死亡宣告【夜】
ごきゃり、と体の中に響き渡った肋骨が曲がる音。それに重なって、ぱきりとあいつの伍十捌本目の剣が俺の手の中で折れた。
あれから何十分も過ぎたけれど、未だに名も知らぬ襲撃者との決着は付いていない。
お互い血に塗れながらも、どちらもまだ心臓は動いている。
あいつが強いのか。
俺が弱いのか。
幾度となく振り下ろされ突き立てられ裂かれる剣は、段々と鋭さを増していっている気がした。
「どっちが化け物だよ、!」
随分と前から凌ぐのが精一杯な俺と違って、同じく肩で息をしつつもあっちにはまだまだ余裕があるらしく、攻撃の手が弱まることはない。いやぁ、若いっていいな。
横薙ぎに振るった刀はちょっと笑えるぐらい完璧に伍十玖本目の剣で受け止められて、弾かれたように跳ね上がった足が力任せに俺を蹴り飛ばす。あまりの衝撃に息が詰まるが、そんなのは蹴られた瞬間だけの話。勢い付いて衝突した壁が背後で砕け散るのを感じたら、少しの息苦しさなんて消え失せる程の痛みが襲ってくる。弍、参枚壁を突き破ってやっと止まったかと思いきや、次に押し寄せてきたのは鉄の味。
正確には、鉄錆に似た苦い味。血液。
これは肺に穴でも空いたか?そういえば胸部の奥が燃えるように熱い。まったく、ただの蹴りで肋骨骨折させるとかそっち系のプロか。殺人にプロもアマもないだろうけれど。
喉奥に溜まった血を吐き出したいのに、息を吐くたびひゅーひゅーと情けない音を立てる呼吸器では、それすらままならなかった。
あー……駄目だな、ちょっと勝てねぇわ。相手が悪かった。否、俺が悪かった。
あれだけの大口を叩いておいて、ご立派な見栄を張っておいて、何だかんだで死ぬっていうのは遺憾千万ではあるけれど。
それもしょうがないことだろう。
死ぬ時は死ぬもんだ。
ーーなんて、意外にもあっさり諦める自分が少しだけ面白かった。
愉快だと思った。
滑稽だと思った。
「なんだ、化け物の割りには脆いなお前」
どうにも力が入らなくて、起き上がる気力もなくて。自分の体で砕かされた瓦礫に埋もれたまま、かろうじて目だけを開く。真っ先に視界へ写り込んだのは、見慣れた赤と白の剣。それから、覚悟を決めたようなーーーーーー
【白、白、白。白白白白……赤。】
【泣きそうな少女と、笑わない少年と。】
【白と赤と黒と赤と。】
《大丈夫だよ》
《いつかまた会えるから》
《そうしたら今度こそ、》
ーーーーリリィ?
「こんな簡単に殺せたら、逆に拍子抜けするな」
つまらなそうに、というか呆れたように言って、あいつは俺の首を乱暴に掴み上げた。
痛ってぇな。ああ、そうじゃなくて。
リリィ。
あいつ、何をしようとしている?
随分大人しいと思ったらーー静かだと思っていたら。ここまでの圧倒的な暴力を見せつけられたんだ、とっくに逃げたと思っていたのに。さっきまでは、恐怖に震えていた癖に。
「まぁどうせ殺すんだけど」
元【犬】で、今は人間で。ビビりでチキンで果てしない天然で。おそらく【色欲】に、『愛されたい』という大罪に、【花色猫】に寄生されていて。そんな彼女が手にしているのは、間違いなく俺の愛刀だ。鍔の無い黒い刀。黒々した刀。
確か銘はーーーー『現世斬』。
人を殺す、そのための道具。
彼女には体格的にも存在的にも不釣り合いなそれが、今は確かにしっかりと彼女の両手へ収まっている。
「もういいよ、死ね」
頸動脈に添えられた碌十本目の剣。別に心臓なり喉笛なり頭なり一突きすりゃあ済むだろうに念の入った殺しようだ。きっとこのまま剣を手前に引いてーーーーいや、グロいから表現するのはやめておこう。それはともかく、あの刀。
「ちょ、と……待てよ、馬鹿」
震える手で刀を握り、身体中にまとわりつく恐怖から目をそらして。悲鳴が漏れないように噛み締められた唇。目の前しか見えていないだろう目。
「ーーーーーーーーリリィ」
あれじゃあまるで、俺を守ろうと奮起しているみたいじゃないか。
駄目だ。そんなのは、駄目だろう。
「は、?」
それは、救いようのない間違いだ。
ゆっくりとあいつの視線が俺からずれて、リリィの方へと向けられる。こいつの標的はきっと俺だけだった。故に、リリィの存在に気付いても『気付いていないフリ』をしたんだろう。ただの少女を、わざわざ殺す必要もないと。
だけどそれは、害のない存在であるという前提があってこその判断で。
刀を構えて今にも飛びかかってきそうなその姿はどこからどう見ても『害』で。
「、っ」
ふっと首にかかっていた指が離れ、支えの無くなった体が地面に向かって倒れこもうとする。一方で、白い剣は迷いなくーー、油断なく次なる反逆者へと狙いを変え。視界の隅で見慣れた黒が踊って、リリィが走り出したのだと察した。
このままだとリリィは死ぬだろうか。
そりゃ死ぬだろう。俺が勝てない奴に勝てる筈がない。リリィが本気で殺しにかかれば、あいつだって本気で殺し返すに決まっている。
じゃあ、どうしようか。
もう俺は一歩だって歩けない。つまり、どうしようもない。根性や気合いだけじゃどうにもならないものだってあるのだ。
いやいやそもそもの話。別に、誰が殺されたっていいじゃないか。俺は正義の味方でも何でも無いし、出会ったばかりの少女のために悩む必要もないのである。助けてくれと頼んだ訳でもない。だから、死ぬなら死ねばいい。俺は傍観するだけ。
そうだ、そうしよう。簡単なことだ。いつもしている風に。
振り被られた剣。
目の前を横切る赤。
幾度となく叩き折られた……否、叩き折った白の残骸。
淡く風に散る薄紫。
あーあ。畜生。
そう呟いたつもりだったんだけれど、溢れる血液が邪魔をしてあまり声にはならなかった。鳴らなかった。
それから考えるまでもなく、思う間もなく俺の左手は喉元から離れかけた剣の刃を握りしめていて。
口角が自然と弧を描く。
そして。
気が付けば、それを深く深く喉へ突き刺していた。
こういう時、死んだように見えて実は生きてましたーっていうのがお約束だったりするんだけど。この物語においてそんなに都合のいい事態は起こり得ない。死ぬときゃ死ぬ。で、今がそうだ。
つんざくような悲鳴も、零れる涙も、死を遠ざけはしない。当たり前に死ぬし、当然死ぬ。
そう。それは俺だって例外ではないのだから。
最後の最後。
笑って、嗤って、嘲笑って、苦笑って
当たり前に、普通に、在り来たりに
平平に凡凡に月並みに常識的に
あるいは尋常一様に。
西暦で言うなら3334年、夏。
俺は、紛れもなく死んだのだった。




