイカブリ』がいる状態ではそれも難しいだろう。
「さて、次に進もう」
もう少し歩くと、今度はあの商店街が見えてきた。
初めて『ヤマイマイカブリ』と『ヤマイマイ』に出会い、恐ろしい目に合った場所。
自分の身体が徐々に変化していく恐怖は筆舌に尽くしがたいものであった。
もしあの時違和感に気が付かず、最後まで『ヤマイマイ』を守ろうとしていたら……
そこまで考えて、これ以上は止めようと頭を振る。
そして、さすがにあの時のようにはなっていないだろうと思い、商店街に足を向けるアタル。
「……おぉ」
商店街の中は、活気にあふれていた。
『雨唄音楽隊』や『人面瘡蛙』が元気よく跳ね回り、あの臆病な『失せ物たち』が楽しそうに走り回っている。
シャッターの締まっていたお店はすべて開いており、薄暗かったアーケードは電気がついてキラキラと輝いている。
「ふふっ、良かったな」
なんだか温かい気持ちになりながら、アタルは商店街を立ち去る。
目的地まではもうすぐだ。
はやる気持ちを抑えながら、道を行く。
「……っ」
やがて見えてきたのは、道中に置かれている半透明の傘だ。
「……ルル」
ここはあの3人組と再会し、集落の人々を見つけ、糾弾され、ルルが暴走した……
ルルの、最後の場所だ。
ルルがいなくなったあの場所に、アタルは半透明の傘を置いて墓石代わりにして、哀悼した。
アタルは傘の目の前まで行くと、リュックの中からお菓子の箱を取り出す。
ルルが初めてねだってきた、チョコのお菓子だ。
「……俺、頑張るからな」
お菓子の箱を傘の下において、手を合わせる。
そして立ち上がると、傘に背を向けた。
「ルル、行ってきます」
アタルはもう振り返らない。
前を向いて進みだす。
「……さて、もうひと踏ん張りしますか」
目指すはかつて集落があった場所の、その奥。
バリケードを乗り越えて、その先へ進んでいくと、目的の場所が見えてくる。
そう、元の世界へとつながっているという、地下鉄の入口だ。
「坊主、もう行くのか?」
「……おじさん」
入口の前では、中年の男性が待っていた。
彼は相変わらず雨に打たれているというのに、タバコを吸っている。
「はい、もう行くつもりです」
「そうか、忘れ物はないか?」
「はい」
「やり残したことはないか?」
「もちろんです」
「そうか、良かった」
そういって微笑む男性を見て、涙が溢れ出しそうになるアタル。
しかし最後まで泣かないようにと、必死に涙をこらえる。
「……名前は、ちゃんと懐に入れてるか?」
「もちろんです! ……念のために、遺書も」
「……そうか、じゃあそれは絶対に無くすなよ。 ……名前を無くすのは、とてもつらいことだからな」
「おじさん……」
そう語る男性の表情は、哀愁が漂っていた。
もしかしたら何かあったのかもしれないと思い話を聞こうと口を開きかけて、閉じる。
『情報は武器であり、敵でもある』
その教えは、痛いほどに理解している。
「地下鉄に行ったら、守護者を倒せ。くれぐれも電車に乗るなよ?」
「わかりました、頑張ります」
「そうか、じゃあまたな」
「あっ……」
最後までアタルのことを心配していた男性が去ろうとしているのを見て、アタルが呼び止める。
どうしても、聞いておきたいことがあったのだ。
「おじさんは、一緒に行かないんですか? 元の世界に、帰ったりとか……」
「……」
その質問に、男性は暫く沈黙した。
そして深く煙草を吸って、煙を上空に吐き出す。
懐から吸い殻ケースを取り出して残りを放り込むと、真剣な表情でアタルの顔を見る。
「……俺にはやるべきことが残ってるし、探し物も探さなきゃならねぇ」
「あぁ、別に手伝うとかはいいぞ。俺自身が見つけねぇと意味がねぇし、雲行きも怪しいしな」
「……わかりました」
「あっ、そういえば、あの二人はどうしたんですか? それに、集落の人々も……」
「あの二人にも地下鉄のことは伝えておいた。あの時は俺も見つけてなかったから場所までは伝えてないが、運が良ければ見つけられてるだろう」
「集落の奴らは…… まぁ、知らないほうがいいこともある。忘れろ」
「は、はい……」
それ以上は怖くなり、聞くのをやめるアタル。
もちろんそれは、賢明な判断だった。
「……それじゃあ、行ってきます」
「……あぁ、行ってこい」
その言葉を合図に、男性の横をすり抜けていくアタル。
もう地下鉄は目の前だ。この先にあるという出口を目指して、階段を下る。
「……おい、坊主!」
「えっ……」
中年男性の声を聴いて、階段の途中で振り返るアタル。
そして、その目に飛び込んできた光景を見て息をのむ。
「……頑張れよ」
そこでは、彼が手を振っていた。
『雨唄音楽隊』のみんなが手を振っていた。
『人面瘡蛙』が鳴き声を上げていた。
『失せ物たち』が飛び跳ねていた。
『濡れ羽鴉』たちが合唱していた。
『濡れ犬』が尻尾を振って吠えていた。
『ヤマイマイ』が首を振っていた。
『ヤマイマイカブリ』が顎を鳴らしていた。
そして、最後までアタルの元に残ってくれていた、手袋と、イヤホンと、幼児用靴の『失せ物たち』が入口の手前で跳びはねていた。
「……みんな、ありがとう!」
この町のみんなによるお見送り。
その心温まる贈り物のお礼に、アタルは『霊術:雨上がり』を発動して天に向かって解き放つ。
あまり大きくはない、小さな穴が天を覆う雲に開く。
しかしそこから覗く光景は、この町に生きる彼らにとって初めて見る光景だった。
「さようなら」
彼らに背を向け、アタルはもう振り返らない。
元の世界に帰るため、階段を下る。
最後に一筋の雨が降ったが、きっと気のせいだろう……
『失せ物漂着場』
危険度 ★☆☆☆☆ 踏破
Next 『現代地下迷宮』
危険度 ★・・・・
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ポチャン
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ボチャッ
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『失せ物漂着場』 l
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危険度 ★☆☆☆☆ l
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『失■物漂着■』
危険度 ★☆☆☆☆
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『失い■漂■ 』l
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危険度 ★☆■☆☆
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『■い雨■日』 l
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『赤い雨の日』
危険度 ★★★★★
『危険度』
基本的に星の数が多いほど、生存が困難になる。




