閑話 くるみクラッシュ・後編
「……あー、嫌われた原因はアレか。思い出した……」
過去に想いを馳せながら、鬼灯はこめかみを押さえる。
厳密にはもっと昔から嫌われてはいたのだろうが、決定的に対立してしまったのはあの瞬間だ。
あれからというもの、仕事で龍神市に行く度に弓弦はあの手この手で嫌がらせをしてくる。
ある時は何も説明されずイベント会場に連れてこられた挙句、即興でスピーチをさせられたり、ある時はパーティーで婿探し中の女性達の群れに放り込まれたりと、地味に精神を疲弊させる嫌がらせばかりを集中的に。
胡桃とは男女の関係ではないと説明しても一切聞く耳を持たれなかった。
そもそも、人の言い分も聞かずに胸ぐらを掴んで怒鳴ってくるような相手に論理や常識を求めるだけ無駄なのかもしれない。
近い内に月成を弟子にする為の手続きで再び龍神市に向かわねばならないことを思い出し、胃がキリキリと痛み出す。
「仔猫ちゃん、みんなに迷惑かけちゃダメでしょ」
『…………にゃう』
『大将〜、メシ食おうぜメシ。腹減った』
「精霊なのにご飯食べるんだ……」
『あ? 悪いかよ』
子供達の喋り声が聞こえて、我に返ると、いつの間にか月成とバーンが白猫を迎えに来ていたようで、白猫は不服そうな表情のまま引きずられるように去って行った。
「……賑やかな子達だね」
「うん。実家にいた頃を思い出すなぁ」
皮肉のつもりが、額面通りに受け取ったらしく、にこにこと邪気のない笑顔で少年少女の背中を眺める藍に、鬼灯も毒気を抜かれてしまう。
そして神山家と言えば、鬼灯も藍に誘われて何度か泊まりに行った記憶がある。
根っからのお坊っちゃまである鬼灯にとって、狭い家に大家族がすし詰めに暮らしているだけでも衝撃的な光景だったが、何よりも恐ろしかったのは四六時中子供達の奇声や奇行に振り回され、休む暇もなかったことだ。
家族の団欒を知らない鬼灯にとっては新鮮な体験だったが、毎日経験したいかと言われれば断る。
玖蘭鬼灯は一人の時間がなければ死ぬタイプの人間だからである。
「……アレは賑やかというか、喧しいの間違いじゃないのかい」
「え? なにか言った?」
「いや、なんでもないよ。それより藍君、下の妹さんは元気? 今はもう高校生だっけ」
「ううん、大学生だよ」
「え? もうそんなに大きくなったのかい?」
「大きくもなるでしょ。零音君ですら今年で二十歳なんだから」
「…………え?」
手から滑り落ちた書類の束が、ばさばさと音を立てて床に落ちる。
「ぼ、ぼぼ僕の可愛い零音君が……もう二十代……?」
「そんなこの世の終わりみたいな顔しなくても……生きてれば成長くらいするでしょ?」
「それはそうだけれど……」
慣れた様子で書類を拾い集める藍を呆然と見下ろしながら、そういえば彼もここ数年で少し老けたな、と場違いな感想が込み上げる。
時間が経てば人も、世界も変わる。
そんな当たり前の事実を忘れていた。
鬼灯は人間の精霊のハーフだが、生態は精霊に近い。
恐らく寿命や老化速度も、普通の人間とは異なるだろう。
子供だと思っていた相手があっという間に成長し、自分より先に老けてゆくのは、奇妙な感覚だった。
胡桃に関しても同じで、彼女と初めて出会ったのが十六年前。
いつまでも少女のようだった彼女が子供を産み、あまつさえその子供が自分の弟子になるだなんて、十六年前の鬼灯は想像すらしていなかった。
……そうそう、月成と言えば。
彼に弟子入りを申し込まれた時、勿論鬼灯は断るつもりなどなかったが、ほんのわずかに魔が差したのを憶えている。
――雅楽海家が主催する龍神祭にて、自分が胡桃に瓜二つな子供を伴って現れれば、彼はどんな顔をするだろうか、と。
悪魔の囁きはするりと耳に入り込んで、離れてくれなかった。
弟子入りの条件に『鬼灯のパートナーとして共に龍神祭に出席すること』と含めたのは、そういう意図だ。
性格が悪い自覚はあるが、別に直そうとも思っていないし、赤の他人に嫌われようがどうでもいい。
ただ、やられっ放しは性に合わないだけだ。
「――もしもーし、鬼灯さーん? おーい、聞こえますかー?」
「ん……なんだい?」
目の前でひらひらと揺れる手に、鬼灯は我に返る。
どうやら長く考え込みすぎていたようで、藍が眉を下げて心配そうに顔を覗き込んでくる。
「鬼灯さん、さっきからぼーっとしすぎじゃない? 大丈夫?」
「……別に。人間の時間は星の瞬きより短いということを改めて実感していただけだよ」
「急に人外発言? というか、鬼灯さんも半分は人間でしょ」
「僕は精霊の血の方が濃いからね」
「そういうの屁理屈って言うんだよ。変に対抗意識出さなくていいから」
「うぐ……」
「……ふふっ」
鬼灯が言葉に詰まると、藍は堪え切れないといった風に噴き出した。
「いくつになっても、天邪鬼と負けず嫌いが治らないね」
「なっ……」
突然笑い始めた藍に、鬼灯はきょとんした表情を浮かべていたが、からかわれていたと察すると、火照った顔を隠すようにそっぽを向く。
「そっちこそ、すぐお節介焼く癖治した方がいいんじゃないのかい?」
「うーん、それは無理かな」
「なら僕も無理!」
「また屁理屈……」
藍と他愛もないやり取りを交わしながら、自室への帰路を辿る。
時間は全てを変えてゆく。
人間関係も、街並みも、人そのものも。
自分を知る人が皆眠りについた後、永い時間を孤独に彷徨うだろう未来を思うと不安になったりもするけれど、変わらないものも確かに存在する。
今はただ、平穏な日常に感謝していたかった。
くるみクラッシュ篇はこれで終わりです。
3章開始は4月以降になる予定なので、その間にまた別の短編を挟むかも……?




