第63話 シュテファン・バルバネアグラ
イオネスクが理事長を務める児童養護施設で働き始めたドルレットは、里親希望者との面談といった役所の人達と連携して行う業務から、宿題の手伝いや相談相手になることまで含めた子供たちの身の回りの世話、清掃、経理担当者の手伝いまで、様々な仕事をこなしていました。働き始めて三ヶ月経った頃には大分慣れてきて、彼を信頼する子供も多くなっていましたが、ひとつ大きな悩みがありました。それは、シュテファン・バルバネアグラという12歳の男の子のことでした。
シュテファンはブラックカカオの独裁政治によって両親を失い、長年の孤独の中で少しずつ優しさを失っていき、いじめっ子になってしまった少年でした。
ドルレットは何度もシュテファンを呼び出して一対一で話をしました。いじめは格好悪いということを心の底から理解してもらうために様々な話をしましたが、暖簾に腕押しという感じで、シュテファンが改心することはありませんでした。それどころか言動はエスカレートしていき、施設の職員の中には、「ルールを守れないのだから、追い出すべきだ」と言い出す人も出てきました。しかしドルレットは、"そもそもシュテファンは行き場が無くて施設に来た子供なのだから、追い出したらホームレスになって飢え死にするか、反社会的組織に拾われてマフィアになるかのどっちかじゃないか"と考え、「わたしが何とかして改心させて見せますから、もう少しだけ、時間をください」と言って、憤慨している職員を必死に宥めていました。
ある日、施設で生活しているイオンという13歳の少年が、目の周りに青痣を作っているのを見たドルレットは、「ど、どうしたんだ!?誰かに殴られたのか?」と訊きました。それはシュテファンに殴られて出来た痣だったのですが、イオンは告げ口したら報復されると思い、「ちょっと転んだだけです」と答えました。シュテファンは体格に恵まれていたので、年上の少年でも被害に遭うことがあったのです。
ドルレットはシュテファンを誰もいない部屋に呼び出して、「あれは、君がやったのか?」と訊きました。しかしシュテファンは「やってねえよ」と答えるだけでした。
そんなことが十数回も繰り返されたのですが、ある日、ついにドルレットは、シュテファンがイオンに暴力を振るっている現場を目撃しました。
「どうして、あんなことをするんだ」
シュテファンを呼び出したドルレットは、感情的にならないように努めながら、そう訊きました。シュテファンは目を合わせようとせず、顔を横に向けて窓の外を見ていました。
「黙ってないで、何か言ったらどうなんだ」
「⋯大人って、いつもそうなんだよな。アハハハ⋯」
「え?何のことだよ」
「どうせ、最初から俺のこと疑ってたんだろ?それで、現場を押さえたとき、"よしっ!これでもう、こいつは言い逃れ出来ない。ザマアミロ"って思ったんだろ?良かったね。おめでとさん!」
「⋯何を言ってるんだよ。ふざけるなよ!」
ドルレットはそう言って席を立ち、部屋にシュテファンを残して立ち去りました。
どうすればシュテファンの孤独な心を救うことが出来るのか、ドルレットは毎日、考え続けました。ドルレットが目の周りに青痣を作って、子供たちの前に現れたこともありました。驚いた子供たちが「ドルレットさん、どうしたの?」と訊くと、彼は「ちょっと、転んだだけだよ」と答えました。しかし本当は、それはシュテファンに殴られて出来た痣でした。
「そんなに他の子供たちを殴りたいのなら、代わりに俺を殴れよ。何も反撃しないって約束するからさ」
シュテファンを呼び出したときにそう言ったドルレットは、本当に思い切り殴られたのです。
「いてて⋯お前のパンチ、なかなかパワーあるな。⋯よし、代わりに俺を殴ったんだから、もう他の子供たちに暴力をふるうのはやめろよ」
少しおどけて微笑みながらそう言ったドルレットの唇には、血が滲んでいました。シュテファンは表情を全く変えず、黙って部屋から出ていきました。そのときドルレットは、こう思いました。
"俺は、わざとこんな目に遭うことで、自分の心のバランスを取ろうとしているのかも知れない。俺の中には、ブラックカカオの血が流れている。シュテファンから両親を奪った、ブラックカカオの血が。俺は、父親と自分は別なのだと、自分に言い聞かせながら生きてきた。今でも、別なのだと信じて生きている。父親の罪を俺が背負う必要は無いのだと。それでも⋯それでも俺は、シュテファンに殴られると、少し心が楽になるのを感じてしまう⋯。ダメだ、こんなことをしていたらダメだ。シュテファンが間違った方向に行ってしまう。俺は⋯彼を叱らなければいけないんだ。叱る資格が自分にはあるのだと、信じなければいけないんだ⋯"
考えれば考えるほど、迷路の出口から遠ざかり、奥深く迷い込んでいくような気がしました。




