88. 心配
露店巡りもひと段落し、歩き疲れたリーゼロッテを休ませるため木陰に移動する。
アンネリーゼは屋台を指差しながらターニャに何やら指示を出し二人の元に戻って来た。
「何をしていたんですの?」
「歩いて少しお腹が空いたし、屋台で何か食べられる物を買ってくるようにお願いしたのよ」
「えっ…はしたなくはないですか?」
「それを楽しむのも買い食いの醍醐味よ。
少女、私はお行儀よく食べるよりも美味しいと感じるわ」
「そんなことあります?」
「あるに決まってるじゃない…国や風習が違えば味付けや食材が違うように、その場その場で美味しい食べ方ってものがあるのよ」
「それはまあ…そうなのでしょうけど。
ちなみにミレニアさんには何を頼まれたのですか?」
「豚肉の串焼きよ。あ、ちょうど戻って来たわね」
レベッカがアンネリーゼに促された方角に目を向けると、葉っぱの包みを両手に持ったターニャが歩いて来る姿が見えた。
「どれだけ頼んだのですか…」
「全員分だけど?流石に私だけ食べる訳にもいかないでしょう…それに、こういうのは皆んなでくだらない話をしながら食べた方が美味しいのよ」
アンネリーゼはターニャから包みを受け取ると、中に入っている串焼きを見て唸った。
「うーん…ミレニア、戻って来て早々悪いのだけれど、人数分食べられるパンとナイフを一丁買って来てくれないかしら」
「えぇ…またぁ?一緒に頼んでよね…」
「だってこの串焼きタレが付いているんだもの…パンに挟んだ方が絶対に美味しいわ」
「はいはい、行ってくるわよ…」
ターニャはため息を吐くと、重い足取りで人混みの中に戻って行った。
「本当に貴女という人は…」
「うっ…わ、悪いと思ってるわよ…」
アンネリーゼは睨むレベッカから目を逸らし、受け取った串焼きを一つ手に取り齧り付く。
「うん、なかなかね」
「…パンと一緒に食べるのではなかったのですか?」
「味見よ味見」
「はしたないですわ…」
「良いの良いの、私は民の目線でものを見るのが好きなんだから。
それに見てみなさいよ、彼等も緊張がほぐれて普段の顔に戻ってるわ…羨望や畏怖の表情より断然こちらの方が良いと思わない?」
咀嚼していた肉を飲み込み、アンネリーゼは目の合った少女に手を振る。
少女は慌てて頭を下げたが、朗らかに微笑み嬉しそうに駆けていった。
それを見送ったアンネリーゼは、レベッカを振り返って微笑んだ。
「私は彼等から第一皇女として見られるのは好きじゃないのよね…もっと身近な存在でいたいの。
威厳とかそんな面倒な事はお父様達に任せて、私は民と私達帝室との間の壁を少しでも低くしていきたいの…そうすれば民の声が良く聞こえるし、より良い統治に繋がると思っているわ。
国は土地だけ有っても意味はない…そこに人が集まり、法の下で秩序を維持するからこそ国といえるでしょう?
土地、人、法…中でもやっぱり一番大事なのは人だと思うの…だって未来を創るのはいつだって人なんだから。
だからこそ、その国の大多数を占める民の生活を知るのが一番大事なのではないかしら」
「私は統治者としては厳しさも必要と思います…ただ、貴女のその心掛けは素晴らしいと思いますわ」
「言ったでしょう?そういうのは全てお父様達に任せているのよ。
丁度戻って来たみたいだしこのくらいにしましょう」
アンネリーゼは戻って来たターニャから黒パンを受け取り、ナイフでスライスしてレベッカに二切れ手渡すと、新しい串焼きを手に取った。
「はい、これをパンで挟んで」
「えっ?あ、はい…」
「引き抜くからちゃんと挟んどいてよ?」
レベッカが串焼きを離すまいとパンを持つ手に力を入れると、アンネリーゼがゆっくりと串を引き抜いた。
挟まれた肉からはソースと肉汁が滴り落ちていく。
「はい、これなら手を汚さず食べられるでしょ?」
「え、えぇ…ありがとうございます…」
「どうしたの?食べなさいよ」
「貴女は平気かもしれませんが、私はこの様な場所で食すのは慣れていないのです…」
「仕方ないわね…じゃあジェラールに隠れて食べなさいな」
「ええ、そういたしますわ…」
アンネリーゼは目配せし、ガーランドは頷きレベッカを人目から隠すように立つ。
レベッカは小さな声で礼を言うと、恐る恐る肉焼きサンドに齧り付いた。
ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだレベッカは眉間にしわをよせる。
「味が濃いですわ…」
レベッカがボソリと呟くと、皆にパンと串焼きを配っていたアンネリーゼが戻り苦笑した。
「それはそうよ、だってここには鉱山で働いている人達が多いんだもの…身体を動かせば汗をかくから濃い味付けの方が好まれるのよ。
ジェラールやガーランド達には丁度いいんじゃない?普段の貴方達の食事とそう変わらないと思うけれど」
「はい、訓練後の食事はこのくらいの味付けです」
「この濃い味付けがエールと良く合うんですよ…まあ、護衛騎士になってからは酒は控えていますが」
「あら、嗜む程度なら良いんじゃない?付き合いも大事ではないかしら」
「そうもいきませんよ…酒好きが多いので付き合いだしたらキリが無いですし」
「ああ、休みの前日などは朝まで付き合わされかねないからな…」
ガーランドの言葉にジェラールが同意し、アンネリーゼはくすくすと笑う。
「なら、二人ともお酒は引退までお預けね」
「なんだか申し訳ないですわ…」
「護衛騎士の宿命ね…あら?」
アンネリーゼは申し訳なさそうに呟いたレベッカ苦笑すると、人混みの中に見慣れた人物を見つけて手を振った。
「コンラート、こっちよ!」
「おお、こちらにいらっしゃいましたか!」
気付いたコンラートは護衛と共に人混みを抜け、アンネリーゼ達の元に駆け寄り深く息を吐いた。
「ふう…人の多さに酔いそうですな」
「ふふっ、これから大忙しね。
それで、私達を探していたのよね?」
「はい、ご報告をと思いまして…」
コンラートは周囲を確認し、声を顰める。
「先程殿下がお気付きになられた男を捕らえ、ただいま尋問中でございます。
露店商に関しても調べるよう指示いたしましたので分かり次第ご報告いたします」
「そう、分かったわ…露店商は裏が取れるまでは慎重にお願いね。
捕らえた男は口を割らないようなら薬漬けにしてあげなさい…出来るだけ依存性の高いものでね。
ああ、言うまでもないとは思うけれど、ベラドンナやダチュラなんかはダメよ…幻覚で訳の分からない事を言い出されても困るから最後の手段ね」
「はっ、心得ております…では、私は鉱山の件を進めてまいりますのでこれで失礼いたします」
「あまり根を詰め過ぎてはだめよ?こちらに来てから働き詰めなのだから適度に休みなさいね」
「し…承知いたしました…」
「先日も言ったけれど、貴方が倒れる方が問題だわ。
どの道、間者を炙り出すのには時間がかかるのだから休める時に休みなさい」
「はい…では、本日の予定が済みましたら…」
「ええ、是非そうしてちょうだい」
コンラートは深々と頭を下げ仕事に戻っていく。
アンネリーゼはその後ろ姿を見て深くため息を吐いた。
「本当、真面目過ぎるのが玉に瑕だわ…責任感が強いのは良いのだけれど、それを自分の体調にも向けてくれたら嬉しいのに…」
「それをどうにかするのが貴女の役目でしょう?」
「ええ、だからこそ頭が痛いのよ…カミラもあまり休みを取りたがらないし悩みどころだわ。
休むより働いていた方が良いとか私が何をしでかすか分からないとか言うのよ?私ってそんなに信用無いのかしら…」
「それだけ貴女を心配しているということでしょう?カミラさんが無理をしていそうなら貴女から声を掛けてあげれば良いのです。
まあ、彼女が貴女を心配する気持ちは私にも理解出来ますわ…」
「えっ、分かるの?」
レベッカは残っていた肉焼きパンを飲み込み、口元を拭ってアンネリーゼを見た。
「彼女に限らず貴女の事情を知る者達は皆、貴女の精神状態を心配しているのですわ。
貴女は普通と仰るけれど、例え事情を知っていても側から見れば貴女の持つ二面性は不安定に見えるのですから心配もしますわよ。
カミラさんとミレーナさんからは直接忠告をいただきましたが、お二人とも貴女を心配しておりましたわ…直接言葉には出さずとも、他の方々もそう思っているのでしょう」
「そんなに不安定に見えるかしら…」
アンネリーゼがチラリとガーランドを確認すると、小さく肩を竦めた。
ガーランドは普段何も言わないが、やはり彼自身もアンネリーゼを心配しているようだ。
「た、例えばどういうところが不安定に見えるのかしら?」
「そうですわね…私が一番気になっているところは、自分の周りには優しさと慈愛を持って接する反面、敵と見做した相手は容赦なく切り捨て、例え残忍と思われる行為であろうと疑いも迷いも無く実行出来るところでしょうか?
もちろん私も貴女の事情は理解しておりますし貴女に協力すると決めはしましたが、その極端に度が過ぎた二面性は心配になりますわ…国や民の行く末事ばかりで自分自身の未来を見ていない貴女の姿は、事情を知ってなお近くで見ている者達からすれば心配せずにはいられませんわ」
レベッカの指摘にぐうの音も出ないアンネリーゼは肩を落として項垂れる。
「分かったわよ、改善するよう努力するわ…私も皆に心配かけたくはないし」
「是非そうしてくださいな。
では、まずは間者に対する処遇をどうにかしてみられてはどうでしょうか?口を割らせるにしても流石に薬物を使用するのは…」
「えっ?それはダメよ…ねえ?」
レベッカの言葉を聞いたアンネリーゼがガーランドとジェラールを見ると、二人は複雑そうな表情で頷いた。
「えっ…私が間違っているんですか?」
「えっとね、口を割らせる方法はいくつかあるのだけれど、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは拷問…いわゆる苦痛を伴った方法なのだけれど、痛みは克服出来るから意味が無いのよ…特に間者の様な特殊な任務を行う者は、痛みを軽減もしくは遮断する訓練をしている可能性が高いわ」
「そ、そうなのですか…では、何故薬物なのでしょう?」
「痛みがダメとなった場合には恐怖か快楽かになるのだけれど、恐怖も人によって感じ方は様々だし、痛みと同様に屈しない者がいるわ…家族や仲間を人質に取って目の前で殺そうがどんなに残忍な行為をしようが屈しない者は決して屈しないのよ。
でも、快楽は別…人は本来、苦痛を避けて快楽を求める傾向があるのだけれど、それを自力で抑制することは非常に困難なの。
痛みは「慣れる」けれど、快楽は「飽きる」ことはあっても「慣れる」ことは無いわ…「慣れる」ということは安定しているということだけれど、逆に「飽きる」ということは安定を拒否し、新たな刺激を求めるということ…要するに依存ね」
「だから薬物ですか…」
「ええ、最も手頃で確実性の高い方法よ…それに間者は薬物の恐ろしさも知っているでしょうから、脅しの道具としては結構有効よ。
ただ、中には薬物にすら耐える厄介な者もいるが問題なのだけれどね…。
まあ、拷問なんかよりは他の人間を巻き込まないぶん人道的と言えなくはないと思うわ…その後のことは一切保証しないけれどね。
廃人になるか、口を割ったことで祖国の家族や仲間を殺されるか…他国の間者にそこまで責任は持てないし、その義理も義務も無いわ」
「仰ることは分かりましたわ…私が不勉強でした。
私は今までその様な知識を積極的に学んでは来ませんでしたが、恐らく私が知らないだけでベルタンでも同じ様な方法が執られているのでしょうね…」
「どこの国でもやっていることだし、方法の是非は関係ないわ…それだけ間者というのが重要かつ厄介ということね。
国を守るために必要であるならば、例え人が目を背けたくなるようなことでもやる…ただそれだけのことよ。
情に絆されて最悪国が滅びるなんて馬鹿のやることだわ…私はそれを嫌というほど知っているもの」
「そうですわね、貴女の言う通りですわ…」
「でしょう?だから、必要であれば私はやるわ…まあ、今後は周りを心配させないように努力するつもりではいるけれど…」
「ええ、是非そうなさってくださいな。
私も…カミラさんやガーランドさん達もそれを望んでいるのですから」
「はぁ…まさか皆にそこまで心配を掛けているなんてね…直接言ってくれれば良いのに。
まさか、私がそこまで聞き分けがないと思われてるのかしら…」
アンネリーゼはため息を吐くと水筒に入れていた紅茶を飲み、口の中に残っていた串焼きのタレの味ごと飲み干した。
「私にもくださらない?」
「貴女も持ってたでしょ…」
「串焼きの味が濃過ぎて飲み切ってしまいましたわ」
「苦かったり甘かったりは大丈夫なのにしょっぱいのは苦手とか随分と不思議な舌を持っているわね貴女…」
「人それぞれですわ」
アンネリーゼは悪びれもなく答えたレベッカに呆れながらも水筒を渡し、もう一度ため息を吐いてチラリとジェラールを見た。
「ねぇ…私までとは言わないけれど、貴女の主人も十分過ぎるほど我儘ではないかしら?」
ジェラールは咳払いをし、目を逸らして答えを濁す。
そのやり取りを見ていたレベッカは何も言わず、水筒の中身を飲み干した。
「ちっ…漏らせば良いのに…」
空になった水筒を受け取ったアンネリーゼはレベッカを睨み、舌打ちをしつつ恨み言を呟いた。




