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河童  作者: 子父澤 緊
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仙台

木々の葉が色づき始めている。

季節は秋に変わっていた。


八月廿一日。

母成峠ぼなりとうげ

新政府軍がついに会津領内へ侵攻しんこうした。

会津盆地の東の門にあたる重要な防衛ライン・母成峠で、会津は必死に抗戦こうせんこころみみるも、雪崩なだれを打つ新政府軍の攻勢こうせいを押しとどめることはできなかった。


二日後の未明、土方歳三は滝沢に本陣ほんじんを敷いた藩主はんしゅ松平容保まつだいらかたもりのもとに馬を飛ばした。

「庄内に行って援軍を求めてまいれ」

いくさの指示をあおぐ土方に、容保かたもりは重い声で厳命げんめいした。


「今度は、私に逃げろと?近藤の墓を建ててくれたことには感謝していますが、その命令には従えませんな」

それでは己の「武士」としての矜持きょうじに反する。

城下にはすでに敵が殺到さっとうし、籠城戦ろうじょうせんや市街地での戦闘が始まっているのだ。

「逃げるのではない。活路かつろを見出すのだ」

「ふん。『あの時』の罪滅つみほろぼしのつもりなら、そんなものは不要だ。どうしてもと言うなら、誰か他の者に…」

淀千両松よどせんりょうまつで戦っていた自分たちを置き去りにして江戸に帰った容保に対して、土方はまだわだかまりを捨てきれずにいた。


「徳川は、まだ戦える!お前以外、だれがそんなことを出来る?」

容保かたもりの声にはくやしさがにじんでいた。

それはまさに、武士としての矜持プライドが言わせた言葉だった。


「…しかし」

「これは君命くんめいであるぞ」

その眼は、暗に「生きて、闘い続けよ」と告げていた。

土方はようやくさとった。

鳥羽伏見とばふしみでの敵前逃亡てきぜんとうぼうが、この藩主おとこ本意ほんいであったはずがない。

彼もまた、将軍しょうぐん慶喜よしのぶに対する忠義ちゅうぎと、武士の意地の間で、引き裂かれるような思いを味わっていたのだ。


夜明け前、土方は数騎すうきひきいて庄内へ向かった。

馬をりながら、土方はくちびるみ、おのれを恥じた。

かつて中野竹子のまえで、容保かたもりしざまにののしった過去を。



八月廿五(にじゅうご)日、

米沢に至った土方は、軍医総長・松本良順まつもとりょうじゅんらと再会を果たした。


「先生、よくぞ御無事ごぶじで」

脚の怪我けがを治療して、湯治とうじすすめてくれたのもこの松本だった。

「残念だが土方君、米沢藩もすでに新政府軍しんせいふぐんに対する恭順きょうじゅん意向いこうかたむいている。奥羽越列藩同盟おおうえつれっぱんどうめい瓦解がかいは、もはや時間の問題だ」

その眼には容保かたもりと同じ闘争心とうそうしんの残り火があった。

「先生のせいじゃない。庄内しょうない入りはあきらめざるを得んでしょう」


援軍はもう望めない。

しかし、容保かたもりはそれをも見越みこしていたのかもしれなかった。


そして、奥州街道おうしゅうかいどうをさらに北へ。

九月三日ごろ、土方たちはようやく仙台に辿たどり着いた。

東名浜とうなはまには海軍副総裁かいぐんふくそうさい榎本武揚えのもとたけあきひきいる旧幕府艦隊がいかりを降ろしており、

各地を転戦してきた旧幕府軍の諸隊・敗残兵はいざんへいが集まっていた。


秋晴れのんだ空気の中、波の穏やかな松島湾に浮かぶ桂島かつらじま宮戸島みやとじま、そして点在する小さな島々がはっきりと見える。

しおの香り。

いだ海には、江戸へ向けて米の輸送を行う弁才船べんざいせんをたなびかせていた。

それはまるで、今が戦時せんじだということを忘れさせるような景色だった。


しかし、もはや一刻の猶予ゆうよもない。

土方らが仙台の城下から東名浜とうなはまへ移動した時点で、仙台藩はすでに新政府軍しんせいふぐんへの降伏こうふくを決めており、

東北での抗戦こうせんに見切りをつけた榎本武揚えのもとたけあきは、自らひきいる旧幕府軍きゅうばくふぐん再起さいきはかるべく、新天地しんてんち蝦夷えぞへ渡り、自立する道を模索もさくすることになる。


これで、会津を救う道は断たれた。

松平容保まつだいらかたもりも、斎藤一さいとうはじめも、そしてあの、中野竹子も。

「…置いていくのだ。俺は」

此処ここで立ち止まれば、いを残す。



埠頭ふとうに立ち、物思いにふける土方に、田村銀之助、市村鉄之助、玉置良蔵ら新選組の小姓こしょうたちがけ寄ってきた。

土方の表情が、パッと晴れた。

「よお、お前たち。無事だったか」

「土方さん!」

中軍山ちゅうぐんざんの戦闘で母成峠ぼなりとうげの勝敗が決した後、城の西方にある寺院に避難していた年少者ねんしょうしゃたちには「すぐに仙台へ向かえ」という指示が下されたのだという。


挿絵(By みてみん)


そして土方は、せずして彼らから中野竹子の消息しょうそくを聞くことになった。




新政府軍しんせいふぐんが城下に迫る中、中野竹子ら婦女子ふじょしによる非正規部隊ひせいきぶたいは、容保かたもり義姉あね照姫てるひめ坂下ばんげ退いたといううわさを聴きつけ、ねてから示し合わせていた通り集結した。

しかし、急ぎ坂下ばんげへと駆けつけてみると、照姫てるひめの姿はない。

混乱した城下じょうか錯綜さくそうする、誤報ごほうのひとつだったのだ。

しかし竹子は、消沈しょうちんする間もなく、坂下ばんげ屯集とんしゅうしていた部隊の軍事方ぐんじかたに願い出た。

「お願いです。私たちにも、戦わせてください」

「竹子殿、分かってくれ。これは軍律ぐんりつなのだ」

足手あしでまといになるという懸念けねんからていよく拒絶されるも、竹子はなお喰らいついた。

「お役に立てないのであれば、今この場で全員自刃(じじん)致します」

閉ざされた城に戻ることももはやかなわず、ここで引けば必ず悔いを残すだろう。

そのすさまじい覚悟かくごに打たれた隊士たちの取りなしもあり、ついに坂下ばんげ駐屯ちゅうとんしていた古屋佐久左衛門ふるやさくざえもん率いる衝鋒隊しょうほうたいの一員として、従軍じゅうぐんが許された。


八月廿五(にじゅうご)日、城下の涙橋なみだばし付近で、竹子たちは新政府軍しんせいふぐん銃撃隊じゅうげきたいとの交戦に入った。

竹子は果敢かかんに突撃し、敵兵てきへい数人を斬り伏せる活躍を見せるも、

最後はひたいに銃弾を受けてたおれたという。


瀕死ひんしの竹子は、敵に自分の首を取られて見せしめにされることを恐れ、ともに戦っていた妹の中野優子なかのまさこに命じた。

「分かってるわね?以前、言ったとおりになさい」

「…そんな」

「聞き分けて。泣き言を言ってるひまなどないでしょう?」


妹の優子まさこは泣きながら姉の首をね、衣服に包んで抱きかかえると、戦火の中をけた。




鉄之助は、もちろん戦場で実際にあったことを見たわけではない。

しかし、沈痛ちんつう面持おももちで引揚者ひきあげしゃからの伝聞でんぶんを告げた。

涙橋なみだばしでは娘子隊じょうしたいが戦い、中にはにした者もいたそうです」

その女性の薙刀なぎなたつかには、辞世じせいの句を書いた短冊たんざくが結びつけられていたという。


武士もののふたけき心に くらぶれば 数には入らぬ 我が身ながらも」


それが誰なのか、土方にはすぐに判った。


汽笛きてきが鳴る。

土方は箱館はこだてに向かう船上から会津の方角の空を見上げ、その辞世じせいを復唱して、口元をゆるめた。


「…そうか。なんとあざやかなぎわ。見事なり、中野竹子」


蒸気船じょうきせんけむりが、松島湾の島々をおお朝靄あさもやに溶けてゆく。


「その女性をご存じなんですか?」

鉄之助が不思議そうな面持おももちでたずねた。

「よくは知らん。だが、俺にとって終生しゅうせい忘れ女性ひとだ」




竹子はその後、若松市内の法界寺ほっかいじ境内けいだいにある梅の木の下に埋葬まいそうされ、

現在もそこに眠っている。








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