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終章  少年王と英雄 (2)

(2)


 「さて」

 ベノルの執務室にてデスクチェアを乗っ取ったまま、ジャスティスは不機嫌な顔を作ってみせた。

 「裏で何をこそこそやっていたのか、聞かせろ」

 拘束者多数のクーデター未遂から、二日が経過していた。

 少年王は言葉通りに全ての者と面会し、情状酌量を与えたり、者によっては厳しく罰を与えたりした。また、宰相が機能しなくなった分の職務が、当然ながら臨時で彼の元へ舞い込んできた。つまりジャスティスは忙殺されており、ようやくこの日の夕方、ベノルの部屋を訪れることができたのであった。

 「こそこそとは、心外です」

 すっかり元の体を取り戻したハンサムな英雄は、仕方なく応接ソファの背もたれに軽く腰を置き、肩をすくめた。ジャスティスは一層不機嫌そうに、目蓋を落として言い募った。

 「昔からこそこそしていたと、あの者も言っていたではないか」

 「オーウェンは、とにかく我侭で自信家でした。少しでも自分の思惑通りにならぬと、それを追及せずにはいられぬ男なのです。単純に、ひがみからそのように表現したのでしょう」

 しれっと話すこの男こそ、恐るべき自信家ではないか。ジャスティスは苦笑したくなったが、堪えて不機嫌を装い続けた。

 「とにかく、どういう裏があったか聞かせろ。それからでなければ、話が進まぬ」

 しかし、ベノルは穏やかに微笑むばかりであった。ジャスティスは本気で苛立ちを覚え始め、尖った声で問うた。

 「なぜ、グリンベルの圧力に屈したように見せたのだ」

 「私が牢から出たときには、すでにオーウェンによって不穏な動きが広がっており、個々に取り締まるのは難しい状態でした。ならば、しばらく彼らを泳がせ、全てを一網打尽にする方が、今後もスリノアは平和となりましょう。屈辱ではありましたが、こうして成功したあとでは、不愉快さも消し飛び、爽快です」

 「そうして彼らを泳がせる間に、私が命の危機を体験したことを知っているのか!」

 「オーウェンが手配した、暗殺者の件ですね。私は彼が王妃から情報を得ていると踏み、事前に手を打っておいたのですよ」

 ジャスティスの脳裏に、カノンが長い時間をかけて読んでいた異国の本が浮かんだ。

 「あの本に、何か細工をしたというのか」

 「ご名答にございます、陛下」

 ベノルは心底嬉しそうに、目を細めて話した。

 「細工というほどのものではなく、単に王妃宛ての手紙を挟んでおいただけですが。今すぐにその行為をやめるか、それができぬのであれば、オーウェンに渡す情報を私にも流すよう、警告したのです。その結果、陛下の遠出のことを知り、事前にケビンとサラへ文を遣ることができました」

 ジャスティスは驚きに打たれた後、呆れたように苦々しく笑むことしかできなかった。それを見て、ベノルもまた苦笑した。

 「事の次第を報告する手紙の中には、サラの怒りがこれでもかとばかりに連なっておりました。陛下が御可哀想でならないと」

 「……」

 あの元盗賊女が「御可哀想」などと書くものか、とジャスティスは笑い出したくなる。どのような罵詈雑言で英雄を閉口させたのかと想像すると、愉快でならなかった。

 「二人がよく動き、陛下へ事を打ち明けずに耐えてくれたおかげで、計画は頓挫せずに済みました。元奪還軍のメンバーは優秀で、よく私の意図汲んでくれます」

 「私にそこまで秘密にせねばならない理由があったのか」

 「敵を欺くにはまず味方から。陛下のお好きな言葉ではありませんか」

 幼い頃に気に入って意味もなく使っていた言葉を持ち出され、ジャスティスは憮然とした。

 「それで、カノンを危険に晒したことについては、どう言い繕うつもりだ」

 復讐のため、意地悪く問うてみる。すると、英雄は眉を寄せ、渋い表情を見せた。

 「それについては、言葉もございませぬ。あの窓への射程範囲内を見張るように言いつけてあった近衛騎士が、任務を放って自室で眠りこけていたのです。ああ、忘れるところでした。その者を免職にしなければ」

 一体誰であろうかと、ジャスティスは近衛騎士たちを思い浮かべた。サラの村で懸命に走り回り、彼を探してくれていた、一番若い騎士かもしれない。そう目星をつけると、ジャスティスは騎士団長へ情状酌量を求めたくなった。

 「待て。一度や二度の失敗は、誰にでもあるものだ。今回はそれがたまたま大事につながる要因となっただけであろう。このまま様子を見て、また眠りこけるようなことがあれば、そのときに処罰すればよい」

 ベノルは王の言葉を聞き、慈しむように微笑した。

 「陛下は、本当にお優しい方ですね。宰相殿の処分も、息子をかばっていただけと、罪をかなり軽くして差し上げたと聞きました。陛下の慈悲深さは、スリノアの宝です」

 「それは」

 ジャスティスは否定しかけて、思い留まった。彼は少しの間、腕組をして考え、こう言った。

 「少年王が甘くいられるのは、英雄が率先して手を汚し、厳しい現実から守ってくれているからだ。違うか」

 ベノルは目をみはった。

 ジャスティスが不満げな顔を崩さずに見つめ返すと、彼は珍しく、照れたように破顔一笑した。そして、ずっと大切にしまっておいた言葉を、心の奥からさっと取り出したかのように、淀みなく告白した。

 「私が現実と向き合えるのは、陛下の慈悲深さに触れることで、己の立ち位置を確かめられるが故でございます。私の君主は、陛下、貴方でなければならないのです」

 その言葉が真に意味するところは、ジャスティスには理解できなかった。少年は素直に、自身がベノル=ライトにとって小さな道標のようなものと例えられたことについて、安堵と満足を覚えた。彼は英雄にとって、なくてはならない存在でありたかった。友人としても、少年王としても。

 そこには、ある程度の打算も含まれていた。ジャスティスがそれを訴えるべくニヤリとして見せると、ベノルはきちんと、穏やかな苦笑を見せてくれた。自分を理解してくれる人間が傍にあることは、こんなにも幸福をもたらすものかと、少年は全ての事象に感謝した。彼が少年王を演じねばならぬ苦しみも、ベノルが英雄として振舞わねばならぬ運命も、この絆を作り上げた一端であると思えば、暖かく迎え入れることができる。

 少年はそうして満たされた直後、ごく自然な流れで、この友人を疑ったことへの罪悪感を意識するに至った。それはまさに、彼の心に潜んでいた弱さが、今回のことを契機として表面化しただけのものであった。

 「他に、ご質問はございませんか?」

 彼はベノルに先を促され、いよいよそれと向き合うのだと心に鞭を入れた。穏やかに微笑むベノルを真っ直ぐに見据え、ジャスティスはは問い返した。

 「おまえこそ、私に言いたいことはないのか」

 少年の、わずかに恐れを含んだ真剣な面持ち。それを前にして、ベノルはふと、悲しげに目を伏せた。

 ベノルのあまりに直接的な、飾らぬその表情は、ジャスティスに強い衝撃をもたらした。これまで常に守られてきた少年にとって、このときベノルが垣間見せた率直さは、無残に朽ちかけた何かの死骸を目撃してしまったときの衝撃に近い、言うなればトラウマのようなものとして胸へ残ったのだった。英雄は意図せず、深く痛々しい生傷のような悲しみを、露骨に少年の目前へと晒したのである。

 あとになって、ジャスティスは、そのときの苦しさを振り返ったことがあった。あれは初めて見るベノルの表情にというよりも、それを今まで少年に見せまいとしてきたベノルの決意に対してのものだったのだろうと、と、彼は答えを出すこととなる。少年王を演じている間のジャスティスを誰も救うことができぬのと同じで、ベノル=ライトにもまた、彼の孤独な領域があり、それをどうにかすることなど、誰にもできぬのである。それは納得せざるをえない、現実のひとつであった。どんなに絆が強くとも、全てを重ね合い、委ね合い、埋め合うことはできぬのだという、受け入れがたい現実。

 ベノルはジャスティスの心を知ってか知らずか、すぐに取り繕うように口元に微笑を乗せ、少年を安堵させるため穏やかに言った。

 「そうですね。何か言うことがあるとすれば、陛下、あなたは何も悪くない、ということくらいです」

 緑の瞳は、ジャスティスが幼子であった頃と同じように、限りない優しさを湛えていた。それに甘えて、飽きもせず泣いた幼少の頃は過ぎ去ったのだと、ジャスティスは腹に落とし込むように確信した。なぜなら、彼はすがりついて泣き出したい気持ちよりも、比較にならぬほど強大な遣る瀬無さを抱いたからであった。彼はとにかく、とにかくたまらなくなり、わめくように気持ちをぶつけた。

 「私は自分が何をしたか、今となっては承知しているつもりだ。この後悔を、行き所なく抱えておけと言うのか!」

 ベノルの身に、緊張が走った。慈しむような微笑が、消え失せた。

 驚愕のままに、英雄は少年を見つめた。

 ジャスティスは、表情を固めたままだ。口の中で奥歯を噛み締めたまま、見つめ返す。

 すると、やがてベノルは何か観念したかのように、一旦歪んだ目元をうつむかせた。そして次には、悲しみに暮れる微笑をジャスティスへ向けた。

 「陛下」

 静かな呼びかけに続くであろう言葉を、ジャスティスは身を固くして待った。彼の内には、責め立てられる覚悟と恐怖が同時に存在した。それでも、報いを受けるべきであるという罪悪感が先立ったからこそ、ベノルにそれを言うように仕向けたのである。友人を名乗りたいのであれば当然のことであると、少年は辛抱強く、ベノルのためらうような沈黙を受け入れた。

 ところが、しばらくして英雄の口から出た事柄は、少年が最も恐れたものではなかった。

 「陛下。私が貴方を『陛下』と呼ぶことが、なぜお気に召さないのですか?」

 あまりに意外な問いかけに狼狽し、ジャスティスは問い返した。

 「おまえこそ、なぜ私が望まぬのに、頑なにそう呼び続けるのだ」

 「嬉しいからですよ」

 ベノルは至極穏やかに、想いを告げた。

 「貴方を陛下と呼ぶ日を、どれほど心待ちにしてきたことか。私にとって、その言葉はどのようなものにも代えがたい、誇りなのです。それなのに、そう呼ぶなと言われてしまうと、その気持ちを否定されるようで、やりきれなくなります。決して、貴方を役職にはめようとしているわけは、ないのですよ」

 返す言葉など、全く浮かばなかった。

 ジャスティスは己を恥じるあまり、身を投げるように椅子の背に深くもたれ、うつむいた。ベノルはその様子を見て、軽口を添えた。

 「ですが、『ヘイカと呼ぶな』は、もう陛下の決まり文句のようになってしまいました。言われなければそれはそれで、落ち着かなくなってしまいますね」

 ジャスティス大きく息をついた。彼はベノルの優しさで胸が窮屈になり、それを空気として吐き出してみたのだった。少しだけ胸に余裕ができたので、彼はニヤリとして、おどけたように告げた。

 「残念だが、もう『ヘイカと呼ぶな』は封印だ」

 続きを促すように微笑んだままの英雄へ、彼は打ち明けた。

 「思い返せば、なんとも惨めであったな。もう私をファーストネームで呼ぶ者がおらず、少し寂しく思っていただけのことだ」

 顔を歪めずに、いつものニヤリで言えた自信があった。少年は己に安堵しながら、更に言い募った。

 「しかし、もう私には家族がおり、すでに私を名前で呼んでくれる者がいる。もう、満たされている」

 ベノルを安心させたくて言った言葉であった。しかし、口にしてしまった直後、ジャスティスはハッとした。彼は、離縁したばかりのベノルへ気遣いが足りなかったことを、深く悔いた。己の幼さを呪う表情で、少年はベノルを見据えた。

 しかし、ベノルはただ微笑み、少年の幸せを祝福していた。そして、明るい声で、意外なことを言った。

 「私も、早く新たな妻を娶り、身を落ち着けねばなりませんね」

 ジャスティスは、もしこの男が新たに恋に落ちることがあれば、そのときは手放しに喜び、祝福し、それが成就するように働きかけようと誓った。そのときにこそ、彼の中に根付く懺悔の念も、余すところなく綺麗に昇華されるのであろうという、確信めいた予感があった。


 彼の待ち望むそのときが来るには、約二年の月日を要した。

 その頃には少年王は青年となり、この英雄を呪いのように捕らえて離さぬ何かの正体を、おぼろげながら目に映せるまでに成長していた。

 ジャスティス=グラム=スリノアは、生涯、自身を「名君」などとは思わなかったが、ベノルを完全無欠の「英雄」などとも、その頃には思わなくなっていた。ベノル=ライトは、もしかすると、あの復讐に駆られて己を失ったワオフの青年と同じであるのかもしれぬ。そんなことさえ、彼は考えた。深い喪失を埋めるための何かをいつまでも探し続けている、哀れな男。あんなにも一途に故郷の奪還を目指し、それを叶えた英雄のはずの彼が、スリノアを取り戻してなお、なぜ喪失に囚われ続けるのか。

 それを想うとき、ジャスティスは愛する妻と夜風で涼みながら、考える。

 「故郷」とは、一体何なのであろうか、と。

 幼き記憶にある場所。知った花が咲く場所。親しんだ建物の並ぶ場所。

 果たして、そうなのだろうか。

 血族の集う場所。信頼足る人々の居る場所。揺るぎない絆を感じる場所。愛する者のいる場所。

 本当に、そうなのだろうか。

 いつでも暖かな光が降り注ぐ場所。静謐に輝く湖のある場所。爽やかな風が吹き抜ける緑の丘のような場所。

 そうまで完璧でなければ、故郷と呼べぬのであろうか。

 ジャスティスは長い時間を要したものの、そうした問いに対し、あるひとつの答えにたどり着くことができたのだった。

 故郷とは、決まった型があるわけではない。形を変え、作り上げられていくもの。己の心に依るもの。人も、景色も、年月の経過も、受け止める自分次第で、色を変える。故郷が色づくか、セピアに染まるか、白黒に沈黙するか。全ては心ひとつ次第であり、つまるところ、故郷とは己の心そのものなのだ。

 それは彼だけの答えであり、他の誰にも当てはまるものではない。ジャスティスは早くにそう悟っていた。

 だからこそ、なのだ。

 スリノアの英雄、ベノル=ライト。彼がジャスティスと同じように、己の心に巣食う恐るべき闇に打ち勝ち、この祖国を心から愛せるようになるまで、スリノアを護っていかねばならない。この美しい祖国へ、英雄の心が真に還るまで。

 そのくらいは、そ知らぬ顔でやってのけてみせよう。英雄がすらりと愛用の剣を抜くかのような、スマートさで。

 その決意を反芻するたび、ジャスティス=グラム=スリノアは、ニヤリと不敵に笑みを刻むのであった。彼の治世へ臨む態度が一向にぶれることを知らなかったのは、彼のもつ様々な答えと、絆深き友人への想いに裏打ちされていたが故なのである。


スリノアの名君編・終

こんばんは。12月の風です。


ストーリーとしては王道であったため、がっかりした方がいらっしゃったら、ごめんなさい。文章もなかなか思うように書けず、もどかしい限りです。

めげずに第三部「ワオフの王女編」もUPしようと思いますので、どうかお付き合いください。叱咤激励等、お待ちしております。


お読みいただき、本当にありがとうございます。

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