第15話「アンナ、ドジする」
うまくて有名な店があると聞いて、九王子へ向かうことになった。
月極駐車場でエンジンをかけ、目的地を設定する。
「九王子市」と入力して検索。
ナビがルートを計算している間、窓の外を見た。
午前中の日差しが、隣に停まっている車のボンネットに反射している。
ルート表示が完了した。
画面を見て、思わず声が出た。
「……マジか、首都高通るかよ」
常晴道から首都高6号線。
丸崎、明治橋、三毛猫――複雑に絡み合うジャンクションを通る高難度コースだ。
前にあられ野市へ行ったときは、山央道から圏中道をぐるっと回った。
首都高の都心部を通るルートは、この車では初めてだ。
《ご主人様、このルートが最短です♪ 所要時間、約2時間。高速料金は――》
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
あの環状線。
合流と分岐の連続。
車線変更のタイミングを一つ間違えたら、全然違う方向に飛ばされる。
《ご主人様、ご安心ください♡ アンナが的確に、優しく、そして丁寧にご案内いたします♪》
「……そのフラグが一番信用できねぇ!」
ため息をつきながら、サイドブレーキを下ろした。
* * *
常晴道を南下し、すでに向山ICから首都高6号に入っていた。
景色が一変した。
さっきまでの田んぼや林はどこにもない。
高層ビルが林立する中、高架を走るA-BOXは、上下にガタン、ガタンとジョイントを踏むたびに車体が跳ねた。
継ぎ目を越えるたびに、ハンドルに振動が伝わってくる。
そして前にも後ろにも横にも車、車、車――。
トラック、タクシー、黒塗りのセダン。
どの車も、当たり前のように車線変更を繰り返している。
軽自動車のA-BOXは、その流れの中で必死についていくしかない。
排気ガスの匂いが、エアコンの外気導入から微かに入ってくる。
A-BOXの軽いボディが外圧を受け、センサーがビリビリと反応する。
《感圧センサーが……刺激過多です……っ! 包囲されてる……感触が……♡》
《あ、そういえば……この前の洗車で、ちょっと"威圧センサー"も追加しておいたんです♪》
「勝手に増やすな! てか、あれ洗車だったよな!?」
そのとき、ナビ画面に微かにノイズが走った。
自車マーカーがわずかにずれる。
高架の上と下で、GPS信号が乱反射しているのかもしれない。
《んあっ、VICS……電波ビーコン……受信っ……遅延が……》
「だから受信するたびに喘ぐなって!」
VICSの光ビーコンがうまく拾えず、アンナの案内にわずかなラグが生じる。
しかも、地図が一瞬フリーズ。
周囲のビルが電波を遮っているのか、それとも情報量が多すぎるのか。
《ご主人様、更新データ……重なって……あっ……判断、ずれちゃいますっ……!》
「崩れるな! 今一番冷静でいてくれ!!」
丸崎JCTを抜けた。
次は明治橋。
悪名高き三連コンボ分岐ゾーンが近づく。
道路標識が次々と現れる。
「環状線内回り」「4号旧宿方面」「鳥田方面」――情報量が多すぎて、一瞬で判断できない。
《あと500m先、右に分岐して、そこから左、その次も左……ですっ♡》
「いやそれ、パズルかよ!? 右、左、左って連打コンボ!?」
《ご主人様、今ですッ!》
「どこだよ今ってえええ!!」
車線変更ギリギリ。
後方から割り込んでくるSUVの圧に、アンナの画面が一瞬ホワイトアウトする。
クラクションが鳴った。
自分じゃない。
後ろの車だ。
《きゃあっ、ぶつかる、ぶつかるうぅうッ!!》
「ぶつかってねぇぇ!! お前が一番取り乱してるじゃねぇか!!」
心臓がバクバクしている。
手のひらが汗でべとついている。
なんとか最後の分岐をすり抜ける。
三毛猫JCTも抜け、首都高4号線へと滑り込む。
車の流れが、少しだけ穏やかになった。
さっきの環状線の殺伐とした空気から、少しだけ解放される。
ナビ画面には、白いエフェクトがかかっていた。
《燃えたよ……燃え尽きた……真っ白にな……》
「やめろ――!! 寝るなアンナ!!」
《しばらくナビ機能を……休止いたします……》
画面がぼやけ、アンナがスヤスヤと寝息を立てる演出に切り替わる。
――誰がそんな機能追加した。
「……で、今どこ走ってんだ?」
道路標識を確認する。
「山央道 高水道方面」の文字が見えた。
合っている。
たぶん。
《……ご主人様……あの……さっきのルート、ちょっとだけ……間違ってたかもです》
「ドヤ顔で言うなあああ!!」
* * *
ようやく都心部を抜けて、空が広がる。
首都高4号から山央道に入ると、景色が変わった。
ビルの谷間から、緑が見えるようになった。
眼下には遠ざかる都市の景色。
思わず、ハンドルを握る手をゆるめ、深く息を吐いた。
肩に力が入っていたことに、今さら気づく。
しばらくして、アンナの画面がふわっと戻る。
《ご主人様、すごかったです……。あのプレッシャーの中、ちゃんと走りきって》
「……お前が一番うるさかったんだぞ」
《でも……安心しました。わたし、今まででいちばん、A-BOXの外側を"感じた"気がします♡》
「感じなくていいから!」
それでも――画面のアンナは、どこか誇らしげに笑っていた。
ご主人様と車体と、センサー越しに繋がった首都高の記憶。
まるで、一緒に"乗り越えた"みたいな顔で。
(……まあ、少しだけ、絆が深まった気は……するかもな)
次のICを確認しながら、アクセルを少し踏み込んだ。
九王子は、もうすぐだ。




