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幻想異聞録ムーンデーヴァ  作者: 天槻悠奈
三章 幻想流転のフェスティバル
40/71

35話 滲んだ憧憬、過去の亡霊

 少年達は、流星に願いを懸けた。

 馬鹿みたいに都合が良く、それでいて雲を掴むような夢を。

 子供の絵空事と大人は笑うだろう。

 だが夢に向かってひたむきに走る子供の強さを、想いの力を、僕は知っている。

 だからどうか、忘れていて欲しい。

 星の降る丘で、愚鈍な老竜を友と呼んでくれた、はじまりの夜を。

 過去に縋ることしかできない亡霊なんて、今を生きる君達の物語には必要ないのだから。


 僕は死に損ないの亡霊。

 宝物が掌からこぼれ落ちた瞬間になって、ようやくそれが大事なモノだったと気が付いた愚か者。

 僕は君達をずっと見ていた。

 眺めることしかできなかった。

 僕が生み出した結末の、その先を紡ぐ君達を。


 罪の鎖は満遍なく。

 ツノの先端から尻尾の端まで、雁字搦めに絡め取り、棘が皮膚を裂いて赤い血が溢れ出す。

 人でなしの僕でも、流れる血の色は赤いのだと知った。

 そして人は傷つけば痛みを感じるのだと、そんな当たり前の事実に、今更気が付いた。

 僕は英雄にはなれない。

 少しの痛みで挫け、傷つくことを恐れて殻に篭る卑怯者は、主人公に相応しくないだろう。


 僕は死に損ないの亡霊。

 夜空の星のようにゆっくりと、気が遠くなるような時をかけて、地球にいる君達の元へようやく辿り着く存在。

 すでに過去の残像でしかない僕は、君達に何を残せるのだろうか。

 未だに答えは出ないけれど、もし奇跡とやらが実在するのなら、永い旅路が少しでも善いものになるように祈り続けよう。


 ――この旅の終着点が、君達にとって実りのあるものでありますように。


 ……前置きはこのくらいにして、始めよう。

 これから僕が語り聞かせるのは、或る運命の双子星の噺。

 金と銀の輪舞曲(ロンド)を。

 何処か欠けた少年達が、たったひとつの結末(こたえ)を求めて旅をする、長い長い冒険のお噺を、語ろう。

 金の秤が勝つのか、はたまた銀の剣が勝つのか、楽しみだ。


 ――GM.Cより、愛を込めて。


     *   *   *


 ――龍神市某所。

 地下深くに築かれた建造物の一室。

 出席率が芳しくないと情報本部長が愚痴をこぼす定例会議だが、その日は珍しく全員が揃っていた。

 各部門の代表者がずらりと円卓を囲む様は圧巻ではあるものの、彼らの表情は険しい。

 無理もないだろうな、と情報本部長こと葉月零音(はづきれおん)は口の中だけで呟く。

 先日の収容違反に続き、龍神市第八商業地区強襲作戦の失敗。

 この二つに直接関わった作戦本部、実行本部、魔導医学本部の関係者は、気が気でないだろう。

 会議室の空気は、破裂寸前まで膨らませた風船の如く張り詰めていた。


「これはあなたの失態ではないのかしら、映見一(えみはじめ)作戦本部長殿?」


 ぴしゃり、と羽扇で机を叩いた音が静寂を破る。

 真っ先に動いたのは、魔導医学本部長・天咲翠(あまさきみどり)だった。

 目に痛いショッキングピンクのレディーススーツを纏い、濃い化粧を施しているせいで年齢が判別しにくい彼女は、扇の下で下品なほど真っ赤な口紅を引いた唇を嘲笑の形に歪めている。

 翠の視線の先、集団の中でも一際目を惹く、恐ろしく整った美貌を持つ男は不快そうに鼻を鳴らす。

 百八十を超える長身に、高級そうな黒いスーツを纏う姿はエリート官僚か、大手企業の敏腕社長の風格を醸し出しているが、喪服の上から羽織ったローブが、彼が魔術師であることを雄弁に語っている。

 腰まで伸びた黒髪は女性でも嫉妬するほど艶やかで、切れ長の瞳は血のように赤黒い。

 人形のように整った顔立ちと、黒ずくめの衣装も相まって、まるで魔王か死神のよう。

 この人物こそがノワール曲馬団作戦本部長の映見一、その人である。

 一は不愉快そうな表情を取り繕うことすらせず、脂粉を撒き散らす中年女に侮蔑の目を向ける。


「……それはどういう意味かね、天咲女史」

「今回の作戦を立案したのは貴方。なら当然、貴方が責任を取るのが道理ではなくて?」

「ふん、くだらんな。此度の失態は、命じられた仕事も真っ当に遂行できない実行本部の責であろう」

「んぇ?」


 一が腹の底に響くような低い声で吐き捨てると、彼の横でガツガツとクッキーを貪っていた少女が瞳を瞬かせる。

 頭の高い位置で結い上げたふわふわの黒髪に、くっきりとした二重瞼と長いまつ毛に縁取られたアーモンド型の瞳は一のそれよりも鮮やかな紅だ。

 そして瞳と同じ真っ赤な色に染められたドレスを纏った、生きる西洋人形のような美少女。

 殺伐とした会議室の空気など気にも留めず、床に届かないほど短い足を上機嫌にぱたぱたと動かす様も、クッキーを詰め込みすぎてはち切れんばかりに膨らんだ薔薇色の頬も、幼い子供そのもの。

 何も知らずに今この瞬間の風景だけを切り取って見せたとして、このいたいけな少女がノワール曲馬団実行本部長のアラクネ・マーヴェリック――通称【千夜の吸血姫】であると、誰が信じるだろうか。

 隣に座っている一と髪や瞳の色が同じなこともあって、父親の仕事場にくっついてきた娘と勘違いされてもおかしくないが、彼らに一切の血縁関係はない。

 ……いや、厳密に言えば多少は関係があるのだが、彼ら自身は殆ど他人と言って差し支えないだろう。

 少女はルビーのような双眸に一を映すと、可愛らしく小首を傾げる。


「もが? もがもがが?」

「飲み込んでから話せ」

「んぐっ……なぁにぃ? なんでハジメちゃんこっち見てるの〜?」


 言われるがまま口の中の物を飲み込むと、アラクネは砂糖を煮詰めたような甘ったるい声で話し始める。

 どうやら、クッキーに夢中になりすぎて話を聞いていなかったようだ。


「たかだかスーパーにて数百円で販売している安物の菓子に、ここまで瞳を輝かせられるのも考え物だな」

「マーヴェリック様は日本の文化に馴染みがないでしょうから、仕方がありませんわね。次は駄菓子でも手土産に持ってこようかしら?」

「ほんとぉ!? んとね、あらまぁはカン●リーマ●ムが好き〜!」


 ちなみにアラクネが来日して十年以上経つことは、誰もが知る事実である。

 つまり『日本の文化に馴染みがない』というのは完全に皮肉なのだが、アラクネは気付いていないのか、無邪気に菓子を強請る始末。

 皮肉を口にした張本人である翠も流石にこの反応は予想していなかったのか、顔を引きつらせている。


「え……ええ、ではそれを用意させましょうか」

「やったぁ! ありがと、ミドリちゃん!」

「……やれやれ」


 いくらか毒気の抜けた空気に、零音は肩を落とした。

 形式的な意味合いが大きい定例会議とはいえ、出席率が低いのが悩みの種だったが、全員揃った所でこの有様だ。

 今回は実行本部長(アラクネ)のお陰で大規模な口論まで発展はしなかったものの、魔導医学本部と作戦本部は険悪、日和見主義の技術本部長に至っては発言さえしていない。

 他の役員達も狼狽えるばかりで、役には立たなさそうだ。

 ……せめて前副団長が残っていれば、と思わなくもないが、無いものねだりばかりしていても生産性がない。


「――静粛に」


 零音が軽く咳払いをしながら立ち上がると、会議室中の視線が集まる。

 昔から衆目に晒されるのは苦手な零音は少し怯んだが、決して表情や声色には出さないよう努める。

 ただでさえ若さを理由に侮られているのだ、弱味など見せてしまえば、余計に攻撃材料を与えてしまうだけだ。


「本日は団長も直接参加されるとの伝言を賜りました。皆様、団長の不興を買うような行動はくれぐれもお控えください」


 団長というワードが零音の口から出た瞬間、会議室にどよめきが伝播してゆく。


「団長が直接参加されるだと……? いつもは参加するにしても画面越しなのに?」

「やはり作戦失敗にお怒りなのでは」

「一体団長にどう説明すればいいのだ!?」

「どうにもならん。すでに話は伝わっているのだ。ありのまま話すしかないだろう」

「間違いなく我々の中の誰かの首が飛びますぞ!? それとも貴殿が責任を取ってくれるとでも言うのかね!」

「何故我々が! ここは実行本部が責任を取るべきだろう!」

「作戦本部の失策を棚に上げて何を言うか!」

「魔導医学本部こそ収容違反を犯しているではないか!」

「……僕は静かにしろと言ったつもりなのですが」


 ますますヒートアップする騒ぎを前に、どう収拾をつけたものかと零音が悩んでいると、氷のような冷気が肌を撫ぜる感覚を覚え、自然と背筋が伸びる。

 同じく気配に気付いたらしい役員達の顔色が、一斉に青ざめてゆく。


「――まったく、嘆かわしいことだ」


 冷気の正体――……薄手のヴェールに閉ざされた玉座には、いつの間にか人が座っていた。

 黒いローブを纏った男という情報以外何も分からないが、ただ存在するだけで全ての人間を服従させる圧倒的なカリスマを前に、口さがない翠も、暢気なアラクネも、蛇に睨まれたカエルのように息を潜めて男の言葉を待っている。


「対策を考えるでもなく、保身に夢中とは。我が団も質が落ちたものだな」


 一切の温もりが感じられない機械的な声色で嗜められ、騒いでいた役員達の表情から色が抜け落ちる。

 団長は騒がしい場所が苦手だということをようやく思い出したらしい。

 だから言ったのに、と冷めた視線を送っていると、いち早く硬直状態から再起動した一が恭しく頭を垂れる。


「お騒がせして申し訳ございません、我が王よ」

「良い。それよりも、例の件は調べたのか?」

「はい」


 団長は興味なさそうに受け流すと、零音に報告しろと目配せで命じる。

 隣から射殺さんばかりに睨みつけられているのを感じるが、零音は素知らぬ顔で手元の書類を読み上げる。


「まず玖蘭鬼灯が弟子を取ったという話ですが、事実のようです。十日前、龍神市役所に件の少年を連れて入ったとの確認が取れました。翌日には、少年が鬱金香ノ塔を攻略したとも」

「新たな創造主ロードだと?」

「その可能性が高いかと。それと、【双剣】と【森の悪魔】も戻ってきているとの情報が先程入ってきました」


 報告が進むごとに再びどよめきが広がるが、一のひと睨みで容易く口をつぐんだ。

 一は室内に視線を巡らせ、最後に零音を睨みつける。


「未確認の創造主ロードに加え、当代最強の二人まで呼び戻したか。まさか気付かれたわけではあるまいな? 情報本部長(・・・・・)殿よ」


 わざわざ情報本部長、と強調してくるあたり、この男も大概執念深いと内心で毒づきつつも、貼り付けた鉄面皮が崩れることはなかった。


「ご安心を。【双剣】と【森の悪魔】に関しましては玖蘭鬼灯が呼んだわけではなく、龍神祭の為に戻ってきただけのようです。接触したという情報もありません」

「……ふん」


 表情ひとつ変えない零音に、興が削がれたとばかりに一は顔を逸らした。

 最年少で幹部に抜擢された零音が気に食わない人間は一定数いる。

 映見一、天咲翠はその筆頭とも呼べる存在。

 翠は言わずもがな、一も意外と気性が荒いから、挑発には乗らないのが正解だ。

 そこまで考えてふと、いつから此処はこんなにも居心地が悪い場所に変わり果ててしまったのだろうという考えが過ぎる。

 結成したばかりの頃は、今よりももっとめちゃくちゃだったが、暖かくて笑顔に溢れていたのに。

 ……いや、本当は理解している。

 結成当初のメンバー達が今のノワール曲馬団に見切りをつけ、次々と去っていくよりも遥かに昔から、気が付いていた。

 不器用だが誰よりも優しい心の持ち主であった少年は、もう何処にも居ないのだと。

 団長が変わってしまった事実から目を背け、輝かしい過去の幻影に縋る己が一番愚かなのだと、理解していた。

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