隠された記憶
あやの足音が廊下から消えていき、玄関のドアが静かに閉まる音が聞こえました。
その後には、ただ重く冷たい静寂だけが部屋に残されました。
部屋の中は生温かい血の匂いで満ちていました。自ら刃を入れて抉り取った痛みが、体の奥から激しい痺れとなって押し寄せてきて、私は床の上に突っ伏したまま動く事ができませんでした。
血に染まった布に包んで、箱の中に収めたあの黒い突起。
それを見つめていたあやの冷ややかな目と、去り際に吐き捨てるように残した言葉が、頭の中で何度も何度も繰り返されていました。
「あいつはろくなやつじゃない。知っているでしょ。……なのに、そっちは捨てるんだ」
「……もう知っているんでしょ?」
あやの声は、私の耳の奥でノイズのように鳴り響き続けていました。
肉体から不気味な異形を切り取ったはずなのに、私の心には安らぎなど訪れませんでした。それどころか、胸の奥で固く閉ざされていた何かが、音を立てて崩れていくのを感じていました。
私は、本当に何も知らなかったのでしょうか?
あやの秘密、そしてあやの身に起きていた痛ましい出来事、それらを私は本当に知らなかったのでしょうか?
「……うそ」
私は血の味がする唾を飲み込みながら、小さく呟きました。
知らなかったのではないのです。私はずっと昔から、すべてに気づいていました。
ただ、親友であるあやを失うことや、彼に完全に拒絶されることが怖くて、自分自身の記憶を心の深い深い奥底へ隠蔽していただけだったのです。黒い雪が私の記憶を暴き出すまでもなく、私自身が最初から、見たくない真実を闇に閉じ込めていただけでした。
自分のずるさと卑怯さに気づいた瞬間、背筋に刺さるような冷たい寒気が走り、震えが止まらなくなりました。
倒れた体を何とか引きずり、私は床に置かれた小箱を抱え直しました。部屋の床や壁に飛び散った血を拭う気力もなく、ただその場に立ち尽くすことしかできませんでした。
ただ呆然として白く濁った頭でたった一つの事を決心していました。
“あやに確かめなければいけない”
ふと、窓の外に目を向けました。
まだ昼間の時間帯のはずでした。ですが、窓の向こうには光という光がひとつもなく黒き闇が支配していたのです。外は真っ黒な鉛色の雲と、静かに舞い落ちる黒い雪が世界を覆い尽くしていました。
まるで太陽そのものが消えてしまったかのように、街は重く濃密な闇に侵食され支配されていました。
その時の私は、まだ何も知りませんでした。
太陽を奪われたこの街は、静かに、そして確実に異変が始まろうとしていました。




