第69話 約束
「山の中で倒れていたあなたを、ドルレットさんが見つけて、通報してくれたのよ。泥だらけになって山を登って⋯あなたを見つけてくれたの」
シリバシュはシュテファンに向かって、静かにそう言いました。シュテファンは表情を変えず、二人から視線を外して天井を見つめていました。ドルレットは黙って立ち上がり、ベッドの脇に置かれたサイドテーブルに白い封筒を置きました。
「お前のリュックに入ってたご両親の写真とチョコモンカード、この封筒に入れておいたからな。おれは最初、お前を担いで下山しようと思ってたから、なるべく荷物を軽くしようと思って、リュックの中身を確認したんだ⋯勝手に開けちゃって悪かったけど、赦してくれよな。リュックがびしょびしょになってたから、そのまま入れておいたら、もっとぐしゃぐしゃになると思って、取り出したんだ。泥だらけになってたリュックも、洗って乾かしてるところだから、心配すんな。退院したら、ちゃんと戻って来いよ。おれたちの"家"に」
ドルレットは淡々とそう言って病室から出ていこうとしましたが、出入口の手前で立ち止まり、振り返りました。
「そうだ、大事なこと言うの忘れてた」
シュテファンは天井からドルレットに視線を移しました。彼は相変わらず、透明な表情をしていました。
「おれ、キックボクシングの大会に出るつもりなんだ。来月から予選が始まって、もし決勝まで勝ち進んだら、6月にレツィカドームで決勝戦だ。そこまでおれが勝ち進んだら、観に来てくれないか?チケットはおれが用意する」
シュテファンは黙ったまま5秒ほどドルレットを見つめてから、小さく頷きました。レツィカドームはチョコの国最大のイベント施設であり、ドルレットが言ったことは、普通に考えれば夢物語のようなことでした。シュテファンも、レツィカドームがとんでもなく大きいことは知っていました。しかし彼はそのとき、「何を夢みたいなこと言っているんだ、この人は!」とは思いませんでした。ドルレットのキックボクシングの実力や、キックボクシング界の現状などについてシュテファンは何も知りませんでしたが、なぜか「この人なら、可能性はあるだろうな」と思ったのです。
シュテファンと二人きりになったシリバシュは、
「あなたが元気になって施設に戻ったら、わたし、アップルパイを作るわ!たくさん作って⋯みんなに食べてもらうの!シュテファン⋯もちろんあなたも、食べてくれるわよね?」
と笑顔で言いました。
シュテファンは苦笑いして、小さな声で、
「ちゃんと作れるのかよ?まずかったら残すからね、おれ」
と言いました。シリバシュは、苦笑いとはいえシュテファンが微笑んでくれたことが嬉しくて、
「もっと信用してよ〜、わたしの腕前を!わたし、アップルパイ研究家と言ってもいいくらい研究してるんだから!」
と陽気に言いました。
「研究してるの?確かに、マッドサイエンティストみたいな雰囲気はあるよね、シリバシュさん」
「ちょっと〜!やめてよ!わたしの作るアップルパイ、別に爆発したりしないわよ!?タイムマシンみたいな機能も無いし!⋯あ、でも、不思議な機能はひとつあるわね!」
「え!?どんな機能だよ!?」
「食べた人が、みんな笑顔になるの⋯!すごい発明品でしょ!?」
シリバシュがおどけた顔でそう言うと、シュテファンは爆笑しました。
「それ、自分で言ってて、よく恥ずかしくならないね!」
「⋯もう!この子ったら!」
二人は楽しそうに笑い合いました。病室が、温かな空気で満たされました。シリバシュは、シュテファンのこんな笑顔は初めて見た、と思いました。




